「旅」カテゴリーアーカイブ

「プレミアムカフェ 中国・世界最大の里帰り」

先日みたNHKの番組。

春節(中国の正月)直前の広州駅と列車内の様子。僕は中国国内で春節の大移動に行き当たったことはないけど、切符を求めて窓口に殺到する人波をかき分け、やっと手に入れた後、くたびれ果てて駅前広場で地べたに座り、鉄柵にもたれて、同じように列車を待つ中国の人たちと一緒に丸一日過ごしたことは何回もある。改札が始まったら我先にプラットフォームを走り押し合いへし合いで席を取り、ぎゅう詰めの客車内で北京からモンゴル、上海から昆明、烏魯木斉から北京と、幾度も何十時間の長旅をしたことも。。。僕の経験したものより更に百倍すごい人混みの渦巻くテレビの画面を見ていたら、中国の記憶が生々しく蘇ってきた。(汗) (@_@;)

今は聞かなくなったが僕が子供の頃には「出稼ぎ」という言葉があり、雪深い東北地方などから作物の実らない冬期の農家の余剰労働人口を季節労働者として大都市が吸収していた。春節の里帰りで移動する中国の人たちの多くが農民工と呼ばれ、あの広大な国の農村地域から大都市への出稼ぎに来た労働者。ただ彼らの多くは季節労働者ではなく、小さなアパートなどで家庭を持ち都市部に定住している。それでも春節には渡り鳥のように生まれ故郷を目指す。戦後の高度経済成長時期に日本人が通ってきた道とどこか似ている。

日本でもかつては正月前後に故郷へ里帰りするものすごい人数の客をさばくため国鉄が年末年始に「帰省列車」というものを走らせていた時代があった。定員を遥かに超える乗車率で身動きが取れない夜行列車内で、集団就職から何年も経っていないようなオボコイ顔立ちの若者がトランプに興じていたり、いかにも出稼ぎという風情の田舎のオッチャン達が酒を酌み交わし、賑やかに手拍子打ちながら演歌や故郷の民謡を唄っている様子をニュースでよく見たものだ。90年代に何度か行った中国の旅で僕が出会った人たちも、春節のテレビ番組の中に映っていた今から8年前の人たちも、恐ろしいような座席争奪狂騒が一段落した後は、おせっかいで好奇心旺盛でやかましく、いきいきと楽しく語り合い、スシ詰めの厳しい状況の車内でも思いやり、助け合っていたが。。。はて、さらに経済成長が進んだ現在の中国ではどうなんだろう。今も駅で、列車の中で、同じような混雑と喧騒が渦巻いているのだろうか。そして人も変わりはないのだろうか。

そういや長らく中国旅行をしていない。中国の人たちと疎遠になって、このごろは文化や習慣の違いや政治、経済、民族問題などを考えていると、僕もつい「やれやれ、中国人は困ったもんだ、、、」と悪態つきそうになる。もちろん、そういった問題で意見が相容れない人たちもいるだろうし、中国人みんながみんな良い人達だいうつもりはないが、、、でも、それは中国に限ったことではない。あんな酷い「大統領」が選ばれてしまうトンデモな国だってあれで良しとする人ばっかりじゃないし、選んだ人たちだって別に狂ってるわけじゃないだろうし、振り返ってみれば自分のこの国だって同じこと。ともすればついつい国というくくりで外国人、外国文化を見てしまいがちだけど、心して別けて考えるようにしないとな。。。

デッキも通路も座席もぎゅうぎゅうの列車内で、人をかき分けて弁当を車内販売をするのが映っていた。発泡スチロールの四角い容器に詰めたご飯の上にお玉でオカズを載せてくれるぶっ掛けメシ。僕もよくお世話になった(衛生面で問題があることもあったけど、、、)。さすがに列車の車内販売のようにその場でぶっかけてはいなかったが、90年代初期の中国では旅客機でもほぼ同じような食事が出されることがあった。この番組の撮影は北京オリンピックの翌年だったから、9年経った今はもうあんな素朴な弁当は無くなっているだろうと思っていたから、画面に映ったときは「おおっ!」と言ってしまった。う~ん、これも変わってほしくないな。。。次、行った時も食いたいなあ。。。


