「Kungsleden」カテゴリーアーカイブ

Kugsleden Kitchen Brush

While in Scandinavia, not just at the kitchens of Kungsleden mountain huts, I often saw and used brushes to do dishes. I kinda felt uncomfortable with using a brush in the beginning, but as I got used to it, I found it handy.
スカンジナビアで使ったキッチンブラシ、始めは慣れなかったけど、なかなか便利。
Real brush allegedly of “Swedish Royal Warrant”
スウェーデン王室御用達のブラシ

The other day, I saw a very similar brush in a 100-yen shop (99¢ shop), reached for it and found out it actually was a toilet brush, of which the handle was only slightly longer.
百均で、ちょっと柄の長い似たようなのを見つけたけど、それは便所ブラシだった。

I hesitated for a moment but bought it anyway. Back in my kitchen, it turned out to be too long for using in the sink. I decided to cut it short. Here are the photos of what I did…
一瞬躊躇したけど、買っちゃった。でも、シンクで使うにゃちょっと長すぎ。そんで、柄をちょん切った。以下、作業の写真。

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Cut off a part of the handle, and melted the cross sections. With a piece of wood as a jig to align the parts straight in line, put the molten ends together to weld. 柄を短く切り、断面を溶かし、木っ端は添え木にして接合する。
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Waited until the molten plastic hardens. 冷えて固まるまで待つ。
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To strengthen the joint, poured molten plastic into the groove of the handle. 補強のために溶けたプラスチックを溝に流し込む。
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Shaved off the excess plastic on the handle. 余分な出っ張りを削る。
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With sanding paper and polishing compound, smoothed out the rough surface of the handle. ペーパーと研磨剤で磨く。
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Well, it’s working! Looks exactly like the ones I used in Scandinavia. Who can tell it actually WAS a TOILET BRUSH? おお便利。スカンジナビアで使ったのとおんなじじゃん。便器ブラシに見えます?

追記:

その後、溶接部分が折れたので、補強のために始めに入れて、取り外した木の棒をもう一度、柄の中にもどし、ステンレスの木ネジで留めた。


映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その2

トレッキング中にそれほど大勢の人には会わなかったけれど、山小屋に立ち寄ったときなどには、小屋の管理人さんや他のトレッカーたちから、なぜこんな遠いところまで来たのか、と訊かれた。その度に、映画「Kungsleden(太陽のかけら)」を観たからだと答えたが誰もそんな映画のことなど知らなかった。

50年も前のマイナーな映画など簡単に忘れられてしまうのだな。。。と残念に思いながら歩き続けた。

今回のトレッキングでは山岳ステーションも含めて15ヶ所の山小屋に立ち寄ったり泊まったりしたが、Kungsledenの旅も終わりに近づいた13番めのアーレスヤウレという山小屋まで来た時にやっと映画を観たという人に出会えた。それは小屋の管理人さんで、僕より少し歳上と思われるインゲル-リーゼという女性だった。彼女曰く「まだ山小屋で仕事をするなんて夢にも思わない頃だったのでストーリーはよく憶えていない。ただ、風景がとても美しかったのははっきり記憶に残ってる」とか。

僕はもう舞い上がってしまった。Kungsledenへは人に会いに来たわけじゃない、わざわざオフシーズンを選んで、むしろトレイルで人がいないのを喜んでいたはずなのに、同じ映画を観た人が目の前にいると思うと、、、多分、僕は嬉しくてくちゃくちゃの顔をして笑っていただろうな。インゲル-リーゼさんも同じように喜んでくれた。

それだけではなかった。インゲル-リーゼさんが僕の興奮醒めやらないうちに、「あなたに見せたいものがある」と追い打ちをかけるように言った。「ここには毎年のようにやってくる一人の日本人がいて、彼はその映画を観て感動し、映画のあらゆることを調べ、こうやって資料を残してくれている」と紙が一杯詰まった分厚いファイルケースを2冊取り出した。そして「お貸しするから、今夜はゆっくりこれを読んでみて」と手渡してくれた。

その人は大久保信夫さんという方で、この20年間、毎年アーレスヤウレに来ては長い時は数週間滞在し、この辺りでは『伝説の人』だとか。彼は映画の舞台となったKungsleden北部一帯を歩いて、なんと映画のシーンから実際の撮影場所を特定されている。ファイルの中に映画の場面との大久保さんが撮った比較写真が何枚か並べられて、手書きの地図や説明も添えられていた。また、現地調査だけでなく、日本公開のために付け加えられたサウンドトラックのBGMについても調べられていて、楽譜や後に作られた歌詞に至るまで、コピーされた資料がどっさり。。。

さらに嬉しかったのは、パンフレットや雑誌での紹介記事のコピーがあったこと。公開当時僕はまだ中学生で何とか映画の入場料は捻出できても、いつもパンフレットを買えたわけではなかった。表紙のカラーコピー、解説やあらすじ、、、見たかったもの、読みたかったもの(それも日本語の!)がまさかこのKungsledenの山小屋で待っていたとは!!!

