It’s getting colder outside. I see snow sprinkle over my Fiat. Gotta hit the hay but can’t sleep for some reason…
Though not necessarily feeling hungry, I cook food with a skillet on the wood pellet stove, and eat the stuff– not so tasty as expected– uh, as unappetizing exactly as anticipated, actually. That’s my midnight breakfast, anyway.
TV’s boring. Stomach’s full. I know I gotta go sleep now.
まず、Aprilは本来なら名詞だがここでは副詞的(= in April)に使われている。だから「四月に(なれば)」というのもあながち間違いとは言えない。しかしそれに続くcome she willを「彼女は・・・」と余韻を残して動詞を切り捨てたと見るのはどうかと思う。(もっとも、それくらい訳者の裁量だろ、という考えもあるかもしれないが、、、)
“April come she will” を “(When) April comes, she will ・・・”と解釈するのだったらそれでもいいかもしれない。しかし、comeには三人称単数現在形の「s」が付いていないのでその主語にsheはありえない(うわっ、「三単現のS」って言葉を何十年ぶりに思い出してしまった!)。つまり、このcomeは本来ならshe willに続く原形の動詞で、行頭のAprilと行末のwillが韻を踏むようにかなり強引に倒置されたものだ。ちゃんと書くならIn April, she will come、すなわち「四月、彼女は来るだろう」となる。
おそらく、日本語のタイトルを訳した人はこの倒置法に気付かず、またAprilの副詞的な用法にも頭が回らなかったのだろう。そのため頭から ”(When) April comes, she will ・・・”と見て「四月になれば彼女は」という思わせぶりな尻切れトンボのタイトルにしてしまったのだと僕は思う。
昔、僕が持っていた歌本には”April come she will”だったが、改めて歌詞をネットで調べてみたら”April, come she will”とカンマを入れてAprilはcomeの主語ではないことを強調しているものが多く見られる。(実際にP. Simonがどう書いたかは定かではないのだが、、、)
以下追記:
更に言うと、この”she will come”(来る)は1番の中の次の段で同じ主語の”she will stay”(留まる)に繋がる。ちなみに、以降の2番、3番でも関連のある動詞が対として使われている。2番では”change”(変化させる)と”fly”(飛び去る)、3番では”die”(死ぬ)に対し、一転して主語を”I”に替えつつ”remember”(思い出す)と。しかも、それらに続く文や節や語句も注意深く選りすぐられている。(そして全体を通して見れば見事に「序破急」を成しているのだ)
April come she will
When streams are ripe and swelled with rain
May she will stay
Resting in my arms again