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茶店開店に向けて

明日、北海道の友人が堺町画廊で、馬頭琴やのど歌、語り、カンテレなどのコンサートを開く。(ユニット「野花南」の詳しい情報については画廊または野花南のHPで)

で、その友人たち(嵯峨治彦夫妻+一粒種)が、うち(つまり茶店)に泊まることになり、大急ぎで掃除と片付けをやっつけた。。。。 こんなことでもないと、開店準備ははかどらない。。。

底冷えのする京都の町家は、北海道の暑いくらいの暖房に慣れている彼らにとって、寒冷地獄となりかねないんだが、、、恐ろしいことにうちには余分の寝具が無い。毛布をかき集め、古いシュラフまで引っ張り出してみたけれど、大丈夫かいなぁ。。。 北海道ではめったに見かけないおこたに足を突っ込んで、親子三人、放射状に寝てもらうか。。。

彼らが帰ったら、今週末あたりテスト開店をしてみようかな。。。

店を開くタイミングというか、営業時間というか、、、 よく「不定休」というのがあるけど、「不定開」ってのはあまり聞かない。 つうか、単に不定休の「休」が開いてる日より多いだけの話で、不定休って言っておけばいいのか!

気が向いた時だけ開くんで、お客さんは困るだろうなあ。 外食と決めて、食う気満々でたどり着いたら休み、ってのはよくある。(がっくりする上に、なぜかその次の店も休んでいて、またその次も、、、って続くし)

それはともかく、茶店が開いているか、一か八かのその日の運試し、と思って来てくれる人ばっかりだったらいいんだけどぉ。。。

一応、このブログには「今は開いてまっせ」と「何時頃までやってまっせ」って言うのは書くつもりだけど、「いついつ、この日は開ける予定」というのはメンドクサイのでやめておこうと思う。(気が向いて、こっちのやる気がそれまで持続しそうなら、予告もしないでもないだろうけど。。。)

開けておいて、お知らせするのをすっかり忘れるというのは、きっとやらかしそう。ま、お知らせしてもしなくても、誰も来ないのが不思議じゃないので、気がつかないだろうなあ。。。

   


遠くからのお茶、もうひとつ

昨日、用事で友人の家に行ったら笹の葉茶とオハギをご馳走してもらえた。昔住んでいた京都北山の花背別所はクマザサが絶滅状態だけど、そのお茶の笹は飛騨かどこか遠くで採ったものだそうな。香りも味もシンプルで美味しかったので、ついオカワリを所望してしまったくらい。

家に帰ったら、東京の友人T君からパケットが届いていて、中には珍しいお茶が入っていた。何時まで経っても、ぐずぐずと明日延ばしにしている茶店の開店に業を煮やしたのかな。先日書いたダージリンのシェルパ、Chewang君は僕の茶店計画を知ってか知らずか紅茶を送ってくれたけど、この東京の友人は知らないどころか、茶屋で使う魔法瓶を羽田で受け取り京都まで運んでくれた人だ。彼は僕の旅不精、出不精を慮って旅先から手紙やメール、写真などをよく送ってくれたし、日本に居る時も時たま異邦の香りがする飯屋へ行った報告をしてくれるし、変わった食べ物を送ってくれることもある。

で、今度はパキスタンからアフガニスタンにかけて飲まれているカワチャイだ。T君の友達が北パキスタンのフンザから持って帰ってきたものだそうで、そのおすそ分け。うれし!(「知人のフンザ土産です。残り少ないですが、北パキの乾いた空気を思い出しながら味わって下さい」というメールも届いていた。優しい奴だなあ。。。)

カワチャイは僕もカラコルムハイウェイ経由で新疆へ向かう途中、フンザやチトラール辺りでよく飲んだものだ。

T君によると、カワチャイはハーブのような植物の葉(小枝も入ってるけどね、写真)の干した物にカルダモンを加えたもので、今は砂糖を入れて飲むのが旅行者の間では一般的だが、土地の人たちは岩塩を入れるらしい。

20年前の怪しい記憶を辿ると、砂糖入りでも塩入りでもどちらでもなく、またハーブでもなかったような気もする。つまり普通の緑茶にカルダモンのスパイスが入ったものだと思っていた。なぜ緑茶だと思っていたのか、、、それは、カルダモンの香りのせいで茶葉の香りを嗅ぎ分けられなかったのと、茶屋や宿の軒先に”Tea – Produce of Kenya”と書かれたクレートを見かけたことがあったからだ。北パキスタンあたりでは普通の緑茶とハーブティーの両方が混在するのか、単に僕の記憶が混乱して不確かなのかは定かではないが、、、。

で、今日になって、いただいたお茶を早速淹れて普通の茶葉かそうでないのか確かめてみた。そのため最初はカルダモンを入れずに味わってみた。あれ?さっき飲んだ笹の葉茶とよく似てる。つうことは、、、少なくともこのカワチャイは茶の木の茶葉ではなさそうだ。。。が、ま、詮索はその辺にして友人に教えてもらったとおり、カルダモンを爪で割りもうひと煮立て。晩い午後の陽が射す部屋中にいい香りが漂う。

