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After all these decades, somehow they are always around

The following is a translated version of my former post “何十年経っても、なぜかそこに居る” on August 2nd (1st in the U.S.), 2020. In the article, I wrote about my major professor Lyle Laske, who was literally my all-time  “major” influence. Regrettably, my greatest mentor and dearest friend Lyle passed away exactly two years later. I recently received an invitation from his family for a memorial open house to celebrate Lyle’s life– with the message “Bring only your cherished memories to share.” I am afraid I cannot make it to the celebration on time, but I would like to share my memory of Lyle with his daughter Letitia, son Andrew, other family members and friends. In order to do so, I quickly translated the article written in Japanese into English. There could possibly be misspellings an/or mistranslations, but Please be tolerant of such inappropriateness.


Although I don’t fish,  I’ve got a minnow-shaped fishing lure made by a Finnish company called Rapala– the lure that is always around within my reach. (This small-fry-like bait may or may not be of minnow, though)

It was thirty-five years ago or so; my undergrad major professor at Moorhead State Univ. (present MSU at Moorhead) in the States, Mr. Lyle Laske used to take me out to lakes of Minnesota. One day, he took the fishing lure out of his tackle box and gave it to me. He didn’t even mean to drag me into fishing, but just wanted me to know how interesting and beautiful the form of this curtly simple lure was said he.

Ever since, this minnow has never swum in the water but always kept watching me over.

The bird figure– glued on the lid of a handmade  fubako (letter container), diverted from a candy box and simply painted in black– is shaped after the loon, the state bird of Minnesota. After his retirement, my major professor moved to a in the woods, build his own house and has been enjoying fishing and eagerly engaged in wild loon protection. Even before that, I already knew how he loved loons, so that I bought a small figure of loon after him, and made it the handle of the lid of the box that I would keep important documents in.
Both the loon and the minnow are always beside me ever since.

addendum:
No other person who has lived more intellectually and with a corroborate style (in the formal and/or spiritual meanings) than him is known to me.  What I have learned from him, who grew up close to forests and lakes as a son of part-time hunter in Wisconsin, are so much and invaluable. Admiring him for his way of life and wishing to be like him one day, I have lived my life. However, it may end up in an unfulfilled dream… Well, I would like to live, keep trying to be up to it while the minnow’s eyes wide open watch over me (and if I do something wrong, the loon might warn me with its shrill call.)


ゆっこちゃんのお弁当

出町うさぎをやっていたゆっこちゃんが作る体に優しく美味しいベジのお弁当を月に1〜2度、他の大口注文に混ぜてもらって、いただいている。

今までも何度かその記事をアップしてる。今日も暑い中に用事をしていた出先から、高野まで原チャのCiaoを走らせて受け取りに行った。取って返して用事のあったお店に戻り、カフェなのにぬけぬけと「持ち込み」をお願いして食べさせてもらった。お店の主人は気を使って冷えたお茶まで出してくれたけど、我ながらほんと図々しいなと思いつつも、遠慮するでもなく完食。。。ごちそうさま!

昔人形青山K1ドール カフェ

あ、お茶だけでなく、デザートまでいただいちゃったい。

(南国、宮崎から届いたばかりのブランドマンゴー)

関係ないけど、お弁当を受け取るまでの間、ふと周りを見たら街なかで、大きいショッピングセンターのすぐ傍なのに誰もいない、、、。

なんとも不思議な一瞬だった。


ミーコのTシャツ

先月、東京の友人がオリジナルTシャツ展をやった。そんで僕も一着ほしくなって注文していたものが届いた。

その友人、ミーコとは学生の頃からの付き合いで、いちいち経歴は書かないけど、ちょいと僕が外国に行っている間に彼女はある業界で絵筆を持たせたらヲタクも唸る名の知れた職人になっていた(今は筆を使わないデジタルの仕事も手掛けるが、、、)。また、元々が油絵の画家だし、そういや20代の頃は着物の柄を描く仕事もしていたしなあ。。。

それがある時から業界とは別に手描き一品物のTシャツを作るようになった。でも、そのTシャツには彼女の着物の絵付けとセル画特効の手わざと油絵の絵心が全部凝縮されていて、そんじょそこらのシロートの手慰みじゃないから、案内状やSNSの画像で見せてもらったTシャツはどれもはめっちゃ素敵な絵柄だった。1つでいいから欲しいとずっと思ってたけど、その素晴らしさに応じて勿論それなりのお値段。ビンボーな僕にはなかなか手が出なかった。(つっても、暴利を貪ってるって意味じゃなく値段に替えられない価値がある。ただ僕の懐がサムイだけのこと)

久しぶりに個展のお知らせが来ので嬉しくなり、彼女とその作品についてぐだぐだブログ記事を書いているうちにやっぱどうしてもミーコのTシャツが欲しくなった。で、無謀にも「金に糸目をつけないから1着ゆずって」と豪語してしまった。幸いなことに今回からシルクスクリーン印刷のお手軽品も始めたとかで、しかも気に入った絵柄がその中にあったので矢も盾もたまらずポチっ!(いや、通販じゃないんだけどね、、、)

レターパック受け取った30秒後には、もう着ていたよ。どや?6月なのにカンカンに暑い京都に似合うデザインやろ!

