「旅」カテゴリーアーカイブ

Day 30 text / 0918

アービスコ→SJキールナ・ナルヴィク鉄道

昨夜のツーリストステーションのディナー、レストランの値段は高過ぎてパス。ショップで買った冷凍ピッツァをキッチンの電子レンジで温めて食べたが、朝飯はそれほど高くなく、しかもちゃんとしたものが食べれるのでレストランに行った。昨夜のメンバーとは違うが、道中の山小屋で顔を合わせた人たちとつるんで良く喋り、良く食べた。が、やはりアンドレアスくんの姿はなく、誰も彼を見かけなかったとのこと。やはり昨日早く着いて列車に乗っちゃったか?ただ、話をした一人から多分午後の同じ列車でストックホルムへ向かうだろうから、昨日のうちに帰ってしまったということはない、と聞いた。でも僕のナルビック行きの列車は彼らのより早い時刻に出るので、見送るわけにもいかず、このまま会えないかもしれないな。

皆にさよなら言って戻る途中に、レストランの反対側の席に一人ポツンと座っているアンドレアスくんを見つけた。なんかホッとした。黙ってこっちを見て、微笑んでる。いかにも彼らしい。そういうところがいい。チェックアウトの10時が迫っていたので「またその辺で」と声をかけて部屋に戻った。

荷物を預けにロビーへ行くと入口に、テント泊まりでコースもKungsledenのトレイル周辺を歩き、途中で僕と出会ったり、しばらく会わなかったりしてきたドイツとフランスのカップルがいて、彼らは今着いたばかりのようだった。彼らにも別れの挨拶をした。

さて、発車時刻までまだ3時間もある。暇つぶしに同じ敷地内にあるミュージアムへ行ってみた。ちょうどアンドレアスくんが、アビスコ周辺の自然や動物たち、サーミの人たちのことを説明する案内板を読んでいるところだった。ミュージアムは休館らしい。日曜日なのに!?シーズンが終わってる?でもオーロラはこれからなのになあ、、、。

まあ、屋外の案内板だけでもと読み始めたら意外と面白い。説明の中でサーミ語の地名表記に使われる単語の説明があり、興味深く見たた。最近は、地図の地名も道標もスウェーデン語化された綴り(ちょうど、和人がアイヌ語地名に漢字を当てたようなもの)ではなく、サーミ語のアルファベット綴りの表記に改められつつある。舌を噛みそうな地名ばかりだと思っていたが、チェクチャの管理人ステファンさんが説明してくれたことは、これを知っていたらもっと良くわかっただろう。

アンドレアスくんが昼飯までの間。「キャニオン」に行くと言う。食事の時は別にして、僕はこの旅で今まで一度も誰かと「一緒に何々しないか?」と言ったことはなかったが、この時は、一緒に行っていいか?と訊いてみた。この5、6日で彼の行動志向はわかっているし、また迷惑でもダメとも言わない性格の人間だろうと思うけど、まあ最後だし、、、

で、ツーリストステーションから歩いて数分のところにある、岩石のキャニオンへ行った。岩の裂け目の数十m下を流れる渓谷の水は昨日歩いてきたアービスコヤウレの湖から流れ出た川で、この高みから数km先に見下ろすさらに大きな湖にデルタとなって流れ込んでいる。

鉄道の駅のほんのすぐ近くまでほぼ手付かずの自然が迫っていて、アクセスに車やバスを使わなくていいし、半日歩くだけでKungsleden以外にもいくつもの山小屋があり、もちろん途中の景色も素晴らしい、とアンドレスくんはアービスコの立地が好きだと言う。オーストリアはじめヨーロッパのアルプスではこうはいかないらしい。手軽に行ける「山小屋」のレストランにはシェフがいて、ホールでは音楽が生演奏されている。山小屋らしい山小屋に行くにはずっと上まで登り、それなりの山の装備や技術がいるのだとか。

キャニオンには車椅子が通れる遊歩道が巡らされ、一般の人も気軽に「自然」を楽しめるように工夫されている。途中に「アービスコ国立公園のシンボル」と銘打たれた金ピカのデカイ「物」が鎮座している。野外彫刻とか記念碑とかが景色の一部となって自然と共存することに異存はないが、これはないだろう、、、。あまりに馬鹿馬鹿しいのでアンドレアスくんに写真を撮ってもらった。

