花盛りの桜の木の下で記念撮影。そしてクルマ屋さんの店先に置いて、最後のお別れ。振り返ってもう一枚。
月別アーカイブ: 2018年3月
AZワゴン
驚くほど写真が少ない。あれだけよく働いてくれたのに、僕は彼女をこき使っただけだったんだろうか、、、
一生乗ると思っていたホンダ・ビートを手放して、年とった母を乗せるために中古で買ったAZワゴンを、僕はどこかで歓迎してなかったのか。母が亡くなってから手に入れた趣味の車Fiat 500とは明らかに違う扱いをしてきた。
母を乗せた月日はわずかで、その何倍もの間、僕の馬車馬として故障もなく黙々と働き続けてくれた。
昨日、買ってから初めて室内を掃除し、外を洗った。洗車しないのは錆びさせないためで、20歳近い車齢で塗装は傷だらけ、それにずっと屋外駐車なのにほとんど錆びていない。
見た目の綺麗さには気を使わなかったけど、エンジンや足回りに機械的な負担をかけないよう、大切に扱ってきたつもりだ。日々最初のスタートはどんなに急いでいても暖機運転でエンジンにオイルを回し、街へ下りた帰り道はエンジンに無理がかかる原谷の峠越え急坂を避けて、遠回りでも谷底の川沿い道を通るようにしたので、バルブシールの経年劣化による僅かなオイル下がりがあるだけで、構造的にも機械的にもずっと好調を維持している。
決して可愛がったわけではないにしても、ムチ打つようなまねだけはしなかった。このまま潰されないで、誰かが乗り継いでくれるならまだまだ元気に走ってくれると思う。ぜひそうあって欲しい、、、
Fuji Xerox DocuPrint C5000 d
友人の印刷屋さんK君から、新しい機種を導入するので古いA3プリンタ要らん?という電話があり、昨日、貰いに行った。
今まで使っていたドラム交換不可のチンケな「使い捨て」A4レーザープリンタと違い、A3レーザーは僕のようなシロートにはおいそれと手を出せるような価格ではないし、まして廉価版ではなくプロ用は、、、
Fuji Xerox DocuPrint C5000 dはメーカーの正価だと税別428,000円!キャビネットや予備トレイ、予備ドラム、トナー等々も付いてきたから50万は下だらない。もっとも、現行機種だけど発売から7年も経ってるので実売価格は半額程度だと思う)
それをタダでくれるんだから喜んでいただいちゃったが、問題はこの機械が値段相応に大きく、重いということ。巨漢のK君と二人でヒィーコラ言いながらクルマに押し込んだ。家に着いて、重い本体は何とか通ったけど、キャビネットは廊下⇒居間のドアの開口部がヤバイ。測ってみたら僅か5mmのクリアランス。ドアを外して慎重に通過。ふう、、、
本当は2階のパソコンのある部屋に置きたいが、どっ散らかってるので、一時、その隣の和室に仮置きか、と考えた。しかし80kgもあるのでタタミに脚がめり込んでしまいそう。それに、クルマの積み下ろしと家に運び込むだけで結構消耗して、もとより持って上がる元気がない。
仕方なく1階の食卓と居間の椅子の間に鎮座ましますことに。お陰で居間の椅子は回転できなくなってしまった。客が来たらなんて思うだろうなあ、、、
追記:
K君からは今度のプリンタ以外にも、昔、発売当時はめっちゃ高級高性能だったLainotype-Hellのスキャナも貰ったし、Wacomのペンタブレットも無期限貸与されてるし、、、おっそろしい額の借りがあるなあ。。。
『沢田教一展 −その視線の先に』
久しぶりに街。それも繁華街の河原町。観光客いっぱいで目まいがする。高島屋でやっている目当ての沢田教一の写真展も結構混んでいて、やはりベトナム戦争を知る世代が多く来ていた。
三沢の米軍基地で駆け出しだった頃の彼自身の姿や妻のポートレート、子守をする子供たちの姿、東京五輪、ロバート・ケネディ来日の取材などなど戦場以外の写真も含め、沢田のカメラマンとしての一生を網羅するような写真展だった。とはいえ展示されたのは必然的にベトナム戦争の写真が主だった。僕の青春時代に彼の地で起きていたことを如実に伝えてくれた、今でもよく憶えている多くの写真が、あれも、これも、沢田の撮ったものだったのだ、と実感した。
