おかんのフィアット850スポルトクーペ

僕が最初に所有した車はスズキのジムニーだけど、免許のある無し(ナイショナイショ)にかかわらず運転したまさに最初の車といえばフィアット850 スポルトクーペだ。

FIAT 850 Sport Coupé (ただし、おかんのは真っ赤だった)

その車は僕のおかんので、僕が運転免許を取ってからは好きな時に運転させてもらえた。そのフィアットは僕が18かそこらの時にウチにやってきたが、そんときはまだ免許持ってなかった。にもかかわらず、おかんの留守に乗じて時たま運転した。運転現場を見つかることはなかったから、おかんに気づかれてないと思ってた。今となっては、おかんが僕の悪行を知ってたに違いないと確信しているけどね。

その頃よりずっと以前、おかんはポルシェというもんが欲しいとよく言っていた。1963年といえば、日本最初の高速道路、名神高速が開通した年だ。開通後数年経たないころ京都府警の交通機動隊がポルシェ911の廉価バージョンである912を導入。スピード出したい向こう見ずなドライバーたちを萎縮させるために権威をひけらかし、交通を支配しするって寸法だった。おかんは当時まだ珍しかった女性ドライバーで、どういう風の吹き回しかそんなのに熱をあげていた。(クルマは5速マニュアルじゃないと、という変なこだわりのある人だったし、、、後にはホンダのCRXとかにも乗ってたし、、、)

東京オリンピック(’64)と大阪万博Expo 70のあいだ頃で、日本の経済は急成長していた。そんでおかんの商売もまた好調だった。思うに、おかんが買おうと思えばポルシェも夢じゃなかったはず。でも代りに選んだのがフィアットだった。「なんでフィアットやねんな?」と、ポルシェが来たらいいのにと思いながらおかんに尋ねた。うろおぼえだけど、おかんが言うにはガレージが狭く、特に幅はナローボディーのポルシェですら収まらなかったんだとか、本当かどうか知らんけど、、、。で届けられた(「真っ赤なポルシェ」ならぬ)真っ赤なフィアット850スポルトクーペはめっちゃキュートで僕もひと目ぼれ。

昨日、夢の中でウチに来たおかんのフィアット850スポルトクーペ。「母と子」ですよ、わかるかなぁ〜・・・

下のYoutubeビデオ見て初めて気が付いたんだけどフィアット850とフィアット500のリアエンジンの配置形態その他は– 前者は水冷、後者は空冷の違いはあるけど– 互いによく似ている。850のマウント方法見てみ。エンジンが後端でバネマウントされてるけど、それって500のと同じやん。エンジンフードのストップしかた見てみ。キャッチの機構は丸い滑車使う500のドアキャッチから直に借りてきたやつやん。その他、フロントのトランクにある、ジャッキやらウオッシャー液バッグやら、スペアタイヤとバッテリーの置き方やら、みんな500とそっくり。内装見ても500のそれと雰囲気が良く似てる。まあ、ちょっとだけゴージャスだけど。センタートンネルの上のシンプルで慎ましい小物トレイやシフトレバー、ベダル、その他諸々も、直に500の血を引いているのを示していて、思わずニヤリ。

年月が過ぎ去って年を取り、今さっきまで僕の初恋、、、いや、初車のフィアット850スポルトクーペの細かな部分を忘れてしまっていた。このビデオに行き当たって、いろんなことが蘇ってきたし、結局、車選びということでは知らず識らずにおかんの足跡を辿ってしまったんだなあ、としみじみ。まあ、今日そういうことを発見して嬉しいけどね。


Mom’s FIAT 850 Sport Coupé

日本語はこちら

Although my first car owned by myself was a Suzuki Jimny, the very first car I drove with and without (hush hush) driver’s license was a FIAT 850 Sport Coupé.

昨日、夢の中でウチに来たおかんのフィアット850スポルトクーペ。「母と子」ですよ、わかるかなぁ〜・・・

That car was my mom’s, and after I got driver’s license she would let me use it whenever I needed. The FIAT came to our home when I was 18 or so. I didn’t have driver’s license then. Nevertheless,  I occasionally drove it while mom wasn’t home. I never got caught in action, so I thought she didn’t notice the fact. Now, I am pretty much for sure she somehow knew my misdeed.