ここからは遥か山の上にオーロラを観るためのスカイステーションが見える。アンドレアスくんにも「レーザー照射で偽オーロラのプロジェクションマッピングしたら、曇りの日でも日本人はじめ、オーロラを目的に来た人たちから料金とってガッポリ儲けるぜ(がタダ観も続出するだろう)」という話をしたら、やはり大ウケした。

対岸の岩壁の上で写真撮ってるのは、アービスコヤウレから別ルートを取ってこちらに向かったスウェーデン人のおっさんくさいお兄さん。アンドレアスくんも彼もサウナが大好きなので、山小屋のサウナに行くと必ず彼らがいた。アンドレアスくんとは対照的にサウナでもどこでも口が軽くて良くしゃべるが、面白い人だ。彼ともお別れの挨拶ができた。

やがて時間が過ぎて、僕の乗る列車の時刻が迫ってきた。アンドレスくんとツーリストステーションまで戻って荷物を取ってきたら、別のスウェーデン人で、映画のことならスウェーデン政府の映像アーカイブで調べてみたら、と教えてくれた人が山から戻ってきていた。旅の後半のそのまた後半で出会い、同じように北向きコースを取った人たちの大部分にさよならが言えるとは、、、

いよいよ、アンドレアスくんたちとも別れの挨拶をし、駅に向かって歩き出したが、すぐ思い直してとって返し、スウェーデン人くんにお願いしてアンドレアスくんとのツーショットを撮ってもらった。

Kungsledenでも、「あ、さっき会った人のところまで戻って、、、さっき見たあの景色のところまでとって返して、、、と写真を撮ることを何度も何度も考えたが、なぜか踵を返すことはなかった。ま、いいか、とそのまま歩き続けた。のんびりしていたつもりだけど、ほんとは余裕がなかったんだろうか。今回は特別。記念写真で本当に最後の最後。さようなら。どこかの道をゆっくり歩いていたら、また会えるかな。

駅までほんの200m。線路の高架に沿った道路を渡ろうとしたら列車の警笛が聞こえてきた。こんどは鉄鉱石の積み出し港ナルヴィックからの回送列車。昨日見た時、まるでフィルムを逆回しして映画の最初のシーンに戻ったような感じになったが、今一度、二重連の機関車に牽引されて空のバケットの列が西から東へ戻って行くのを見送ると、昨日Kungsledenの最後で出くわした時よりもっと強く、ダメ押しのように僕の「旅の終わり」を悟らされることになった。


Day 29 photo / 0917

アービスコヤウレ→アビスコ

(詳細テキストはこちら

昨夜泊まったアービスコヤウレは「山小屋(ストゥーガン)」と呼べる最後の小屋。Kungsledenの北端、アービスコまで道はあらかた下りで距離も短い。

黄葉した森を抜けるトレイルの眺めを楽しみながら歩いた。ブルーベリーも一杯食べた。。。かったが、アービスコが近づくにつれて人が多くなり道端のを摘んで食べる気がしなくなった。

みんな山歩きというよりピクニックか何かみたい。いままでみたいに一日に数人しかすれ違わないという状況ではなく、若者のグループがワイワイ喋りながら歩いていたり、イヤホンで音楽聴きながら歩いてる。挨拶しても見向きもしない人たちもいるしなあ。。。(別に、挨拶を強要するわけじゃないし、Kungsledenを独り占めしたいわけでもないけど、、、、)

アビスコの街からひと駅離れたところにツーリストステーション駅があり、めちゃめちゃ立派なツーリストステーション(山岳ステーションじゃない)が建っている。その手前がKungsledenの終点。いや、殆どの人にとってはスタート地点となる。

終点のゲートに至る少し手前で、木立の隙間から鉱山のあるキールナから積出港のナルヴィクへ鉄鉱石を運ぶ長い長い列車が通過するのを見た時、旅の終わりを実感した。

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この夏に新造された車椅子スロープ。他の山小屋にはなかった。 近々「エライ人」がヘリコプター来るので作ったのだとか、、、。バリアフリー化に反対ではないが、そういうのが理由ってのはなあ、、、
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振り返るとこの旅最後の山小屋アビスコヤウレストゥーガンが見えた。

