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Ciaoのタイヤ、、、まだやってるし、、、

一昨日、昨日と夕方から手のかじかむ寒さの中で修理したCiaoの後輪。。。リムの修理をしたはずなのに、またものすごいブレで危なくて仕方ない。原因はタイヤの耳(ビード)に入ってるワイヤが切れて、タイヤが変形してしまってることにあった。

タイヤをリムから脱着したらリムの内側に落ち込んでいるビードを定位置に持ち上げるため、通常より高圧の空気を入れる。普通はある程度空気を入れるとカチンカチンになる。ところが、いくらでも際限無く入っていく感じ。確かに空気圧は上がってるんだけど手押しの空気入れの手応えが違う、、、

ビードワイヤが切れてる部分が伸びて、そこがぷっくり膨れてタイヤが曲がってると。このまま乗ってたらビードがはち切れて、多分バーストし、ぶっ転んで、後ろから来た車に轢かれて、、、ああ、想像したくない。つか、昨夜はこれで街まで出かけたんだっけ、、、暗くなったんで原因確かめてなかった。(ビード上げが不均等なだけで、そのうち直るだろ、とか考えてた)

あらためてタイヤを見たら、なんで昨日気づかなかったのか不思議なくらい酷い状態。。。

タイヤの耳(ビード)が折れ曲がってる。ここで内部のワイヤが切れている。オゾンによるひび割れもひどいね。
どちらがマトモなタイヤか、言うまでもない。

昨日、予備ホイールについていたチューブがあんまりだったので、元のタイヤから再利用した前のチューブもよく見ると同じ位置に2ヶ所のパンク修理パッチが当ててある。スネークバイト(蛇の咬み傷)=リム打ち、つまり段差などの硬いものに乗り上げてリムの縁の両側に挟まってパンクすると蛇の牙の痕のように2ヶ所穴が開くってやつ。僕以前にも酷使されていたので、これも交換。

小判型のパッチが2ヶ所。スネークバイト!!!

結局、予備のホイールは、スポーク駄目、チューブ駄目、タイヤ駄目、、、リムとハブだけまとも。。。まあ、組み合わせて直ったんだから良しとしよう。

あ、元のタイヤもブレーキドラムの変形による偏摩耗してるんで、またすぐ脱着が必要になりそう、、、


Ciaoの車輪とニップル回し

昨日、Ciaoの曲がってしまった後輪をそっくり入れ替えた。ていうか、入れ替えようとしたら予備のホイールもガタガタだったという話をUPした。スポークは折れてるは、チューブはサイズ違いがぶち込んであるは、、、

お陰で、手軽にポン付けできず、あれこえやってる内に日が暮れて、スポークの取替えとチューブの入れ替えはできたものの、フレ取り(スポークの締め付け具合を調整してリムのブレを修正すること)は翌日回しに。

(この期に及んでまだ連日雪が降る、、)今日、また夕方に取り掛かった。流石にスポークのニップルを回すのに昨日みたくペンチじゃやってらんないんで地下室の作業場から専用工具(ニップル回し)を掘り出して作業した。やっぱ正しい道具は作業性が違う。本当なら専用の台に車輪を載せて振動を見るんだけど、んなもん無いんでCiaoに取り付けて、手で回しながら横に置いたボールペンの先端との距離で横ブレ縦ブレの修正を繰り返す。

ところで、「ニップル」をつまんで弄り回すのは楽しい。。。


Ciaoのスポーク・タイヤ・チューブ

Ciaoの後ろのホイールがブレて速度を出すと振動が酷い。振動どころか前輪まで共振してシミー(異常なブレ)が起きて、直進もままならない。いつの間にか後ろのリムが変形していた(いつだったか道の穴凹で強く打ったことがある)。応急で凹んだリムを叩いて修正したが振動は改善しない。

Ciaoは中古で買った時から後ブレーキドラムも変形していてブレーキの効きも変だし、ここはひとつ、後輪全部を入れ替えよう。

で、前にヤフオクで買っておいた予備の後輪ワンセットに替えようとしたら、そのスペアの方のスポークが4本も折れていた。。。

ハブの内から外へ付けてあるスポークは簡単に外せないので、交換がとっても面倒くさい。ああ、やだやだ、とブータレながらタイヤをリムから外したら、中から出てきたチューブを見て、ギョギョ〜!!!