『ブタの行水』

いいじゃん、いいじゃん! てな具合で、そのまんまお出かけ。

『ブタの行水』を着るブタ

Le Petit Mec(プチ・メック) 今出川店が毎日営業に戻ってる!

タイトルの通り。いつの頃からだったか週末だけ営業になっていた僕の好きなパン屋(ブーランジェリーと言うべきか)今出川のLe Petit Mecが、月曜に開いているのに気がついた。どうやら先月から毎日開けているらしい。

お友達から「クリスマスプレゼント」と言ってチョコレートスプレッドをいただいた。お礼を言って「クリスマスまでもたないかも」と付け加えたら、「大丈夫!瓶詰めだから」と言う返事。いや、そういう意味じゃないんだけど・ ・ ・「じゃぁクリスマスまで開けないようにしますね」と言って、今帰り道。なぜかプチメックでパンを買う僕・ ・ ・ (from Instagram)
from an Instagram post in the past

固めのパンがどれも美味しいから当たり前だけど、おっされーな人気店で、営業日が減ってからますます客が増え、店の前にあふれるくらいになった。以前、近所に住んでいたときは(めったに食べない)朝食を摂りにたまに行っていたし、パンもしょっちゅう買っていたが、人が増えて足が遠のき、さらに原谷の山ん中に越してからは行く機会が減った。追い打ちをかけてコロナ。

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from a blog post in the past

コロナの付き合い方もぼちぼち身についてきたし、これで毎日営業してくれていたらたまたま通りかかって、ちょっと寄っていこうという気にもなる。別にパンが不味くなったわけじゃないから、ていうか、好みのパンが買えるならまた前のように行くことにしよう。(店内がぎゅうぎゅう詰めだったら引くけどね)

「目は胃袋より大きい」というがそうじゃない人もいる

ちょっとヤンチャそうなアバルトが隣に、、、
FIAT 500

歯医者さんから出たら、チンクを駐車した隣に渋いグレーのボディーに赤いレース用トウフックが目立つ500のアバルトが停まっていた。かっけー! 深ーいおお元に同じデザインコンセプトを持つ歳の離れた姉妹車なのに性能的には天と地ほど全然違うクルマだなあ、、、当たり前だけど。(でも、血は争えない。そこはかとなく似ているのが好もしい。)と思いつつ写真を撮った。

Classic FIAT 500F(顔だけL)とABARTH

この手のリバイバルをやったのはもうディスコンになって久しいVWのニュービートルだった。だいたいこういう奴って最初は気合が入っていて先代へのリスペクトも十分だけど、それがフェイスリフトされるたびにだんだん薄れていく。ニュービートルもやっぱ最初のほうが元の古いBug(日本じゃカブトムシ)のイメージを色濃く残していた。ただ、ニューのあのボテーッとしたスタイルに、どうも触手は動かなかったなあ、、、。(ミネソタに居たころは古い’64年のBugに乗ってたので思い入れがないわけじゃないんだけど、、、)

次に出てきたのがミニ。しかしこれは中身がドイツ車だし、マイナーチェンジするたびに車体が大きくなり、3ナンバーの「ミニ」ってどうよ、と言いたくなる変貌ぶり。昔々、ミニではないが同系統のA seriesエンジンを積んだ昔のMG Midget Mk IIIに乗っていたので、あのすこし野暮ったいOHVエンジンをミニマルなフロントに押し込んだ旧ミニには愛着があったのに、、、。ニューミニは興味が湧かない点ではニュービートル以下だった。(ニュービートル同様、初期の5ナンバーの頃はまだそれなりに古いミニの面影にそつなく丸みを加えたデザインも悪くはなかったが、その後は「ミニ」を名乗る意味があるのか、と言いたい)

で、フランス人は2CVとか復活させないだろうけどイタリア人なら何かやりそう、と思っていた。そしたら自分が旧のFIAT 500に乗るずっと前に、欲しいなあと思わせるキュートなスタイルの新しい三代目FIAT 500をデビューさせよったわ。それもかれこれ15年も前の話。上記2車種と違い、マーケティング戦略でのデザイン上の企図変更に無理がない、というか売らんがなのためぎこちなさが目立たず、良いデザイン、テイストであれば市場は後からついて来る、という見本のようなケレン味のなさ。先代のイメージを崩さず上手にまとめてある。(が、最新のBEVはちょっとねえ、、、)