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時々道幅が広くなり、トラクターか何かが通った跡が残る。STFの山小屋以外の小屋も木陰に見え隠れするが、このあたりの小屋への補給はヘリではなく、トラクターかスノーモービルでソリを曳いているのかも。。。少々興ざめ。

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手の甲にトレッキングポールのストラップでタコができてる。。。2016-09-17-13-30-52

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Kungsledenトレールの北端にあるゲート。映画”Kungsleden”(邦題:『太陽のかけら』)には出てこなかった。
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ゲートを出て、振り返る。僕のKungsledenの旅は終わった。

Day 29 text / 0917

アービスコヤウレ→アビスコ

管理人のボッセさんとマルガレータさんに出発の挨拶がてら、オヤツの甘いものを買いに行く。チョコレーズンみたいなのを買おうと思ったら、お金はいいから持って行きなさい、って。ありがとう!最後の行程のエネルギーになります。

出かけて、いきなり道を間違える。小屋から100mも離れてないのに、、、。一度戻り、大久保さんを知っているアメリカ人の青年に方向を訊いて、再出発。最後の行程、気が緩んでるな。

湖の畔に沿って数km歩くとプライベートの山小屋らしい小さな建物がいくつか出てくる。そこを過ぎた辺りから今までのトレイルと違い、幾分か道が広くなる。トラクターの轍のような跡も出てくる。薪やその他の補給物資を運ぶのだろうが、だんだん「文明」の地へ近づいている感じがする。

Kungsledenの前半からスィンギ以南までは一日中歩いても数人しか人を見かけない日も多かったが、アービスコが近づくにつれ出会う人も増えてくる。中には高校生くらいの若者たちのグループが引率されて歩いてる。おしゃべりに夢中で「ヘイヘイ」っとスウェーデン風に挨拶しても一瞥もしない。まあ挨拶なんてしないといけないわけじゃないし、いいんだけれど、、、彼らはあまりこういう所へ来たかったわけじゃないんだろうな。。。携帯プレーヤーかスマホのイヤフォンで音楽聴きながら歩いてる子もいる。出会ってきた山歩きの人たちが言う「Civilizastion=文明」の地に戻るのも近い、ってことか、、、

それでも僕はこの最後のレグを楽しみたいから、これまでも早く歩かなかった(歩けない?)のに、今日はことさらペースを落としてる。できる限り周囲にそびえる岩山や遠くの残雪の景色を見、谷を吹き抜ける風や岩に跳ねる水音を聞き、そのせせらぎの水や敷き詰められたように実るベリーを味わい、森の空気をいっぱい吸い込んで木の葉や苔の匂いを嗅ぎ、Kungsledenに満ちているものを体中に染み込ませたい。

そうやって青空の下、明るいきれいな樺の樹林帯を歩続けていたら、僕の”Kungsleden”追想の旅は、貨物列車の警笛であっけなく終わった。映画『太陽のかけら』=”Kungsleden”の始めには、鉄鉱石鉱山のあるキールナとノルウェーの不凍港ナルヴィックを結ぶ線路を走る長い長い鉱石輸送列車が通過するシーンがある。今までと何も変わらない木立の陰のほんの数十m先に鉄鉱石を山積みした逆三角形の鉱石バケットの列が見え隠れするのを立ち止まって延々と眺めた。

第二次大戦中、スウェーデンがドイツにこの路線を通じて鉄を供給したことがこの映画の何かに結び付けられているのかも、ということは、何も知らない15歳の頃に初めて観たときは勿論、この旅に出る前に50年ぶりにDVDで観直した時も気付かなかった。しかしKungsledenを歩くうちに図らずも出会った人たちと語り合う中で、戦時中のドイツとの関係について、映画の作られた’60年代になってもまだスウェーデン人が心に持っていた複雑な感情について知ることになった。まさかその象徴的な貨物列車が出迎えてくれるとは、、、