リム・タイヤサイズよりはるかに長いものがズルズルと。。。(汗)

名人芸で、サイズ違いのチューブを折りたたんでタイヤの中に押し込んであった。。。 (怖っ!)

 


友人の一家、ザ・バクマイズ

さおとちゃん(人物) と あもちゃん(楽器)の合作、ザ・バクマイズ手ぬぐい。

昔、「沖縄に向かって」北海道から小さな古い軽四で、助手席の膝の上までナベを載せてうちにやって来た若いカップルは、しばらく僕の西陣の家に居候したあと、そのまま京都に居着いて美味しいスープ屋さんの店を出した。

時は流れ、女の子が生まれ、彼らは何故か沖縄とは逆方向の岐阜に引っ越して、そこでもまたお店を始めて、二人目の女の子が生まれ、またこの春には三人目も、、、

僕が十勝にいた頃、お母さんはいつも元気に大声張り上げて歌ってる田舎の高校生だった。札幌出身のお父さんはG. ハリスンを尊敬するギタリスト。そこに生まれた子どもたちはバンドをやるのは必然だった、と。。。

先日、京都西院のライブハウス「ネガポジ」で初めて生で彼らの演奏を聞いた。理屈抜き、バクマイズ?にパワフルで、メッチャメチャ楽しかった。ライブの様子は許可をもらってYoutubeにアップしてある。(あもちゃん、さおとちゃん、真剣っ!)

その夜、彼らにとって京都の最初の家だった西陣のうちの二階に泊めてあげたら、お礼にと手ぬぐいとCDをもらった。


ラグビーボールの修理

いまどきのラグビーボールは合成素材だけど、昔は革製だった。

初めて触ったのは学生のとき。練習後のボール磨きは、革の上に「ツバ」を吐いて古パンストで擦るという、知らない人が見たらおぞましい方法でやっていた。臭くて不潔な方法なんだけど、不思議にツヤツヤに光る。汗臭い部室に唾液で汚れたパンストが散らかっている風景はあまり美しくはなかったなあ、、、

あれは二十歳の頃の話。その後三十代の後半にも、ウィスコンシン、マディソンのローカルなラグビークラブでちょっとだけプレーしたことがあった。その頃もまだボールは革だった。練習後にどうやって磨いたか、、、思い出せない。ツバじゃなかったような、、、。でもうっかり革磨き剤なんか使ったら伸びてダルマさんみたく変形しちゃうし、スベスベで扱いにくくなる。ツバだったかなあ、、、

ある時、旅の途中でコロラドのアスペンという街を通りがかったらラグビーの試合をやっていた。急ぐ旅ではなかったので車を停めて、ロッキーの澄んだ空気の中、きれいな芝生で行われている試合をずっと観ていた。アスペン、冬は高級スキーリゾートだけど、夏はラグビー合宿で有名な菅平みたいな感じなのかな。

話はそれるが、当時アスペンはメッチャクチャ物価が高くてハンバーガーの値段もL.A.あたりの倍はするんじゃないかというほどで、さっさと通りすぎるつもりだった。そしたら地元のクラブチームとイタリアだったかスペインだったかのチームが戦っていて、そのゲームが面白く、目が離せなくなったというわけ。

何が面白いかというと、アスペンは物価が高いだけでなく「標高」も二千数百メートルと高く、空気が薄いので平地からやって来たビジターは息切れで全然走れない。技術に勝る外国チームを相手に下手くそなローカルチームが互角に戦っていい勝負をしていた。どっちが勝ったか憶えてないが、、、

草ラグビーに毛の生えたようなものだったが、何故か土産物屋の屋台も出ていて、三々五々集まってきた観客がお菓子やグッズを買っていた。僕も、ずっと欲しかったニュージーランド製Adidasブランドのボールを見つけて、思わず散財してしまった。

あれから30年、、、そのボールは前の家でずっと飾っていたけれど、いつの頃か空気が抜けてしまっていた。チューブのパンクを、さっき思い立って修理してみた。大成功。さあ、ツバで磨こうか、、、どなたかパンストくださぁ〜い(変態か、、、)。