Long before those days, mom used to say she wanted to have one of those Porsche sports cars. In 1963, Japan’s first car express highway, the Meishin Expressway was inaugurated. In few years, the Highway Patrol of Kyoto Prefectural Police introduced a Porsche 912, an economy version of 911, to show off their authority and to dominate the traffic so that they can intimidate the speeding daredevil drivers. My mom was a then rare  woman driver and for some reason longed for one like that.

That was sometime between Tokyo Olympic games and Osaka Expo ’70 when Japan’s economy was skyrocketing, and mom’s business, too, was thriving. I think she could’ve bought a Porsche if she wanted to.  What she chose to buy instead was the FIAT 850. I asked her “Why FIAT?”, having been expecting a Porsche to come. I don’t remember exactly what she answered but it was something like her garage was so small especially in width that even a narrow-body Porsche couldn’t fit in– I don’t know if it was the very reason, though. But the FIAT 850 Sport Coupé delivered to our home was cute and I immediately loved it.

It wasn’t until I watched the Youtube video above that I realized the basic layouts of rear-mounted engines of the FIAT 850 and FIAT 500– though the former comes with a water-cooled engine and the latter with air-cooled one– and many other things are very similar to each other. Look at the way the FIAT 850’s engine is mounted. The engine is suspended with a spring at its tail end, which is the same method as that of the Fiat 500. Look at how the engine hood is stopped. The catch mechanism with a nylon wheel must be borrowed directly from that of door catch of  the 500. Other things in the front trunk bay– like the jack, washer liquid bag, the way the spare tire and battery are stored– are all similar to the 500’s. Turning eye to the interior, I notice that the entire atmosphere is close to that of the 500, only slightly gorgeous, and cannot help smiling for the simple and modest shapes of the clutter-catcher on the center tunnel, transmission shift lever, pedals, etc., too, show the fact that they are the descendant of the 500.

Years passed by, and as I got old, I had forgotten miscellaneous details of my first car, FIAT 850 Sport Coupé until just now. Now that I came across the video of the car, many things have revived into my mind, and heartily think, after all, I have ended up with following my mom’s foot steps in terms of the choice of car without noticing it. And I am glad I discovered it, today.


瀬戸内牛窓の手打蕎麦西川からお蕎麦が届いた

岡山の牛窓で蕎麦屋をやってる妹夫婦のiPhoneに格安SIMを入れ替える手続きの手伝いをしたら、お礼に自家栽培のニンニクと自家製牡蠣燻オイル漬け、それに手打ち蕎麦を送ってくれた。SIMの入手や番号ポータビリティなど京都と岡山でリモート指導するも、いろいろ手違いがあり足掛け3も日かかってしまった。そんで「申し訳ない」と送ってくれたんだけど、、、着払いかよ!(笑)

来たのは二八蕎麦と玄蕎麦の2種類。どっちもそれぞれに美味い。冷凍で届いた昨日は二八、今日は玄蕎麦をいただいた。妹の旦那は家業を引退して60の手習いで始めた蕎麦打ちも、もう10数年になるので、そりゃ腕も上がっている。最初のころは、ドシロートがいちびって繋ぎなしの十割とか田舎とか打つんだけど、これを妹が自転車の前カゴにいれて実家の母親に届ける頃にはズタズタにちぎれてベビースターラーメン状態。いま目の前にあるものはまるで別物だ。器用じゃないけど実直な人の努力のタマモノをいただくのである。

シンプルな盛りそばもいいけど、せっかくおろしニンニクやら黒ニンニクやら牡蠣の燻製やらあるし、牡蠣燻の香りたっぷり染み込んだオリーブオイルで和えて、ペペロンチーノもどき、ていうか油ソバを作った。火は入れない冷製パスタ。ウチに野菜がないので、蕎麦が茹で上がる直前に青み付けの乾燥ワカメを放り込んでもどし、一緒に水洗いして、牡蠣とその漬けオイル、たっぷりのおろしニンニク、ジャンボ黒ニンニク、それに若干のキムチとノリも載せ、蕎麦つゆかけてワッサワッサと混ぜたら出来上がり。料理とは呼べないような、ひたすら手打ちの蕎麦に依存する食い物だが、噛みしめると玄蕎麦の香りが燻製の香りに負けていない。

