ちょっと前のはなしなんだけど、、、花背別所の貸してある家の湯沸かし器が不調とのことで、様子を見に行ったついでに、さらに奥の友人ちまで足をのばした。
僕のPiaggio Ciaoは、元々変速機の無い1速固定なので、車でいえばセカンドがサードギアでずっと走ってるようなもの。スタートは力なく遅いし、トップスピードも伸びない。さらに悪いことに坂道も登れない、と。ママチャリのようなペダルが付いているのは伊達じゃない。電動アシスト自転車の逆で、脚アシスト原付バイクなのだ。つまり、坂がきつくなると足で漕いで0.8馬力しかない非力なエンジンを人力でアシストするわけ。そんなもんだから、自分ちの家のそばにある急坂は坂の途中にある駐車場に一旦入り、そこで勢いをつけて残りの坂を登り切るっちゅう、体力まかせの帰宅を強いられてきた。そんで、ある日、Ciaoの姉妹車Bravoからバリオマチック(バリエーター=自動変速機)を移植し、それ以降は必死のパッチで息を切らしてペダル踏むことはなくなり、本当に快適になった。
バリオマチック装着から早数年。メンテにいろいろ問題を抱えているが、とりあえず実用できるし、基本的な耐久性は十分。なので調子コイて昨日は標高759mの花背峠を越えてみようか、と思った。鞍馬を過ぎると流石に山道はきびしく、フルスロットルで時速20kmしか出ない。ただ、人力のペダルアシストは全く不要。気温も低いしエンジンが焼けそうな気配もなかった。
峠の直下でガス欠。予備コックで峠を下り、最初の村、別所で用を済ませてから、出かけるときに満タンではなかったから、こんなこともあろうかと前カゴに積んで行った予備タンクからガソリン2リッターを補給し、奥の大悲山へ向かった。
年上の友人夫妻から歓待を受け、明るいうちに京都に戻ってもうひと用事済ませるつもりが、気がつくと日が暮れていた。寒い!朝は霜が降り、先日は分厚い氷が張ったとのこと。帰り際に「今日は月食よね」と奥さん。残念!京都までずっと谷底の道を辿るから月食は見えないだろう、と思った。ところが、交流の森の橋のたもとまで来たら、夏に八枡の松上げのまつりが行われる開けた河原の向こうの山の端に赤い月が顔を出していた。しばらく見とれていたら出町柳駅行の最終バスがアニー・ローリーのメロディーを奏でながら通過していった。ふと我に返りバスを追いかけ追い越した。
途中、大布施(花背地区の中心地)花背神社(大神宮社)の手前でまた月が真正面に見えた。ここでも月食をめでていたらバスに抜かれてしまった。次にバスに追いついたのはもう峠の手前。がけ崩れ工事の対面通行信号でバスは停まっていた。
そこでまたバスをかわして峠を越えたが、最初の大きいカーブ(別所の人が「京見坂」と呼ぶ京都市街の夜景がきれいに見えるところ)で、三たび月食に遭遇。部分月食の明るい割合が増えていたが、それでもまた見入ってしまった。バスが通り過ぎても今度は追わず、15分も観ていただろうか、、、。
京都の街なかで別の友人との約束があったので、すっ飛ばして深泥池まで下りてきたが、タイムアップ。間に合わない旨、電話を入れたが正直に「月食観てた」と言ったら笑われた。ふと『2001年宇宙の旅』の原始猿人のMoon Watcherが思い浮かんだ。そう、月の下でモノリスに触れてビビッときたあの人。関係ないけど、電話の相手の連れ合いは高名な類人猿学者だった。そういやCiaoはその友人が乗ってたのを、故障がちで使いにくいから、と僕に譲ってくれたものだった。
思い出したついでに、いつCiaogaうちに来たのか、このブログ内で調べたが、ちょうどその頃はFacebookばかりやっていてブログ投稿はおろそかだったらしく、はっきりしない。FBを検索して2013年4月24日の投稿に「友人にPiaggio Ciaoを譲ってもらった。云々」と書いてるんで、もう8年半も前のことじゃん!