残念ながら新FIAT 500が出てきた当時は母が健在で彼女のホンダ・フィットを借りて使うことが多かった。しかしそれは弟が持っていってしまい、その後に自分用にホンダのビートに乗っていたが、やがて介護が必要になった母の車椅子などを運ぶことや経済性を考えたら、気がついたときには軽のトールバンがメインの車になっていて、母の世話で手一杯でFIAT 500はしばらく頭から消えていた。(観念して趣味車のビートを処分した3ヶ月後に母が逝ったんけど、それならそうともうちょっと早く言ってよ、とおかんに言いたかったなあ、、、W)

介護を卒業させてもらって、ふと我に返って手元にあるのは使い倒してボロくなったEZワゴン(ワゴンRのOEM)だけ、、、。ようやく自分の趣味に合うクルマに乗りたくなったとき、もうビートは無いし、思い出したのがFIAT 500だった。ところがひょんなことから改造しまくられたせいかお安く出されていた旧チンクを見つけてしまい、うっかりポチってしまったと、、、(老嬢に手を出したらどえらい苦労をするとも知らず W)。

なんで長々とチンクとの出会いプロセスを書いたかと言うと、三代目FIAT 500は自分の好きなクルマとして(Ford GT40とかAustin-Healey Spriteなど実用性皆無の夢クルマは別にして、現実に買うとなれば)いつも選択肢に挙がっていたからだ。しかも、もしもその時点で財布が許すならアバルト595*をおごりたかったわけ。ここまで読まされた方、ああしんど、、、ですね。すんません。(*追記参照のこと)

とまあ、素敵なアバルトに出会ったら、そんなこんなが歯医者さんの駐車場で頭をよぎった。待合室に戻って、そのオーナーの方に「写真を撮っちゃったたけど、ブログ(ここ)に掲載しても良いか」と尋ねたら快諾していただき、ご自身も僕の旧チンクには興味があるので写真を撮りたいと、わざわざ駐車場まで出てこられた。ちょっとの間だったけどリアルチャットを交わしたらなんと、ランチャのデルタにもお乗りだとか。アバルトでも結構とんがってるのに、、、ヤンチャなランチャとは。。。(オヤジダジャレかい?笑)。僕は特段ラリーに詳しくもないけど、今どきのヤリスはともかく、ランエボやデルタという名前を聞けばそれが何かくらいは判る。そういうマッチョ系のクルマに乗りながら、なのにイケイケ感のない素敵な女性だった。

(女性といえば、、、僕はまた「やっちまった」なのだった。常々、ジェンダー偏見について気をつけているつもりなのだが、歯医者の待合室に居た人の中で男性は一人だったので、アバルトのオーナーは男性だと決めてかかってその人に尋ねたのだった。そしたら人違い。振り向くと笑顔の女性が手を上げて「私のです」って。何食わぬ顔で「あ、そうですか」と言ったものの、その瞬間、僕はどんな顔をしていたのだろうか。恥ずかしいことだ。)


追記:初稿では本文中に件のアバルトを「595」と表記してしまったが、それは僕の思い込みだった。実際は「アバルトの500 esseesse(マ々)」であるとオーナーさんからご指摘をいただいた。訂正済み。自分の欲しい595(695でもいいんだけど)は初期にアバルト500と呼ばれていて、595に呼称統一されたのは5年ほど前のようだ。だから昔に見かけた(新しい500ベースの)アバルトたちは「595」ではなかったことになる。記憶を新しい呼称でレトロフィットしてしまっていたようだ。名前はともかく、好きなクルマに変わりはない。

ちなみに、、、、アバルトではないが、TwinAirという2気筒のエンジンを積んだ新500も嫌いじゃない。本文で書いたように、ビートル、ミニと比べて、500が最も上手く旧からデザインを引き継いでいて、車体サイズも小ぶりなまま。そこに(流石に空冷ではないけど)2気筒という現代の自動車には普通、思いつかないエンジンを持ってくるって、徹底したオマージュぶりじゃないか。同じエンジンを積んだPandaに乗った事があるが、独特の音と振動が心地よく、900ccでも十分元気だったから、500のツインエアもさぞ面白いことだろう。(ちなみに、のちなみに、、、Pandaの最初期型は旧500の最終型の2気筒エンジンの直系を積んでいたから、パンダのツインエアも、ちゃんと意味のあることなのだった。どうでもいいけど)