線路の手前に、きっと映画が撮られた頃には無かったであろう、ログで作られたKungsledenの北端ゲートがある。特に仰々しいわけでもなく目障りなこともないが、、、出発した南端のヘマヴァンにはポツンと道標だけが立っていたなあ。多くの人たちにはこのゲートがスタート地点になるが、へそ曲がりの僕には終点。でも、ナルヴィックに向かう鉱石輸送列車を見送った後には映画の逆回しを観てしまったような気持ちがしたが、ゲートに至った時には特に何も感慨は無かった。普通にくぐり抜けてKungsledenをオフィシャルに終えた。

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ここで、29日間の旅の記録を終わらせるつもりだった。実際Kungsledenの旅はここまでだったし、これから先、残りはただの観光でしかない。ただ、北に向かってアービスコ至る道を辿り、途中の山小屋で何度も同宿だった、僕と同様にへそ曲がりのトレッカー達とアービスコ・ツーリストセンターで再会した顛末くらいは書いておこうと思い直した。

大きなメインビルディングを中心にコテージなどが立ち並ぶコンプレックスのアービスコ・ツーリストステーション(山岳ステーションじゃない!)は個室のベッドルームは勿論、ちょっと高めのレストラン、土産物や登山ギアのショップもある、ほぼホテル。ヘマヴァンの山岳ステーションが飛行場まであるスキーリゾートに建っていたのに、今は何と慎ましやかに思えることか。まさに文明へ戻った感じ。しかし、今夜はここに泊まるのかよ。。。と半分怖気ながらレセプションへ行ったら、ドミトリー式のホステルもあるって。だろうな、、、。ホッとして 見回したら普通の旅行客とトレッカーが入り混じって行き来している。

しかし、いきなり受付カウンターで嫌な思いをさせられた。僕の前にカウンターで手続きか問い合わせをしている人がいて、僕はその後ろで、あまり近づくといかにも急かせているように思われるのもナンだなと、ちょっと距離を開けて待っていた。女性の用事が済んで、さてと前に進もうとしたその瞬間、僕の目の前をダッシュでカウンターに飛びついて割り込んだ人がいた。日本人。。。おじさん、本能の赴くままに行動してる。おじさんに近づくのもやだな、って距離をとってたら、今度はおじさんが終わってないのに、僕の前に割り込んだ人がいて、日本人のおばさん。。。僕の方を振り向いて、あら、ごめんなさい、って言うけど退くわけじゃない。。。日本に来る中国人観光客を悪く言う人がいるが、何ほどの違いがあるのかねえ。。。何十年か前に話題になった『恥ずかしい日本人』という本を思い出した。

僕は日本を出るまで知らなかったが、アービスコは日本人の間でオーロラの鑑賞地として有名らしい(山小屋でスウェーデン人たちが言っていたとおりだ)。残念ながらその夜、ここ数日とは違ってベッタリの曇り空だった(アンドレアスくんの言ったとおりだ)。

アーレスヤウレで知ったKungsledenの伝説の日本人、大久保さんのことを思いながら、この北極圏の山の中に来る日本人も様々だな、、、と考えた。(アーレスヤウレやアービスコヤウレで、いろんな人から「次はお前が伝説になれ」と言われたが、、、僕は、大久保さんのような熱意と善意に満ちた影響を残すこともできないし、無邪気に振る舞っている観光客のような足跡の残し方もしたくはない。そっと気づかれず風のように通り過ぎるのが理想。しかし、その割にはいろんな人と関わり過ぎたなあ、、、)

夕方、キッチンでこれまでの小屋泊まりで一緒だった何人かと顔を合わせたので日本人の話題になった。彼ら日本人はアービスコにとっては良い客なんだろうけど、僕は、山から下りてきて一番見たくないタイプの人間がワンサカいてガッカリだと言った。ついでに、どうせ儲けるのなら「全天が曇りの日でもオーロラ鑑賞ができるように、雲底にレーザーでプロジェクションマッピングしてやればいい」って言ってやった。大ウケ。開始時間きっちり決めて、ガッポリ料金取って、、、あ、どこからでも見えてしまうからそりゃ無理か、、、

オーストリア人のアンドレアスくんも先に着いているはずだけど、見かけなかった。これまでの山小屋と違い、ホステルでも部屋が多すぎて出会わない可能性が高い。それとも、早く着いて列車で帰っちゃったんだろうか。。。一番ちゃんとさよならを言いたいヤツなんだけどな。。。