インゲル-リーゼさんが「残念なことに今年は大久保さんは来なかった。去年は来たんだけれど、、、」と教えてくれた。何があったのかは判らないが、もうあと3日でこの辺の山小屋は閉まってしまうから、今年はもう来られないだろうとのこと。僕も会えなくて残念。

「もしも大久保さんに何かがあって、今後も来られないことになったら、あなたが代わりに『伝説の人』になりなさい」という冗談をインゲル-リーゼさんだけでなく、次のアビスコヤウレの小屋でも彼に会った人たちから言われた。そのうちの一人はまだ二十歳そこそこのアメリカ人青年で、去年アーレスヤウレで大久保さんに出会い、その後日本に行った時、大久保さんの家を訪ねたこともあるとのこと。彼はアメリカに帰ったら住所を調べて送ってくれると言ってくれた。

山小屋を管理するSTF(スウェーデン旅行協会)は個人情報である大久保さんの住所などの連絡先を教える訳にはいかない。が、インゲル-リーゼさんは、大久保さんと長年個人的なつながりのある管理人仲間がいて、その人から「友人」の情報としてなら聞いておいてあげられるからメールする、と約束してくれた。

日本に帰りしばらくしたら、アメリカからの知らせより早くスウェーデンから住所が届いた。メールのフォントなのに判読に若干の問題があった。「・・・Yach 140-cho」とある。何かおかしい。。。

それが「Yachiyo-cho」だと解るまで少し戸惑ったが、、、欧米人の書く4は上の角所がかなり離れていて、横画の右端は縦棒から右へは出ない。そうすると「y」に見えないこともない。1は「i」と取り違えがちだし、、、(笑)

手書き文字読み違い→テキスト変換間違いの謎を解いて、大久保さんに手紙を書いたら、折り返し電話をいただいた。その後のやりとりで、来週、茨城県のお宅へお邪魔させていたくことになった。

大久保さんは、ストックホルムにあるスウェーデン・フィルム・インスティチュートで特別に彼ひとりだけのために「Kungsleden」を上映してもらい、オフィシャルにビデオコピーまで入手されている。おそらく、撮影シーンの特定にそのビデオを何度も何度も観られたに違いない。もう僕のような一丁噛みとは比べ物にならない情熱。恐れ入りました。。。

繰り返し観られた大久保さんは、主人公の幻想と現実が入り混じり、過去と現在が交錯するストーリーをどのように解釈されているのだろうか。。。

僕はKungsledenのトレッキングトレイルを忠実に辿っただけだが、大久保さんは長年繰り返し訪れるうちにバリエーションルートもたくさん歩かれている。僕が遠くから眺めただけのスウェーデン最高峰ケブネカイセにも登頂されている。僕の行けなかった場所、知らない景色などの地理的なお話しを伺うのが楽しみだし、第二次大戦中のスウェーデンとドイツの関係、さらにはユダヤ人やラップ人と呼ばれたサーミ人との関わりなど映画の歴史的、文化的背景について、お聞きしたいことが山ほどある。。。

かつて、こんなかたちで人を訪問したことなど一度もなかった。だからお会いするのが楽しみのような、怖いような、、、、

——

追記:大久保さんが今年Kungsledenに来られなかったのは、病気や高齢による体力低下などではなく、この夏中は車で四国を廻り、山も登っていたからだとか。一昨年、アーレスヤウレのスタッフにその旨を伝えてあったはずだけど、、、とのこと。

「ビデオも音楽もあるし、写真もや楽譜、見たいものがあれば何でも見せてあげますよ」と言ってもらえた。気さくな方で、少しホッとした。

僕の「太陽のかけら」を探す旅も大詰めに近づいている。


映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その1

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KungsledenとはKing’s Trail、つまり王の小道。ガイドブックなどでは「王様の散歩道」などと訳される。しかしTrailとは踏み分け道のことだから歩く道には違いないが「散歩」などという響きはどこにもない。実際、スウェーデンで100年以上の歴史を持つトレッキングロードであり、よく整備されていて難しい登山技術や装備は必要ないが、決してぶらぶらと散歩するような遊歩道ではない。

