「旅」カテゴリーアーカイブ

Day 07 text / 0826

上のベッドに登って横になっていたら、いつの間にか眠っていて、目が覚めたらイルクーツクに停車中。眠くて起きれない。 斜め下にチャン(張)くんの姿はもうない。僕があげた読めない外国語のガイドブックの切れはしだけで持って、こんな夜中にちゃんと宿を見つけられるだろうか。。。

朝日がまぶしくて目を開けたけどまだ眠い。二度寝してもう一度目覚めたら夜が明けていて、列車は霧の中を走っている。おーい、ハリネズミくーん、、、

車内販売のおばさんが「ピロシキ、カーシャ、ブテルブロート」と呟きながらまわって来る。あれ?カーシャって何だっけ。。。アクバルくんに訊いたら、米とミルクというシンプルな答え。次着たら買ってみよう。

と思ったのに忘れてたら、昼前にアクバルくんがおばさんを呼び止めてくれる。カーシャの正体は甘いミルク粥。ああ、昔、旧ソ連圏の国を旅したとき何度も食べたことがるのに、僕としたことが甘いモノの名を忘れるなんて!

どの辺走ってるのかわからないけど、景色が 昔住んでいた十勝やウィスコンシンとソックリ。緑の牧草と耕起された黒土に覆われたなだらかな丘が白樺の針葉樹の林の向こうに延々と広がっている。所々に牧草ロールも転がっているのが見える。ツェレンくんがいなくなってから英語ばかり喋っているので、目の前のアクバルくんの濃いけれど何処かアジアの匂いがするキルギス顔と相まって、本当にどこにいるのかわからなくなる。

窓の外眺めてボーっとしてたら、ロシア人の女性に声をかけられる。日本語で! オクサナさんはとても丁寧な話し方で、聞くとソチで日本語を教えているとか。彼女の言葉は決して堅苦しいわけじゃないけど、どこか子供の頃、夜になると物干しに上り短波ラジオにかじりついて聞いたモスクワ放送を思い出す。波のうねりのような雑音の向こうにロシア(当時はソ連)という未知の国が、子供ながらにあの頃すでに日本がどっぷり浸かっていたアメリカよりずうっと新鮮に思えた。(ま、後でどちらにもがっかりするんだけど。。。)。一方のオクサナさんが日本を好きになったきっかけはセーラームーンのアニメだそうだ。。。

オクサナさんから隣の5号車に日本人がいる、と聞かされる。停車駅で身体を伸ばしてたら、やたらくだけた学生日本語をしゃべる英国人ニコがいて、彼と同じ車両に日本人がいると言うと驚いている。オクサナさんのことも知らない。あとで5号車は日本語パーティーになるだろうな。

ニコと食堂車へ行ってみようということに。先日、彼とドイツ人二人と一緒に飲みに(彼らはビール、僕は水を)行ったけど、食事は初めて。一度くらいいいだろう。ニコも金が底をついたので、これが最後のかもと言う。僕も最初で最後。

食堂車では、アムール風サラダとイクラのサンドイッチ、、、を頼んだつもりが、生トマトと生鮭のマリネと小粒のイクラが皿に乗って出てくる。パンは要るか?って訊かれるけど、あれ?サンドイッチなのに別売りかい!

メシを食ってるうち、知らぬ間にイェニセイ川を渡ってしまう!銀色の流れが後ろの方に消えていくところ。慌ててiPhoneを取り出した時には川面も見えない。。。遡れば僕の夢の人たちエヴェンキの国、下ればトゥヴァ。。。残念。程なくうクラスノヤルスク着。

昨日、チャンくんと話をしていたロシア人のアレクセイくんが英語で話しかけてきた。彼は他のロシア人と違って普段ずっと本を読んでいる。あ、目の前のアクバルくんは電子ブックでスティーブン・キングを読んでるけど、、、彼はキルギス人だ。それはともかく、アレクセイくんは医学生で、英語は独学だとか。それにしてはこなれた発音や表現をする。きっと、こうやって外人捕まえては話してるんだろうなあ。話題も外国語の比較みたいなことが主。

夜遅く、中国人の女性が乗り込んできて、英語が不自由なく話せるが、中国語を交えて寝るまでだべった。なんだか、この列車ではロシア語が全然上達しないじゃん!