Day 28 photo / 0916

アーレスヤウレ→アービスコヤウレ

(詳細を読みたいならDay 28 textを)

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朝、トイレに行くと霜、、、

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ウナ・アラカスもきれいなとこらしい、、、でも、Kungsledenから外れずに最後の山小屋アビスコヤウレへ向かう

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後ろにサーミの集落が見える

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ハイシーズンには、この湖にボートのサービスがあり、5kmほど楽ができるとか、、、 今日の行程は22kmあるので楽したい人は乗るんだろうなあ、、、
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アンドレアスくんにまた抜かれた、、、

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もうすぐ昼なのに、日陰には氷が残っている。

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ブルーベリー食べ続け。軍手も染まる。。。
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リンゴンベリー(コケモモ)

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トナカイの柵を越えるゲート。ドア、横木、階段、、、と色んな種類がある。

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アーレスヤウレを早く出て、途中でテントを干していたおっさん二人組に抜かれたが、彼らもあまり早くないので、なかなか視界から消えない、、、
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またまた瞑想場所
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谷の向こうの斜面に一本だけもみじ。

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樹林帯に下りてきた。これより後はもう森林限界より上に行くことはない。

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すっかり日が傾いたが、高緯度なのでなかなか沈まない、、、

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ドイツ軍がノルウェーのナルヴィクを攻撃したことから、ナルヴィックからキールナ産鉄鉱石をドイツに積み出していた中立国のスウェーデンも、いつ責められるかと危惧してこのあたりに堡塁を築き、兵士を駐屯させた。とか、、、

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大きなメガホンのようなものが水流で回転していた。後で訊いたらアービスコヤウレの小屋に水を送るポンプだとか。電気無しで動く!他の山小屋では見たことがない。

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さあ、最後の山小屋。。。

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Day 28 text / 0916

アーレスヤウレ→アービスコヤウレ

昨日借りた、大久保さんが残していった資料をもう一度読み返してみる。大久保さんは、映画の画面から写した写真をもとに、スィンギなどで撮られたいくつかのシーンをここだと同定している。何年も何年も通いつめて、何日も何週間も滞在して探し当てたのだろうなあ、、、。凄い執念。僕も、同じ映画を観てここへやってきたのだけど、ただ通り過ぎるだけの旅人。脱帽。

資料を管理人のインゲル-リーゼさんに返して、出発する。今日は20km以上をカバーしないといけないが、、、夏ならモーターボートのサービスがあり、それに乗れば5kmほど楽ができるけど、今の季節はない。

アンドレアスくんが「また僕らが一番最後の出発だね」と言う。10時半に歩き始める。おそらく8時間はかかるだろう。

アーレスヤウレの小屋を出てすぐに湖沿いの道を歩く。対岸にはサーミの人たちが住んでいる集落がいつまでも見えている。道は岸辺の波打際まで近づいたり、少し高みを巻くようになったり、変化があり、対岸の山の形が歩くにつれてかわるし、飽きることはない。

鳥が鳴き、トナカイが草を食み、クモが地を這っている。Kungsledenに来て一番たくさん見かけた動物はクモ。石やぬかるみで足元が悪いので、下を見ている時間が長いが、それにしても忙しく地べたを這い回るクモは5分〜10分に一度は見かける。冬の準備で大変なのだろうけど、餌になる昆虫はまるっきり見かけない。彼らはいったい何を食べているのだろう。。。(夏の間は帽子に防虫ネットが必要なほど蚊が大量に飛ぶらしいけど、オフシーズンの今はまるっきり見かけない)

湖から道が離れる前に、トナカイの柵を越えるところで、昨日サウナであったスウェーデン人の中年二人組みを追い越す。のんびり日向ぼっこしながらテントを干してるんだとか。一人はザンビアに住んでいたことがあり、もう一人は北海道に行って釣りをしたことがあると言っていた。小一時間 もしないうちに彼らに追い越され、樹林帯へ降りていく頃にはその姿も見えなくなる。