さて、僕が映画「太陽のかけら」(原題”Kungsleden”)を観たのは中学3年生のころで、すでにその頃から独りで京都北山を歩くのが好きだったから、外国の山歩きの映画を観ようと、やはりハイキング好きの同級生や一緒によく映画を見た(後で述べる別の下心ありの)友人たちと誘い合わせて出かけていった。

映画の公開当時(50年前)はトレッキングという言葉は日本ではまだ使われていなかったし、また、日本で山歩きといえばほぼ必然的に、高低にかかわらず山の頂を目指す登山ということになっていた。当時の北山は笹が多く藪漕ぎが当たり前だったから、まさに視界を遮る緑の中に分け入るように登ったものだ。森林限界より上の岩肌が露出したトレイルを歩こうというのなら、中部地方の日本アルプスや北海道の大雪山系に登らないといけないが、京都の中学生の僕にはまだまだ遠いところだった。

しかしこの映画では、氷河の削った裸の岩稜の下、樹木の生えない広々としたU字谷の底に延びる比較的平坦なトレイルを山小屋に泊まりながら主人公が歩く。その情景は僕にとって非常に衝撃的であり、たちまち憧憬の対象として脳裏に焼き付いてしまった。

ただ、正直に白状すると、毎朝のように鼻血を出すようなエネルギーの溜まりまくったガキだった僕も、ハイキングや映画好きの同級生たちも、映画「太陽のかけら」鑑賞の目的の半分は「どうやらセックスシーンがあり、しかも18歳未満の入場制限がないらしい!」という、全くもって不純なものだった。

当時、うちは喫茶店をやっていて、店には「平凡パンチ」という青年向け週刊誌が置いてあった。週が変わると古い号をもらって部屋に溜め込んでいたので、よく同級生が何人も部屋に来ては記事を読みつつ、ちらちらとヌードのグラビアを鑑賞したものだ。それが、動く映画の画面で見れるとなれば、小遣い叩いてでも行こうということになるね。。。その頃の大人だって、今から思えばオボコいもんで、スウェーデン=フリーセックス、スウェーデン映画=ポルノ映画(ポルノって言葉もあったかどうか、、、「ブルーフィルム」だったか?)くらいの認識しかなかったはず。

しかし大いなる期待に反して、残念ながら(笑)「太陽のかけら」で肝心のシーンはカットこそされていないものの、フィルムのネガ・ポジを反転して何が何だか判らない映像となっていた。。。そりゃ、18未満OKにもなるな、、、。

それでも、その邪な期待のガッカリを補って余りある映画全編にわたるKungsledenの雄大な景色に、心底しびれて帰った。

いつか、あの道を歩きたい。。。

そう思ってから早50年!!! その間、何をやっていたんだろ?いや、実は高校生になって間もなくの頃に渡欧(もちろん目的地はスウェーデン)を目論んだことはある。ただ、まともにヨーロッパまで飛行機で行けばたしか片道で27、8万円だったと思う。当時の27万円は今ならいくらなんだろう。ともかく、とてもじゃないけど高校生には無理。シベリア鉄道なら安いだろうと調べてみたら、旧ソ連時代はウラジオストクが軍港で閉鎖都市だったのでナホトカまで不定期の貨客船で行き、飛行機に乗り換えてハバロフスク、そこからやっと鉄道でモスクワへという「パック旅行」しか切符の手配ができず、10万円くらいの値段が付いていた。。。しかも帰りは別料金。。。

普段ダラダラしてる僕は、今日思い立ったら(好きなことだけは)明日にも行動したい、そういう性格なので、用意周到に計画したり、そのために地道に貯金をするなんでことが出来る人間じゃない。もとより努力などしないから、たちまちシベリア鉄道による渡欧計画は頓挫し、いつの間にかKungsledenの小径は夢の中で彷徨うだけのまぼろしとなってしまった。

その後、半世紀を経て映画の舞台となったKungsledenの半分弱を歩くことになった。それについてはこのブログで8月22日以降に大量のテキストと写真をポストしている。
(Kungsledenの旅 目次)

