「日記」カテゴリーアーカイブ

Fiat 500 ハンドル

うちのチンク号、ベークライトのハンドルが、なんとも細くて握り心地が心もとない。自転車用のグリップテープを巻いていたけど、ベロベロ剥がれて美しくなかった。

やっすいステアリングカバーを買って縫い付けてみた。ノーマルのハンドル用で幅が広すぎ。余分を内に折り込んで幅を合わせた。ついでにクッション厚も増してやった。

夕方からダラダラやってたら日が暮れてしまった。かろうじて縫い目が見える内に終了。

なかなか良い感じ。太さが増し、適度な弾力で握っても違和感がなくなった。安物の合皮だから長持ちしないだろうけど、次は自分で本革を切って縫ってやろう。

カバーの幅が広すぎるので、内側に折り込んで装着。(仮合わせ中)
本当はクロスステッチが野球ボールのシームのようにしたかったけど、糸が足りそうにない。
セットで付いてきた針は先が尖ってないので縫いにくい。
縫いあがり。まあこんなもんか。。。
ねじれを直して、糸を切って完了。
濃い色でもよかったかなあ、、、

Midnight Breakfast

It’s getting colder outside. I see snow sprinkle over my Fiat. Gotta hit the hay but can’t sleep for some reason…

Though not necessarily feeling hungry, I cook food with a skillet on the wood pellet stove, and eat the stuff– not so tasty as expected– uh,  as unappetizing exactly as anticipated, actually. That’s my midnight breakfast, anyway.

TV’s boring. Stomach’s full. I know I gotta go sleep now.


April Come She Will

追記)この記事を投稿してもう長くなった。改めてネットを調べてみたら以下で指摘した誤訳が減り、正しく「倒置」を踏まえた訳や解説を多く見るようになっている。この中高生でもわかるような「三単現のS」の欠落を見つけたのは僕が高校の頃だから、半世紀以上も発っていることになる。少しずつ時代は変わってる。


ポール・サイモンの曲「April Come She Will」は僕の高校時代のお気に入りだった。季節の移ろいに儚い恋が滅びてしまうという内容は青くさい高校生だった僕にはなかなか実感の湧かないものだったが、、、。

今の歳になって振り返ると、歌詞中の”she”がやがて死んでしまう恋人ではなく、とおの昔に失った僕の青春そのものに重ね合わさり、切なくほろ苦い。加えてアート・ガーファンクルの甘い歌声がもうたまらない。。。

ところで、日本語のタイトルでは「四月になれば彼女は」と訳される。しかし、僕はこれが気に入らない。いや、完全に誤訳とは言い切れないのだけど、、、

まず、Aprilは本来なら名詞だがここでは副詞的(= in April)に使われている。だから「四月に(なれば)」というのもあながち間違いとは言えない。しかしそれに続くcome she willを「彼女は・・・」と余韻を残して動詞を切り捨てたと見るのはどうかと思う。(もっとも、それくらい訳者の裁量だろ、という考えもあるかもしれないが、、、)

“April come she will” を “(When) April comes, she will ・・・”と解釈するのだったらそれでもいいかもしれない。しかし、comeには三人称単数現在形の「s」が付いていないのでその主語にsheはありえない(うわっ、「三単現のS」って言葉を何十年ぶりに思い出してしまった!)。つまり、このcomeは本来ならshe willに続く原形の動詞で、行頭のAprilと行末のwillが韻を踏むようにかなり強引に倒置されたものだ。ちゃんと書くならIn April, she will come、すなわち「四月、彼女は来るだろう」となる。

おそらく、日本語のタイトルを訳した人はこの倒置法に気付かず、またAprilの副詞的な用法にも頭が回らなかったのだろう。そのため頭から ”(When) April comes, she will ・・・”と見て「四月になれば彼女は」という思わせぶりな尻切れトンボのタイトルにしてしまったのだと僕は思う。

昔、僕が持っていた歌本には”April come she will”だったが、改めて歌詞をネットで調べてみたら”April, come she will”とカンマを入れてAprilはcomeの主語ではないことを強調しているものが多く見られる。(実際にP. Simonがどう書いたかは定かではないのだが、、、)


以下追記:

更に言うと、この”she will come”(来る)は1番の中の次の段で同じ主語の”she will stay”(留まる)に繋がる。ちなみに、以降の2番、3番でも関連のある動詞が対として使われている。2番では”change”(変化させる)と”fly”(飛び去る)、3番では”die”(死ぬ)に対し、一転して主語を”I”に替えつつ”remember”(思い出す)と。しかも、それらに続く文や節や語句も注意深く選りすぐられている。(そして全体を通して見れば見事に「序破急」を成しているのだ)

April come she will
When streams are ripe and swelled with rain
May she will stay
Resting in my arms again

四月はあの女(ひと)が訪れるだろう
雨に潤うせせらぎが水満ちるころ
五月には憩うだろう
ふたたび我が腕に安らぎながら

June she’ll change her tune
In restless walks she’ll prowl the night
July she will fly
And give no warning to her flight

6月になるとその女(ひと)は心もそぞろ
おろおろと歩き夜をさまよい
7月には飛び去るだろう
その飛揚に何の前ぶれもないままに

August die she must
The autumn winds blow chilly and cold
September I remember
A love once new has now grown old

