花背別所に行って、放ったらかしにしてあった物置から昔履いていた古いHans Wagner(今はHanWag)の登山靴を探しだそうとした。
でも、屋根が破れた物置の中の物は半分が土に還ろうとしていた。そんな中で昔の連れ合いの誕生プレゼントに作ってあげたティースプーン・ラックは運良く雨のかからないところに在って色や形をとどめていた。
深い泥の中から発掘した物はアメリカで学生だった頃の立体作品、『スペース・チェア』の一部分と、もうひとつは訳すのは憚られるので英語のタイトル:”Artificial Vagina”。どちらもステンレスが禍々しく輝いて、美しく且つ機能する「機械」だったけど、もはや見る影もない。。。いや、これはこれで無常感が溢れていてエエか。。。とも思ったが、やはり悲しい。自分の子どもの墓を暴いたような気分。
小屋の奥には後ろ半分が腐った木製山スキーの傍らに十代のころ使っていたウッドシャフトのピッケルがあった。アイゼンは見当たらない。腐り果ててしまったのかも。目当ての登山靴も出てこない。。。
さらに掘り進むうちに出てきたのは紙粘土の塊みたいな物体。折り重なった層を剥がすと、、、ああ、、、何ということか。青春の思い出、サイモンとガーファンクルの初期のレコードアルバム『Wednessday Morning 3 A.M.』。そしてP. サイモンのシングル『Slip Sliding Away』が。。。なんてこったい!サイモンのこちらを見つめる目に心が痛い。
『Slip Sliding Away』の歌詞を少し思い出した。なんかやるせない無力感に満ちたものだったな。サビは「あのね、目的地に近づけば近づくほど、ずるずると滑り落ちて行くもんなんだよ」というもの。(「そっと、音もなく去る」という意味もあるけどね)
思いの詰まった物たちが滅びつつあるのを目の当たりにして心はどんどん落ち込んで行く。あれだけ掘れば埋もれた登山靴までもう少のところまで近づいていただろう。けど、今日はもう、とても続ける気になれなかった。
北海道の片田舎をドライヴをしていると多くの廃屋に出会う。少しづつ崩れ落ちるのを見る度にここにいた人のことをどれだけの人が記憶しているだろうか?~と毎回思う。
思い出がゴミになる事に気がついてからは物に執着しなくなった自分がいた。
ガーファンクルと聞いて私は「明日に架ける橋」を思い出しこの歳になっても胸が熱くなりました。そんな時代があったと・・・アルバムをなぜ早くに救い出さなかったのだろう?きっとそれ以上の思い出の積み重ねをしていたのでしょうね。