肝心の映画については、DVDを入手したがスウェーデンのものなので当然字幕はなく、セリフの理解は不可能。ただ、50年前に観たときはまだ青二才のガキだったけど、複雑に交錯する過去と現在、現実と幻想の入り混じったストーリー展開の割にはよく憶えている。しかしそれをここに書き出すのは難しい、、、と思っていたら、救う神あり。下記のサイトには、パンフのあらすじに観た人の記憶を元に書き加えた、かなり正確な描写の文章が載っているので参考にされたい。

武蔵野日和下駄
http://d.hatena.ne.jp/toumeioj3/20080121/p1

次回は「その2」として、映画の面影を求めて訪れたKungsledenで思わぬ「すれ違い」が待っていた、という話。

P.S. 下の写真の末尾にYoutubeで見つけた映画「Kungsleden」のトレーラー動画を埋め込んである。何故か白黒だけど、、、しかも暴力的なシーン。。。この場面は重要だけど、もうちょっと違うイメージの映画だ、と付け加えておく必要がある。。。

さらに、もうひとつ、、、公開時に日本では独自に(勝手に?)バックグラウンドの音楽が差し替えられていた。もしも、この映画を記憶している人がいたら、おそらくこの動画とは違う曲(アルトサックスだかクラリネットだか、、、哀愁のあるメロディーだった)が耳に残っていることだろう。

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Youtube動画↓は(1954)となっているが(1964)の間違い。

 


Day XX / 1019

It’s been already ten days since I stumbled out from a boarding bridge of the Boeing 787 that brought me back to Japan. However, my heart still remains wandering on the Kungsleden trail up on the northern Swedish fells… Thanks to jet lag, I cannot shake off a feeling that the scenery in which I am now is of an unreal daydream, and all these Kungsleden dreams– that I have been continually having during the nights since my return home– seem so real.

I miss Kungsleden, but at the same time I love the weird feeling as if I were living in an “exotic land”,  though I AM acturally back in my home country– hey, it’s a free trip to Japan that lasts forever! say I to myself.

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When getting off the trans-Siberian train, Akbar, my new friend left me some food including candies, which I would eat on the trekking trail. Last week, I just found two of them still left in the backpack…
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The candy tasted good after all those days.
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I sent back the Eurail Pass cover on which I recorded my boardings on the trains I took in Scandinavia.
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The dusk view of the Kamogawa river looks unreal to me and makes me feel as if I am still traveling abroad.
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It’s fall (autumn). A fallen chest nut’s burred case will make me know it’s real, if I step on it.
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Setaria viridis, I prefer to call them green foxtails, especially when they become brown in the fall.
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The sky is full of autumnal clouds but the phoenix tree and the crisscrossed power lines remind me of foreign countries in the South… like Mexico or Thailand or somewhere out there– this is my house’s neighborhood. though.
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Chocolate cake and a Chinese meat bun… and of course Japanese bancha tea.
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Hey, my bedroom is really a “room with a view”!

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A tiny torii gate situated on a rock on the riverbed of Hanase district.
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A rice drying rack in Kuta village. The drying racks of this type– with the bored posts– were seen everywhere in Kuta when I was a kid but rarely found today.
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And of course, the thatched roof is also hard to find anymore. Glad to know that this house has got a newly thatched roof if just a part of it.

 


思春期 Puberty

2016-09-27-17-44-11スウェーデンでKungsledenを歩いた後は物見遊山のオマケ旅のはずだった。だからノルウェーは、スカンジナビアのユーレイルパスがあるから、といった程度の「ついでに来た」国で、もっと言うなら、ドイツの友だちを訪ねるために南下する単なる通過ルート。ところがどうだ。。。日本を出るときには頭の片隅にも無かった季節はずれ(ここがミソね)のロフォーテン諸島とオスロの博物館・美術館は(個人的な趣味という意味で)大当たりじゃん!!!