過去歩いた中で、もっと地面の状態が良い。捻挫の危険はうんと減った。それでも、うっかりよそ見や、ぼーっと考え事もできない。時間はいっぱいあるのに、纏まった考えや、思いついたことを順序立てて整理したり組み立てたりは危なくて出来ない。京都の疎水べりの哲学の道を散歩しがら思索に耽るようにはいかない。。。本当は映画”Kunsleden”に織り込まれたユダヤ人とドイツ人、それにもちろんスウェーデン人、さらにはサーミの人たちの関係や、それらがストーリーを通じていかに第二次大戦中のドイツ・スウェーデンの関係を読み解くアレゴリーとなっているのか、、、みたいなことをじっくり考えたいのだけれど、、、。(中立と言いつつ、キールナの鉄鉱石をアービスコ経由の鉄道でノルウェーのナルヴィックへ運び、そこからドイツへとせっせと運んだ、スウェーデンの罪悪感や後悔が下敷きになっているのではないかと思っているのだが、、、それはまたいつか別の機会に書きたい)

長い長い行軍が終わりに近づいてきて、林の中から見上げる周りの岩山が、これまでの森林限界より上の世界とはまるでちがってみえる。吊橋をすぎ、コンスタントに下ることがなくなって、ゆるい登り下りしていると、不意に小屋が見える。6時半を回っているから、今日は8時間も歩いたことになる。

アービスコヤウレの小屋より少し手前に第二次大戦中の防衛監視土塁か陣地のようなものがあったらしい。先にも書いたが、中立国だったスウェーデンは、ドイツに向けてキルナの鉄鉱石をノルウェーのナルビックから輸出していた。東方へ移動するドイツ軍が自国内を通過するのも許したと以前、別の山小屋で聞いた。その一方で、ナルビックを攻撃、占領したドイツ軍に対する防衛の最前線として、アビスコヤウレに兵員を駐屯させて監視に当たったと、森の中の案内板に書かれている。なるほど、、、兵隊たちはまさに目の前の山小屋で寝起きしたとある。強国ドイツに対して中立国として寛容に接し、ある意味狡猾に立ち回りつつ、防衛は怠らなかったと、、、。

アービスコヤウレの小屋の管理棟でチェックインの時、日本人か、と訊かれる。管理人さんものボー(ボッセ)さんとマリガレータさんは大久保さんのことを知っているとか。何度かアーレスヤウレで会ったことがあると話してくれる。スィンギ以南、いや、それより北のセルカでもチェクチャでも、大久保さんのことなど聞いたことなかったのに、、、一度ヒットするとこれだ。。。生きる伝説なんだそうだ。

それどころか、食事を終えてのんびり雑談していたら、同宿のアメリカ人親子の息子の方が、去年Kungsledenで大久保さんに会って、東京にいったとき、大久保さんの家を訪ねたこともあるとか。住所を知っているので、見つけたら教えてくれるという。ちなみに親父さんのほうは、ウィスコンシン出身で、僕が居たマディソンの北、1時間ほどのところに住んでいたとか。大学も同じウィスコンシン大学。。。87年卒だから、ちょうど入れ違い。。。その後、カリフォルニアのLA郊外、トーランスで伊藤忠関係の仕事をしていたというからびっくり。僕も同じトーランスで1年間働いていた。かすりまくり。。。

そんな話を聞きつけて、食事の同じテーブルにやってきたデンマーク人のおじさんは、札幌と東京に住んでいたことがあり、海洋上から海底の地中深くボーリングをして地質探査をする、海底(地底?)探査船「ちきゅう」での職についていたという。マディソンのことも知っていて、どういうわけか僕の大学院での専門をサイエンスだと思い込んでいる。そうじゃなくて「けったいなオモチャ」だって作品の説明したらめっちゃ面白がってくれる。

スウェーデン北部の山の中でやたら日本色の濃い夜になる。。。日本に行った人たちは、日本人の間ではアービスコがとてもよく知られている、と言うが。。。知らなかっがのは僕だけ?何れにしても、日本人が大勢やってくるアービスコからここまで大した距離でもない。シーズン中はアービスコヤウレにもきっと日本人が溢れているのだろう。

さて、明日はほんの十数kmで終点のアービスコ。いよいよ文明への復帰。そこから先はまだはっきりしたプランを決めていない。ま、明日は明日の風が吹く。