その後、陽気に誘われてエレキフィドル担いで京都御所へ。ギコギコ弾いていると、愛知県から来た看護大学生だというおねえさんに声をかけられた。試験明けの休みで京都見物。あれこれインチキ楽器について質問をうけ、ひとしきり話し込んたけど、後で思うに、せっかくだからお茶にでも誘えばよかったかしらん。。。(でも、バイオリンでナンパするおやじなんてなあ。。。)


縫い物

クッション、座布団の類を作った。

ミシンかけは嫌いじゃない。ただ、同じ形の袋を延々と縫っているとさすがに飽きてくる。サイズに合わせて裁つのも単純な方形とはいえ時間と手間が結構かかる。

中に入れるアンコにはボロボロの座布団綿やウレタンフォームに加え、母親の家に転がっていたクッションも使わせてもらうことにして、さて縫ったカバーに入れる段になってクッションの補修痕に気づいた。タバコの焼け焦げを「掛け継ぎ」みたいに修理してあったのだ。もう結構目が悪くなってからの仕事だろうけど、一生懸命色を合わせて編みこんであるのを見るとなんか胸が熱くなる。グループホームでは趣味のレース編みもせず、テレビとDVDばかり見ているようだが、来年、白内障の手術を受けたら視覚の刺激が脳を活性化されて、あれこれ手仕事を再開するのでは、と期待している。(という、この辺りは、友人に当てたメールからコピペ。彼女が見たら呆れるやろなあ。。。)

閑話休題。
で、座布団は山ほど出来た。あとは戸のない天袋を隠すカーテン、それに暖簾。カーテンの方は竿と受け金具をこしらえてあるので、丈幅に裁って一直線に縫うだけ。

玄関の暖簾はどうしよう。。。 まだ屋号も考えていない、ていうか、店の名前など要らないのではないかと思う。だったら、開店している証のような暖簾も不要かも、、、。(モグリ営業じゃないんだけど、開いているかどうか表から判らない店は、すなわち「偽」のモグリで、偽道具作りの僕には都合が良い)

あれこれ言い訳を引っ張り出しては開店を後延ばしにしているが、、、テーブルや椅子、座布団まで揃っちゃったら、ついに種切れ。(今週オープンが目標だったけど、来週あたり、、、。あ、今日は日曜。 日曜って、週の始めか週末か?)


遠くからのお茶

ふた昔まえ、留学生仲間のひとりだったT君とインドのダージリンへ行った。(彼に付いては僕の自己紹介ページで少しふれている。)
冷涼で人の疎らなヒマラヤの王国Druk Yulからの帰り道、身分を隠しつつ慣れぬ環境を旅したことですっかり疲れ果てていた僕たちは、暑くて雑踏渦巻くコルカタ(カルカッタ)へいきなり戻る元気もなく、もう少し過ごしやすい場所を求めてダージリンに行き着いた。

好奇心旺盛なT君は泊まったホテルのオーナーの甥っ子だというシェルパのChewang少年とすぐに仲良くなって話し込んでいた。僕も会話に加わってあれこれ聞いたりしたんだろうけど、何を話したかほとんど憶えていない。僕は旅そのものにも、お互いの存在にも飽和状態になりつつあったので、外部からの情報を受け付けなくなっていたのかもしれない。案の定、T君もその好奇心とは裏腹に心理的に限界だったらしく、せっかく寄り道したダージリンのことをあれこれ悪く言い、ついには早いとこアメリカへ戻ろうと言い出した。結局僕たちはたったの二晩でダージリンを後にした。今から思えば、せっかく仲良くなった地元っちのChewangに、もっとあの街のこと、ヒマラヤのこと、シェルパの人たちのことなど、教えてもらえばよかった。おまけに是非乗りたいと思っていたミニチュアSLはストライキのため運休だったし、なんか今ではいろんかことが残念な気持。

先日、Facebookの友だち検索に「Chewang」と入れてみたら同名が何人もヒットしたが、ダージリン出身で今も在住は一人だけだったので試しにメッセージを送ってみたら、やはりあの時のシェルパだった。嘗てのほっそりとした少年は写真を見ると朝青龍を少し良い人っぽくした感じの大人になっていた。西ベンガル州の役人をしていて、奥さんとひとり娘があり、そして趣味はテニスとか。時代は変わる。

そのChewangがダージリンの紅茶を送ってくれた。茶葉の入った茶色の袋は封の代わりに糸で十字にしばられ、さらに金紙に包まれ、また糸で縛られていた。今やIT化、工業化でブイブイ言わせているインドから昔のまんまの包装のお茶が届けられ、時空間を彷徨うというのは大袈裟かもしれないけれど、一瞬のタイムスリップ感を味わうことができた。Chewangありがとう。

グローバル(ああ、嘘臭くてやなことばだ)にIT化が進んでネット上で彼との邂逅ができたわけだけど、ミニSLや昔風の紅茶包が消える前にもう一度ダージリンに行き、Chewangと本当の邂逅をはたすことができるんだろうかなあ、、、。