「旅」カテゴリーアーカイブ


Fiat 500 Abarth

ちょっと古い、数年前のCMだけど、、、

とりわけアバルトが好きなわけじゃないんだけど、、、

特にMの気があるという質でもないんだけど、、、

サソリのタトゥーのお姉さんにしばかれたたいとも思わないんだけど、、、

つか、イタリア娘、うちに二人も居るし、、、懲りてるはずなのになあ、、、 ついつい、こういうCMに目が眩む。

「なに見てんのよっ!ええっ?」

「どこ見てんのさ!」

 バシッ!

「いやらしい目線でドレス脱がせて、中身を想像してたでしょっ!」

「かわいそうに、我慢できないのね、、、」

「あら、こんなにドキドキしてるわ」

「頭の中もグルグル回って、、、」

「もう何もわかんなくなってる、、、
  私が永遠に自分のものになるって思いながら、、、」

・・・・・

Fiat 500 アバルト
初めての出会いを忘れられない。


友人の一家、ザ・バクマイズ

さおとちゃん(人物) と あもちゃん(楽器)の合作、ザ・バクマイズ手ぬぐい。

昔、「沖縄に向かって」北海道から小さな古い軽四で、助手席の膝の上までナベを載せてうちにやって来た若いカップルは、しばらく僕の西陣の家に居候したあと、そのまま京都に居着いて美味しいスープ屋さんの店を出した。

時は流れ、女の子が生まれ、彼らは何故か沖縄とは逆方向の岐阜に引っ越して、そこでもまたお店を始めて、二人目の女の子が生まれ、またこの春には三人目も、、、

僕が十勝にいた頃、お母さんはいつも元気に大声張り上げて歌ってる田舎の高校生だった。札幌出身のお父さんはG. ハリスンを尊敬するギタリスト。そこに生まれた子どもたちはバンドをやるのは必然だった、と。。。

先日、京都西院のライブハウス「ネガポジ」で初めて生で彼らの演奏を聞いた。理屈抜き、バクマイズ?にパワフルで、メッチャメチャ楽しかった。ライブの様子は許可をもらってYoutubeにアップしてある。(あもちゃん、さおとちゃん、真剣っ!)

その夜、彼らにとって京都の最初の家だった西陣のうちの二階に泊めてあげたら、お礼にと手ぬぐいとCDをもらった。


ガモフとの邂逅

ガモフはロシア生まれのアメリカ人物理学者だけど、東北地方のある地域ではうっかり口に出せない名前であるとか、ないとか、、、しかし京都人の僕にその意味は判らない。(フェラガモもいけないらしい、、、)

それはともかく、ジョージ・ガモフのことを知ったのは中学生の頃。京都の三条にあったアメリカ文化センターという、米国商務省の宣伝広報機関に併設された図書館に出入りして、メカ好き少年や飛行機小僧向けのPopular Mechanics、Aviation Week、ボーイスカウト向けのBoy’s Lifeなど珍しいアメリカの雑誌を飽かず「眺め」たものだ。(英語、読めんかったもんね、、、)

J.F. ケネディーが大統領だったころだ。。。アメリカ経済がベトナム戦争で疲弊する前で、アメリカ文化センターも潤沢に予算があったのだろう。図書館の書架には雑誌だけでなく、政治経済、科学技術、芸術文化、文学などの入門書から専門書まで、原書訳本取り混ぜて並んでいた。

その中に『ガモフ全集』という分厚くて黒い重厚な装丁の本が十数冊、セットで置いてあった。巻を取っ替え引っ替えランダムに取り出して、恐る恐る開いて読んでみたが日本語なのにちんぷんかんぷんだった。後に大人になってから読んだ『ファインマン物理学』のほうがまだ理解できた。まあ、勉強嫌いな劣等生だった中学生の僕に『ガモフ全集』は難しすぎた。それに懲りてガモフについては以後触手をのばすことはなかった。(あの敗北感は決して忘れることはなかったが、、、、)