クセイくんは医学生で、英語は独学だとか。それにしてはこなれた発音や表現をする。きっと、こうやって外人捕まえては話してるんだろうなあ。話題も外国語の比較みたいなことが主。
夜遅く、中国人の女性が乗り込んできて、英語が不自由なく話せるが、中国語を交えて寝るまでだべった。なんだか、この列車ではロシア語が全然上達しないじゃん!


Day 06 photo / 0825

チタ駅。この後で警官に撮影を咎められた。
駅売店内部。昔のロシアが残ってる感じ。ソ連時代、物はもっと少なかったろうが。
良く写らないけど野の花がいっぱい咲いてる

沿線の花

ツェレンくんとはウランウデでお別れ
ニコ(左)と、ウランウデまでのパウル、ヤコプ、まだまだ乗る僕
ウランウデ

ウランウデの駅食堂。ブリヤート語はモンゴル語そっくりなので、食事、ボーズ(小籠包みたいなの)、美味しい、なんて言葉が読める

ツェレンの置き土産

湖は近い感じ

バイカル湖が見えた

ロシア人もバイカルの写真撮るのね

暮れなずむバイカル
イルクーツクで降りる張くんと
この後、一旦バイカル湖を離れて、列車は真っ暗な闇の中へ

Day 06 text / 0825

朝からコンセントの争奪戦が激しい。目を離すと次の人がかってにアダプターを抜いて自分のを刺していく。ていうか、次もクソもない。電気が欲しいと思った時がその時。ルールとか無さそう。僕のアダプターはUSBがふた口あるので、他の人とシェアしてあげるが、御構い無しに抜かれてる。隣のおじさん親娘もどっかのおばさんと口論。

そういうことができない言葉のハンデがある僕は、夜中にコッソリと大容量のモバイルバッテリーに溜めておく。問題はiPhoneのバッテリーが寿命らしく、減り方がやたら早いこと。写真を撮り、アップするのにはついついiPhoneを使うので、困ったなあ。。。

ブリヤート共和国のウランウデに近づいている。景色は朝からあまり変わらず、野の花の咲く広く開けた草地や混合樹林のなだらかな丘が続く。たまに木造の古い家の集落を通過する。オモチャみたいな小さいロシア正教の教会とかも建ってるが、モンゴル/ブリヤート語で「タルバガンがいる(場所)」という名の駅があったりして、もうこの辺はブリヤートの世界なんだ。

ちなみに、タルバガンとはウサギほどの大きさの中型げっ歯類で、地面に穴を掘って住んでいる。見張りのために立ち上がっている姿はロッキーチャックとかを思い浮かべると、そう遠くはない。素の肉の味は絶品だけど、めちゃくちゃ硬く、噛んでるとアゴが疲れる。

ツェレンくんによるとモンゴル人はタルバガンをたべるが、ブリヤート人は食べないとのこと。そのくせ、彼はタルバガンの肉が大好きだって。タルバガンの首を切り落とし、内臓を取り出して代わりに焼石を詰め、表面を火で炙って毛を焼き落とす、結構残忍なビジュアルの料理の写真を見せてくれる。僕もモンゴルで食べたことがあるが、見た目はアレだけど、めちゃめちゃ美味しい。

アクバルくんが桜の花はどんなのだ?とか、四十七士の話がすきだ、とか言う。それで僕は桜の散り方と侍の死にざまについて説明をする。話は切腹の作法から三島にまで広がるが、はたしてNaruto好きの彼は討ち入りの日の雪の情景と桜吹雪の類似というか、映像的アレゴリーのことを解ってくれたかな。お返しに(笑)キルギスの英雄叙事詩、マナスについて知っているよ、って言う。キルギスの首都ビシケクでやたら分厚い上下二巻の英語版マナス(それでも簡略版!)を買って、今も持っている。(全部読めてないのだけど。。。 ^^;
気がつくと、ウラジオストク以来ずっと、アクバル、ツェレン、僕の3人で、結構な時間話している。これまでのところ全然退屈していない。でも、ツェレンくんとはもうすぐお別れ。

ツェレンくんと電話番号を交換しているうちにウランウデ着。奥さんと女の子が待っている。なんかうわの空な感じ。でも、アクバルくんや他の人にきっちり挨拶して回っている。バヤルタイ。ザァ、バエラルラー!