しばらく蕎麦三昧の日々が続く幸せ。


毎月、月始めのお弁当

(ちょっと出すのが遅れた、、、、)

出町うさぎをやっていたゆきちゃん(ゆっこちゃん、、、だっけ?あれ?)がお弁当のデリバリを始めてもうだいぶ経つ。外食が苦手(いや、出かけて食べるのは好きだけど、一人で行くのがどうも、、、)なので、普段は自炊をやってる。つか、めんどくさいのでミューズリなどのシリアルだけで一日が終わるのがほとんど。ときおり、奇特な友人から美味しく滋養に富んだ食事をいただくので、なんとか栄養と精神のバランスを保ってる。その一つにこのお弁当がある。

  • 栗の酒粕クリームコロッケ
  • たかきびローフトマト味噌
  • ナスのトマト味噌
  • レンコンの春菊ジェノベーゼ
  • 車麩の揚げ煮
  • 冬瓜とエノキの煮物
  • アマランサスの真砂煮
  • 小松菜と切り昆布と切り干しのあえもの
  • 鞍掛豆のペペロンチーノ
  • 黒胡麻豆腐 つる紫の花
  • 焼きオクラと赤ピーマンのマリネ
  • きのこと豆腐のお稲荷さん
  • かぼちゃのヒエそぼろ煮
  • 落花生のターメリック煮
  • モロッコインゲンの梅煮
  • もちきびキヌアアマランサスごはん

美味しいし、ボリュームもたっぷし!

いいっしょ?

ごちそうさまでした。

P.S. どんだけ手間かかってるんかねえ、、、 感謝。

 


FIAT 500 電磁フューエルポンプのマウント製作 その後

昨日作ったMitsubaの電磁式フューエルポンプのマウントは、取り付け後に寸法ミスが発覚し、垂直であるべきポンプが前傾してしまった。取り外して加工するのが面倒なのでその場でアルミ板を捻じ曲げるという荒っぽい方法でとりあえず問題解決。機能的には全く支障ないし、普段は見えない場所だから、目を背けてそのままボンネットを閉じて「ハイおしまい。。。」

しかし、その晩は若干の後悔があった。ブログ記事を書いていて「反省の弁」に至っては「こんなものを一生のうちにそう幾つも作るわけじゃないから、反省もクソもないな、、、」と思いつつ、、、。翌朝も何だか寝覚めが悪く、一日経ってやっぱ作り直そう、、、と。

偉そうに反省の弁では「ボール紙のモックアップで取り付け状態の実地検証」と書いていたが、今回も図面からいきなり板金切り出し。もっとも、昨日の作品が人柱になっているんで、寸法については問題ない(はず)。

しかも、ケガキを省略して、プリントアウトした実寸図面をアルミ板にスプレー糊で直に貼っつけた。さほど精度の必要なものでもないから、これでオッケー。

最大の問題であった天板の前後幅を狭くしたので、ベンダーでの折り曲げがやりにくい。それでも何とか曲げて、後は歪み取りと角度修正。そうそう、昨日は後付けでやっつけた縁の折り曲げも「計画的」に加工。全てうまく行った。。。と思った。

さて、チンクのところへ行って、昨日の醜く歪んだ天板を見て「そうか!」と、また後から気がつくことがあった。バンドとマウントを繋ぐツバ広ビスに締め込むナットへのアクセスのために開けた孔では、いくら広くしてもラチェットレンチは入らない。なら、正面からナットにアクセスできるように前面の板をえぐってやればよろし。

こんなことは折り曲げ加工する前にやっときゃ、ずっと楽ちんなんだけどねえ。とか思いながら作業場に戻り、ドリルソーでゴリゴリ削った。

古い方から「腰当てクッション」を移植し、スポンジラバーを貼っつけて、後は普通に組み込んで、今度こそ「ハイおしまい」