昨年12月、大学院で宇宙物理をやっていた友人に「ガモフってどんな人?」っていう、まるで子供みたいな質問をしたら『不思議の国のトムキンス』という一般人向けの物理学啓蒙読み物を書いた人、と教えてくれた。ガモフはビッグバン理論の黎明期に関わった高名な学者だって。友人は、ビッグバン理論を支えた「アルファ・ベータ・ガンマ理論(α-β-γ理論)」という言葉も出してきたが、相変わらずちんぷんかんぷんのまま。。。(ただ、後から。α-β-γ理論の研究を論文化する時のエピソードなんかを知ったらガモフっておちゃめ、って思う)

帰ってから一般向け入門書の『不思議の国のトムキンス』くらいなら平易で読めそうかなと調べてみたら、なんと、それはあの『ガモフ全集』に収められていたんだって。全然憶えてない。十数巻もある全集を網羅して読んでいたら行き当たっていたかも。。。と思って、古書を当たってみたら全集の他の話もまとめて『トムキンスの冒険』とされた訳本をヤフオクで見つけた。全く競ることなく程度の良い一冊を落とすことができた。

実際手にとってみたら、『不思議の国のトムキンス』初版は戦前だったから、戦後の翻訳とはいえ文章の表現は古めかしい。中学生だった僕が『ガモフ全集』の中でこの話に行き当たっていたとしても、おそらく数ページも行かずに投げ出したことだろう。でも、あれから幾らも賢くなったとは言えないにしても、今なら湯水のように時間はあるし、根気だって少しはましになっている。四、五百ページはありそうだけど、パラパラめくってみたらそれなりに面白く読めそうな感じ。

今さら物理学を「啓蒙」されたくもないけど、半世紀も前のやり残しを反芻する、、、っての、どこかでやったなあ、、、(そっか、、、昨秋に行ったスウェーデンへの旅も、そういや中三の時に観た映画『Kungsleden』の舞台の地を訪ねるセンチメンタルジャーニーだったしなあ、、、)


ひだまり、、、

五辻の「ひだまり」がひっそり閉店していた。それも昨年末に。

何年か前、お気に入りだったカイラス食堂の閉店に尋常じゃないショックを受けた。あの時は友達と店のガラスに張られた「ありがとう。カイラス食堂」という別のお客のメッセージを見て、すぐには閉店していると気付かなかった。家に帰って胸騒ぎがしてネットで調べて初めて、もうあのまったりした時間と空間は戻らないんだなと、、、。その遅発性の喪失感はただものじゃなかった。

カイラス食堂の前を通りかかり店が開いてない事に気づいたけど、きっと気ままなお休みを取ってるんだろうと僕はそのまま車を走らせた。一緒にいた遠来の友人が「なんか紙が貼ってあって、気になるから戻ってください」と言い、ぐるっと回って先の謎の張り紙を見つけたんだった。

さっきその友人から東京から「ひだまりを京都に行った友達に紹介したけどその人は見つけられなかった。ちょっとイヤな予感がするので見てきてほしい」との連絡があった。

彼の予感は当たっていた。見に行くまでもない。ネットにはいくつかの情報が上がっている。
https://webgram.co/p/BPojX46A3P1
すぐに件の友人にメールを書いた。また時を置かず返事が来た。彼は僕たちのお気に入りの店がどんどん無くなっていくことを嘆く、「次はどこで寛いだらいいのか」って。

カイラス食堂のときも、今回のひだまりも、その友人はたまたま京都に来ていて閉店のほんの一週間かそこら前に、僕も一緒に「いつも通り」のんびり、だらだら、まったりをキメこんでいた。鉄道の廃線や列車の廃止に群がる葬式テツみたいなことはしたくないが、、、終わる前に行けてよかったのかも。。。いや、そんなこと慰めにもならないな。。。やっぱりショックだ。

カイラス食堂、タコ焼六ちゃん、ともゑ食堂、みたらし団子の日栄堂、西大路のうどん屋台、、、喫茶静香は再開したけどおばちゃんは施設に入っちゃったし、、、そんで、今度はひだまり。。。どんどん滅びていく。

中でもカイラスとひだまりは別格に寛げた。ほんとに、次はどこへ行ってダラダラしたらいいんだ。。。

一週間後に閉店とは知らず、寛ぐ友人
ひだまりの野菜カレー。これでワンコイン。しかも美味い!