無為徒食

ああ、今年も元旦からぐうたらしてるうちに日が暮れた。。。いつも通り何も変わらず、また無為に一日が過ぎていく。

そこで、思い立ってひと歩き。 で、気がついたら7kmも歩いちゃってるし、、、


What I Ate Recently

これでは体重が落ちるわけがない。。。


ホンダのウィンカーリレー

角スコ馬頭琴製作のために作業場を使わせてくれた友人、久木田敦さんからもらったオモチャ。バイク好きの彼が古いホンダ二輪から取り外して大切に取って置いた電装部品。彼はクリスチャンだからちょっと早いクリスマスプレゼントだな。

今どきのウインカーリレーは電子化されていて面白くも何ともない。ちょっと前までは通電すると発熱してバイメタルが曲がり接点が開放されるタイプだった。これも機械としては見るべき所があまりない。

しかし、まるで時計のテンプのようなヒゲゼンマイの付いた回転子を備えて、それを電磁コイルで駆動する機構を持つリレーは初めて見る。

よく観察するとはずみ車には重量バランスを微調整したドリルの跡がいくつもあるし、軸受けのガタを無くすネジがご丁寧に軸の両端に付いていて、ネジ頭を固定するためのペイントが施されている。

テンプ機構は振り子の定周期振動に頼っていた時計を重力の呪縛から解き放ち、波にもまれる船舶のクロノメーターに使われた。姿勢や加速度の影響を受けにくいし、バイメタルのように外気温が極端に低いと作動しなくなることもないから、船じゃなくても同じように揺れたり傾いたりする自動車やバイクで使おうというのは解る、、、が、果たしてここまで精巧な機構に手間をかけ、精密に点滅間隔を制御する必要があるのか。不思議。

いつの時代のどんな形式のバイクなのか聞きそびれた。ホンダ以外のメーカーも同じようなウィンカーリレーを使っていたんだろうか。こんな末端の部品に惜しげもなく手間と金をかけるのは恐らくホンダだけだったんじゃないかな。。。


すったもんだ

帰りの飛行機が大雪で欠航。振り替えられた便 より1日早いのがあったので再度変更。

とある海外資本のLCCは、電話の受付時刻が日本で終わっていても会社の本拠地なのかコールセンターなのか知らないけれど、真夜中でも何でも電話かけてみたら繋がった。昼間に日本のオペレーターに聞いた時点では入らなかた予約変更が海外では割とすんなりOK。(朝、日本の受付が始まる前に合法的フライングをかましてやって、追加料金なしで元の4倍の値段の僅少残席を確保できたので少々悦に入っていた。)

喜び勇んで空港に着いたら、またもや吹雪で欠航。。。orz

3度目の代替便は明後日まで空き無しって、、、。ええい、もうええわいっ!返金しろ、って言ったら、返金は可能ですが次回ご使用のバウチャーでございますがよろしいか?だと。。。(それって返金とは言わんやろ)

雪に苦しみ雪を呪う友人嵯峨治彦さんの歌、『あ、雪』に北海道の人たちが自虐の笑いと喝采を送るのを、他人ごとのように横目で見ていたら、これだ。北海道の雪をナメていた。(冗談で角スコ馬頭琴なんか作ったんで祟られたのかな?)

それにしてもこの雪でも同じキャリアで飛んでる便があるのに、、、嵯峨さんの歌の「LCCには訳がある」っていう一節。身にしみた。

歌のとどめのフレーズは「雪かきしなくても春は来る」。。。 『あ、雪』の歌詞とメロディーが脳裏で渦巻き、ふと、このまま空港ロビーで春まで雪隠詰めか。。。と思った。

いやいやいやいや、もう時間がかかってもフェリーで帰ります。

乗りそこねた飛行機のバウチャーは、、、また北海道に来い、ってことね。