ドイツ人のパウルとヤコプもウランウデからモンゴルへ抜けるので下りている。モスクワまで行くニコを通して連絡を取ろうということになる。こちらもグッバイパウルが聞きたがっていたチベットの旅話はまたいつか。

ウランウデを出ると土地が平らかになり、大きい川がゆったりながれている。それにしても水量多すぎ?溢れそう。湿地も所々。これまでと明らかに地形が変わる。ここからは昔通った道。

日没前にバイカル湖畔に至る。はじめ、樹々の向こうに薄紫にかすむ山が見えてくる。バイカル湖の対岸の山。で、19時突然林が開けて湖面が見える。

湖面が見えてからかれこれ1時間、緯度が高いので陽がなかなか沈まない。やっと陽が沈んだ後も、湖水の向こうの空はいつまでも赤く焼けている。夕凪なのか湖面にはさざ波しかなく、岸辺に打ち寄せるふうもない。

20年もこの景色を見ているのだけど、あのときはあっけらかんの真昼間だった。今回の方が遥かに趣がある。それで、最初は慌てて写真やビデオを撮ったが、陽が落ち切ってもうずいぶん経つのに、、、まだ黄昏が続いている。がめつく何枚も写真を写してしまった。後で整理が大変になるなあ。。。1時間半でやっと暗くなり始める。と、車内の灯りも少し暗くなり、同時に周りでメシの用意が始まる。20時54分、バイカル湖最後の写真を撮った。
僕も晩メシの準備をしよう。

と思ったら、韓国人の張くんもイルクーツクでさよならだった。陸軍を除隊してまだ2ヶ月。旅から帰ったら職探しだそうな。ツェレンよりも大きい巨漢のくせに、同じ車両に乗ってる北朝鮮の二人が怖いと言う。それでも、今朝はなんとか挨拶と握手をしたって。すごいな、このモスクワ行き099番列車。

イルクーツク着は真夜中なのに張くん、宿の予約どころか情報も持ってないという。僕の持っているガイドブックからイルクーツクのページをき切り取ってあげる。とりあえずドミトリーのある宿の電話番号とURLはのってるし、住所はキリル文字でなのでロシア人に見せれば何とかなる。地図で場所も確認したので行けるっしょ。グッドラック!

イルクーツクまでもうすぐ。列車はバイカル湖から離れて真っ暗闇の中を進んでいる。


Day 05 photo / 0824

エヴェンキのアナトリーさん。真ん中はツェレンくん。
ヴァリェーニキ(中身はジャガイモ)
ホームでピロシキやヴァリェーニキを売ってるおばちゃん。服装は冬仕様。僕は半袖半ズボン。ぶるっ!

基本的な食事。イランなどでも食べた薄いパンにソーセージ、チーズ。あとはマッシュポテトやインスタント麺。青野菜ゼロなんで果物食べる。それ以外に周りからもらう間食多量!

左からパウルくん、ヤコプくん、ニコくん


Day 05 text / 0824

早くも何日めなのか分からなくなってきた。

アクバルくんは風邪ぎみでしんどそう。咳もしてる。ペインキラーはないかと訊いてくる。アスピリンを持ってきてると思って荷物の中を探した入れ忘れたがみたい。ゴメン。

チェーレンくんはいつの間にか同じ区画に引越して来てる。座席って変われるんか?どことなく白鵬に似てないこともないこのブリヤートの青年とはモンゴル語しか通じないので、忘れきったと思っていたモンゴル語がどんどん思い出せてくる。「この辺には町が無く人がいないので、インターネットが来てないね。」「うん、木はいっぱいあるし、熊も棲んでるけどね。」なんて、分かったような分からないような会話。分からない時はアクバルくんにたすけてもらうが、体調悪く辛そうなので出来るだけ自力の韓国語でおぎなう。韓国でのビアパーティーのビデオとか見せてくれる。酔っぱらった白鵬似のブリヤート人がカンナムスタイルを踊ってるの図はおっかしい。彼は明日、ブリヤート共和国のウランウデウランウデで下りるそうだ。さびしくなるなあ。

