少なくとも僕は、、、

上品にやっている場合じゃない。なりふりかまっていられないし、相手が禁じ手を連発し、まともな試合にならないのだから、ののしるくらいはするよ。僕はね。

人格攻撃がどうの、品性がどうのと、それを批判する人に僕は反論も、逆批判もしない。その人それぞれのやり方だから。

けど、「口汚い」と批判はされたくないね。愚かなソーリ大臣をバカ、危ない法案をクソと言うと、せっかくの反対の機運に水をさし、運動を貶めることになる、とおっしゃりたいのなら、僕を「あなたの仲間」には混ぜないでほしい。

安倍の暴挙、愚挙に対して、発言作法を統一して「一体となって」反対運動をする必要はないと考える。この国の平和や立憲政治の危機を憂うという共通項を持って、それぞれの立場から、それぞれのやり方で「反対を唱える」ことだけに普遍性があると僕は思う。だから多様な考の中から自動的に自発的に出た言葉は、当然様々であっていいし、強さや毒も中にはあるだろう。

政治家に人格攻撃をする人の品性を疑うというのなら、どうぞ僕のことなど振り向かないでください。そんな暇があったら、ご自分の規範でもって批判の矛先を件の政治家に向けてください。僕はあなたのやり方が間違ってるとも、効果がないとも思っていません。立ち位置、表現は違っても、向いている方向は同じだと思うから。けど、僕のような品性卑しい輩とは一線を画すというのなら、どうぞ。

有り体に言えば「放っといてくれ!」だ。

このごろ「戦争や原発に反対しない、デモにも行かない、ただ平和を願うだけでいい」というウサン臭いスピリチュアル系の話が出回っているが、言い換えれば「黙っとけ」ということだろうな。お前こそ黙っとけ、って言いたい。

それとは違うが、アホバカという「口汚い」人格批判に対するたしなめも、過ぎると似たようなことになりかねないじゃね?と僕は心配する。


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