有名な『安全への逃避』がピューリッツァー賞を取ったときの報道を今もよく憶えている。新聞で見て、生き延びようと必死で川を渡る家族の顔に見える具体的な恐怖の表情とは裏腹に、『安全への逃避』というどこか日本語離れして抽象的な表現の題名が中学生の僕には違和感があったのと、加えて「ピューリッツァー」という全く馴染みのない賞の名前が奇妙な響きに聞こえたこと、それらの不協和音が不思議に新鮮だったのだ。
彼は僕が二十になる前に戦場で亡くなった。その年、1970年にちょうど英語の授業でロバート・キャパの「Slightly Out of Focus」をクラスで共訳する合宿があり、初めてキャパの代表作である『波の中の兵士』(ノルマンディー上陸作戦)を目にした。その時『安全への逃避』がありありと思い浮かんできたことも、またよく憶えている。
爆撃を受け焼き払われる村から命からがら逃げる無力な女性と子供も、重武装で波間に沈みそうになりながら命を機関銃の弾丸のように消費する戦闘の真っ只中へ突き進む若い兵士も、水から頭だけを出した彼らの姿は、進む方向が真逆なのに僕にはよく似てると思えたのだ。
というようなことを回想しながら、一枚一枚の写真を見て、外へ出たら2時間も経っていた。お陰でいろんなことをすっぽかすハメになったが、かまわない。
しばしのタイムトリップから我に返り、喧騒の河原町を北へ上がって丸善へ向かう。そういや、あの頃もよく丸善の洋書絵本売り場をうろついたもんだ。それが現実逃避の手段だったなあ。。。ああ、10代へのタイムトリップは結構濃かったのに、2時間じゃまだ足りないのか。
同展の高島屋特設サイトは↓(割引クーポンあり)
http://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/sawada.html
旧車 Fiat 500のトレーラー連結検討(番外その3)
午前中にFiat 500の配線を終わらせるつもりが、寝過ごして作業完了は午後の2時半。それから街に出て一仕事こなし、トレーラを引き取りに滋賀県、野洲のUplineTotalServiceについたのは陽も傾いた5時だった。
https://www.facebook.com/UplineTotalService/
昨日までに、Fiat 500でトレーラーを曳くための法的な諸手続きは全て終わり、ナンバーも受け取ってある。ヒッチメンバーも取り付けた。さあ、トレーラーと対面。ちっさ!
チンクもよく街で子供から「ちっさ!」と言われるが、自分もつい口に出てしまった。
ヒッチメンバーに始めから付いていたヨーロッパ仕様のヒッチボールと電気系のカプラーをどうしようか、と思っていたら、トレーラー屋のオヤジ(っても僕より若い)がトレーラーと同じUS仕様のものに取り替えてくれた。規格の合わない台座に苦労してそれらを組み付けて、材料・工賃サービスだって。申し訳ないので取り外した部品を進呈した。
自分でやるのだろうと思っていた作業をオヤジに任せて、フィリピン出身で歌手だったという奥さんとのんきに英語でアレルギー談義。日本に来て15年くらいだそうだが、国ではなかった花粉症がこっちに来て発症したとか、子供さんがピーナッツアレルギーだとか、僕は果物や花粉その他、アレルゲンがてんこ盛りで、エピネフリンの自動注射器を医者から持たされていた、、、と、変な自慢大会になって盛り上がっていた。
オヤジはオヤジで作業しながら、儲かったらいつかフィリピンへ移住してのんびり暮らしたい、という夢か計画か知らんけど、いろんな世間話をしてくれる。奥さんと知り合ったのは沖縄だったとか、、、夫婦そろって南方系なんだ。。。
そうこうしているうちに作業完了。簡単な取扱の説明を受けて、オヤジと奥さんと3人でトレーラーをバックに記念撮影し、いよいよ20数年ぶりのトレーラーを曳いて出発。暮れなずむ琵琶湖大橋を渡り家路に就いた。
途中、事故ることもトラブルもなく、京都市内の用事を二つこなし、晩飯の買い物もして午後9時、無事帰宅。
以上、Fiat 500のトレーラー購入の一件はこれにて終了。メデタシメデタシ。どんどはれ。