オスロに来るほんの少し前、のんびり海を眺めたロフォーテン諸島での5日間でも未だそんなことは思いもよらず、まして博物館と美術館に行くためにここでの滞在をまた3日に伸ばすなんて考えもしなかった。。。

博物館で、実際に使われ後に埋葬に供されたバイキングの船やナンセンやアムンゼンが極地探検に使ったフラム号、太平洋を航海したバルサ筏のコンチキ号を見ると、この国が大昔から今に続く海の国だと知らしめられる。いや、その前からこの国の船については色々と興味をそそられていたから、オスロに着いてすぐ地図でこれらの博物館をみつけて観に行く段取りをした。そのことは前の投稿で少し書いた。

ところが、地図を見ていたら街の真ん中にムンク美術館と国立ギャラリー(美術館)もあって、ああ、これも行かないと、、、と。。。ともかく、オスロに着くまでムンクがノルウェーの画家だということもすっかり忘れていた。ていうか、ムンクのムの字も頭になかった。

で、ムンク美術館と国立ギャラリーのムンク部屋に行ってきた。後者では「思春期」の少女と再会。ベタにムンクと言えば「叫び」だけど、僕にとっては二十歳のときに彼女と出会って以来、この作品がダントツ。2016-09-27-17-47-44-hdrmod

45年前に初めて見た時、見開いた眼で僕をなじるような少女の視線は衝撃だった。でも彼女に責められる理由は解らなかった、、、。

彼女の背後に寄り添う不気味な影は、初潮を期に身体と心の変化を迎えた思春期の少女の不安を表しているとよく言われるが、ただそれだけのことをムンクがシンプルに扱うはずがない。彼の常套モチーフとしての血や吸血鬼をこの絵では描かず、観るものを安堵させておいて、イミジャリーの外に在るものを逆に意識させてる。が、まあ二十歳のときにはそんなこと考えもしなかった。

思いがけずの邂逅ではっきり見えたものもある。この黒い影の中に塗り込められた顔、、、苦しそうに、喘ぐように口を開き、上目遣いに虚空を睨んでいる。これは誰だろう。。。

今思うに、二十歳といえば思春期を過ぎてまだそう遠くない時期なのに、もう既にその時の僕は彼女との共通項を失っていたのだろう。汚れちまつた悲しみも何も感じることのない、ノーテンキな大人に成り下がっていたにちがいない。

だから 彼女から「お前のような者の住む世界には行きたくもない」と言われてしまったんだな、きっと。しかし僕は責められる理由もわからない情けない半大人だった。

彼女は自分の変化に恐れ戦いているだけなのかもしれない。しかし、その表情、とりわけ視線が、ノーテンキのくせにどこか後ろめたい二十歳の僕にとっては刺すように痛かった。(ちなみに、影の中の顔は、当時の僕にも見えていたような気もするが、後付けの記憶かもしれない、、、いずれにしても、あの時は視線を痛みとして感じるほうが勝ていた。)

15歳の時に映画「太陽のかけら」を観て、純粋に、、、というか単純にKungsledenの風景に憧れ、僕より少し年上の青年と更にもう少し年上の女性とのぎこちなく不安定な恋愛や、大人になった青年の追憶の旅を「かっこいい」と感違いしてスウェーデンへ行くことを夢見た。

はたして50年後にKungsledenを歩いてみて、その映画の背景にあるスウェーデンの戦争への関わりや悔悟、ストーリーの行間に埋め込まれたユダヤ、サーミのことなどが、僕なりの解釈ではあるけれど、ある纏まりをもって帰結した。

しかし「思春期」の少女がいずれ否応なしに背負う(または取り込み、取り込まれる)であろう不可解で不気味なモノ、つまりアレゴリーとしてムンクが描いたどす黒い影のイコノロジカルな解釈は、まだ僕にはできない。ていうか、一生できないだろう。

幼少期から社会に上手く適合できない子どもだったうえに、さらに思春期の心と身体のアンバランスにより生み出された不可解で不気味な不安はムンクが抱えていた心の問題ほどではないにしろ、僕にもたしかにあった。

僕自身がそれを飲み込んでしまう前ならムンクの意図をこの少女とその影を通して客観的に観察できたかもしれないが十代の僕には荷が重すぎただろう。絵を観た二十歳の時はすでに僕自身の「旬」を過ぎて眼は濁り感性は鈍り始めていて、かろうじて痛みとしてだけ受け止められた。今ならあれこれ解釈する力は有るかもしれないが、こんどは、観察者である僕自身がすでにどろどろを呑み込み観察対象と同質化してしまっていて、客観的なイコノロジー解析は不可能じゃん。。。

なんて、空虚な堂々巡りの対話を自分と、そして絵の中の少女と交わしているうちに国立ギャラリーの閉館時間になってしまった。

本当に「青春」とか「思春期」と呼べる短い期間の初期に観た映画が元で始めた旅を、まさにその期間が終わり大人の入り口に足を踏み入れようとする時に観た絵画と再会して締めくくることになるとは、、、