アクバル、チェーリン、僕の三人がいると、通りがかりにいろんな人が声をかけてくる。ロシア語は解らないが、二人の答えからどこから?と訊いてるらしい。一人のおじさんが座り込んでなんか喋ってる。自分はエヴェンク(キ)だと言ってるらしい。以前NHKで「トナカイ神」という大興安嶺のエヴェンキのドキュメンタリーを観て、エヴェンキの悲しい恋唄を聴き憶えていたので歌ってみる。

なーだんがしゅー、じゃーこんぐらしゅー
ちんまなやー、だーりやかー
おんかけがー、おぇーまんじがぉー
もーらん、もーらん、もーらん、もーらん

(六人、七人いる中で、ダリヤ、おまえが一番きれい。こんなに恋いこがれているのに、どうして他の人のところへ行ってしまったのだ。ああ、悲しい、悲しい、、、というような意味だったと思う)

おじさんは目を瞑って聴いてくれ、何かロシア語で応えてくれる。チェーリンくんとアクバルくんが、おじさん解ったって言ってるよ、教えてくれる。。。同じ民族とはいえ、大興安嶺の森から1000kmも離れたシベリアに住むエヴェンキのおじさんに、うろ憶えの、しかも全然エヴェンキ語を知らない僕の歌が通じる?!ひょっとして、すごくね?!

おじさんの名を尋ねたらアナトリー書いてくれる。チェーリンくんにエヴェンキ名を訊いてもらうが、無いと言う。ひょっとしたら文字に書けないということかもしれないが、この辺の微妙なコミュニケーションのズレがつらいなあ。

本当はクラスノヤルスクで途中下車して、エヴェンキの人たちのところへ行って僕の作った偽楽器「エレクトリック サイレント エヴェンキ シャーマン ドラム」のビデオを見てもらいたかった。でもそれをしていたら北極圏のKungsledenは冬になってしまう。諦めていたら、向こうからやってきてくれた。

昔、留学中に、チベット行きを切望して果たせずにいたとき、僕のいたマディソンにダライ・ラマが来られた。しかも、講演を聴きに行ったら、偶然に出入口で鉢合わせ。ミーハーにも握手までしてしまったのだった。そして、数日後には運良く直接に入信の灌頂も受けることに、、、

あ、話が逸れた。ともかく、求めよさらば与えられん、は時々起こる。そして今、エヴェンキのおじさん、アナトリーさんが目の前に座ってる。急いでiPhoneを取り出してビデオを再生する。アナトリーさんはまた目を閉じてうなづきながら聴いてくれた(ほんとは目を開けて見てもほしかったけどねw)。

アマザールという駅でアクバルくんが餃子のようなものを買ってきて分けてくれる。中身はマッシュポテト。ペリメニというロシア餃子かと思ったら、それは肉入りのことで、イモ入りはヴァレニキと言うらしい。美味しいので僕も下りて、向かいのホームにいるおばさんから買う。写真でおばさんの服装見れば判るが、めっちゃ寒い。僕は京都でてからずっと半ズボン、半そでシャツのまま。(下着は洗って替えてるけどね)。アクバルくんはブリンというお菓子もくれたが、こっちは甘いクレープみたい。隣の女の子がマシュマロをくれる。三等車内は時々人が入れ替わり飽きることがないし、いろんな人がお菓子とかくれるのでお腹がすかない。

夜になって、船で一緒だったドイツ人二人とイギリス人が通りがかり、食堂車へ行くと言うのでついて行く。今回の旅では初めての食堂車だけど、食事提供時間は終わってる。三人はビール、僕炭酸水。パウルとヤコブ(独)、それにニコ(英)は皆二十歳そこそこ。なのに話題が豊富でヨタ話だけじゃなく、言語や音楽、スポーツまで、若者らしくすごいスピードで出てくる。ピアノ演奏の話になりジョンケージの4分33秒を持ち出したら、即座に俺も弾ける、いや俺の方が上手い、とくる。ニコは日本語が話せ、漢字の知識もあり、僕の名前の文字や意味を聞いて、すぐにスマホで確認する。他の二人も中国語ができる。こいつらすごくね?こっちの英語が若者仕様じゃないのでついてくのに苦労する。1時間以上だべるもとうとう食堂車の電気を消されて終了。