屋久島で晴耕雨芸なんて言ってのうのうと暮らしているかと思ったら、聞くと世界中を飛び回り踊りまくっている友人、舞踏家の虫丸くんがたまたま上洛してうちの茶店の二階に泊まっている。
初めて出会った四半世紀前のチベット、ラサのジョカン前広場で、虫さんが白塗り半裸ダンスやらかして暴動寸前になり、宿屋に公安が踏み込んで来る始末。かっこええ!と思ったね。旅行制限地域に潜り込んでいた僕らは、取り調べをのらくらはぐらかす彼の受け答えに、身の危険を忘れて笑い転げたものだ。オマヌケな公安とイタチごっこゲームができる良い時代だった。(もっとも、チベット人にとってはその頃も今も暗黒時代なんだが、、、)
久しぶりの再会。お互い、好々爺のような顔つきになってきたが、虫さんの、どこかひょうひょう、でもどこかふてぶてしい話し方、立ち居振る舞いに昔のあのかっこよさがちらり見えた。初外遊の新疆・チベット以来20数年彼が使っている「天然肉体詩人」の看板はまだまだ背中にかかっているな。。。
An old friend of mine came over from the Island of Yaku off Kyushu. A buto dancer who dubs himself “The Natural Physical Poet”, he has been dancing all over the world ever since his firt overseas performance tour in China’s Xinjang and Tibet, where we accidentally bumped into each other a quarter century ago.
I couldn’t imagine his marriage and becoming of a dad of three kids. He was a man of beautiful physique with daredevil spirit, and once danced among the Tibetan pilgrims swarming in the heart of Lhasa and provoked the police into the consequent raid on the inn where we stay illegally. Tibet then was closed to foreigners and we were not supposed be there. I was simply taken aback.
Time flies and both of us are close to mid 60s. Though slightly thinner than used to be, he still maintains dancable physicality and is actively hopping around not just inside Japan but abroad. Despite of his genial-good-old-man face, I am pretty much impressed by his youthfullness that reminds me of our days in Tibet.
何かのキッカケで思い出す歳になりました。
私はバレエより舞踏派なんですよ。娘にバレエをさせたのは姿勢と脚のためです。今でも綺麗ですよ。あれで、私に似ないで顔が小さければ・・・うんぬんかんぬん。
山海塾は神奈川にいた時に何度か舞台を観ました。
中では「しじま」が大好きです。
ソプラノの友人のために書き下ろした歌詞のトップに使わせていただきました。ヘヘヘ
「流れ行く しじまのなかに 身をゆだねて」
ああぁ、私も思い出したと言うわけです。
私は狭い世間ですが、koujiさんは世界ですものね、魅力いっぱいです。
白塗りと言えば、山海塾にハマッタ時期がありました。
大野さんも観ました。
娘はバレエから(170cmでデカイので途中から舞踏へ・・山海塾の岩下さんに習っていた時期があったんですよ。ああ見えて?そういえば札幌に戻って現実に追われて懐かしむだけになりました。
Chiekoさんvsクマは圧倒的にChiekoさんの勝ちという、僕の勝手なイメージが湧いてくるのですが、舞踏にハマるの図は全く意外でした。(え?娘さんも?あのアメリカにいらっしゃる?)
僕はと言えば、アメリカにいた時から白虎社や山海塾の名前くらいは知っていたけど、25年前にチベットで投稿に書いた虫丸くんと知り合うまで、舞踏とはほぼ縁がありませんでした。その後、北海道に住んでいたときの連れ合いが大学で「暗黒舞踏」について勉強した人で、帯広の身体表現グループの方たちとも付き合いもあり、そういや釧路に時々いらしていた大野さんの公演にもよく彼女に連れて行かれましたっけ。
その人ももう東京に行っちゃって、僕は京都。すっかり舞踏とは縁遠くなったのですが、何年かぶりで虫さんと会って、踊りの、というか演奏とか演技とかも含めて、プロのパフォーマー(演者)という人と初めて繋がりを持ったあのラサでの事件を懐かしく思い出したというわけです。