8月にその人は命果てる定め
秋風が凍えるほどに冷ややかに吹き
9月になるといつも私は思い起こす
かつて新しかった恋も今や古びているのだと

Lyrics by Paul Simon


「プレミアムカフェ 中国・世界最大の里帰り」

先日みたNHKの番組。

春節(中国の正月)直前の広州駅と列車内の様子。僕は中国国内で春節の大移動に行き当たったことはないけど、切符を求めて窓口に殺到する人波をかき分け、やっと手に入れた後、くたびれ果てて駅前広場で地べたに座り、鉄柵にもたれて、同じように列車を待つ中国の人たちと一緒に丸一日過ごしたことは何回もある。改札が始まったら我先にプラットフォームを走り押し合いへし合いで席を取り、ぎゅう詰めの客車内で北京からモンゴル、上海から昆明、烏魯木斉から北京と、幾度も何十時間の長旅をしたことも。。。僕の経験したものより更に百倍すごい人混みの渦巻くテレビの画面を見ていたら、中国の記憶が生々しく蘇ってきた。(汗) (@_@;)

今は聞かなくなったが僕が子供の頃には「出稼ぎ」という言葉があり、雪深い東北地方などから作物の実らない冬期の農家の余剰労働人口を季節労働者として大都市が吸収していた。春節の里帰りで移動する中国の人たちの多くが農民工と呼ばれ、あの広大な国の農村地域から大都市への出稼ぎに来た労働者。ただ彼らの多くは季節労働者ではなく、小さなアパートなどで家庭を持ち都市部に定住している。それでも春節には渡り鳥のように生まれ故郷を目指す。戦後の高度経済成長時期に日本人が通ってきた道とどこか似ている。

日本でもかつては正月前後に故郷へ里帰りするものすごい人数の客をさばくため国鉄が年末年始に「帰省列車」というものを走らせていた時代があった。定員を遥かに超える乗車率で身動きが取れない夜行列車内で、集団就職から何年も経っていないようなオボコイ顔立ちの若者がトランプに興じていたり、いかにも出稼ぎという風情の田舎のオッチャン達が酒を酌み交わし、賑やかに手拍子打ちながら演歌や故郷の民謡を唄っている様子をニュースでよく見たものだ。90年代に何度か行った中国の旅で僕が出会った人たちも、春節のテレビ番組の中に映っていた今から8年前の人たちも、恐ろしいような座席争奪狂騒が一段落した後は、おせっかいで好奇心旺盛でやかましく、いきいきと楽しく語り合い、スシ詰めの厳しい状況の車内でも思いやり、助け合っていたが。。。はて、さらに経済成長が進んだ現在の中国ではどうなんだろう。今も駅で、列車の中で、同じような混雑と喧騒が渦巻いているのだろうか。そして人も変わりはないのだろうか。

そういや長らく中国旅行をしていない。中国の人たちと疎遠になって、このごろは文化や習慣の違いや政治、経済、民族問題などを考えていると、僕もつい「やれやれ、中国人は困ったもんだ、、、」と悪態つきそうになる。もちろん、そういった問題で意見が相容れない人たちもいるだろうし、中国人みんながみんな良い人達だいうつもりはないが、、、でも、それは中国に限ったことではない。あんな酷い「大統領」が選ばれてしまうトンデモな国だってあれで良しとする人ばっかりじゃないし、選んだ人たちだって別に狂ってるわけじゃないだろうし、振り返ってみれば自分のこの国だって同じこと。ともすればついつい国というくくりで外国人、外国文化を見てしまいがちだけど、心して別けて考えるようにしないとな。。。

デッキも通路も座席もぎゅうぎゅうの列車内で、人をかき分けて弁当を車内販売をするのが映っていた。発泡スチロールの四角い容器に詰めたご飯の上にお玉でオカズを載せてくれるぶっ掛けメシ。僕もよくお世話になった(衛生面で問題があることもあったけど、、、)。さすがに列車の車内販売のようにその場でぶっかけてはいなかったが、90年代初期の中国では旅客機でもほぼ同じような食事が出されることがあった。この番組の撮影は北京オリンピックの翌年だったから、9年経った今はもうあんな素朴な弁当は無くなっているだろうと思っていたから、画面に映ったときは「おおっ!」と言ってしまった。う~ん、これも変わってほしくないな。。。次、行った時も食いたいなあ。。。


英語つらつら

退っ引きならぬというほどではないけど、不本意ながら英語を教えることになってしまった。

正直、英語で苦労したことがないので教え方がよく判らない。もとより人にものを教えるってのが苦手。普段から好きなことしかやらないから、そりゃ人より得意なこともあるけど、好きこそものの上手なれ、と自然に身についたことばかり。

本当なら、苦手なことを努力で克服した経験があってこそ、同じことに苦労している人の気持ちが解り、良い教え方ができようかと思う。さて、どうしたものか、、、

とかなんとか考えていたら、全然関係ないけどひょんなことから手嶌葵という人の歌う「牧歌」(宮沢賢治作詞作曲)のYoutube動画を聴くことになった。これは以前テレビで観ていたが、とても良い。彼女の発音は賢治が使っていた南部弁を正確には反映していないが、そんなことはどうでもいい。口先の音ではなく声の、喉の使い方がとても心地よい。聴いているうちに引き込まれる。歌はこうでなきゃ、と思う。(少なくとも、彼女の選曲においては、、、)

流れで、手嶌葵の英語の歌を何曲か聞いた。やはり英語の発音にも問題があり、批判的なコメントをいろいろ書き込まれていたが、確かに「英語耳」を持つものからしたらとても変なのだろう。(Cheer up…がChill upに聞こえるなど、意味がまるっきり変わって聞こえるものもあるが、、、)

一方で擁護する意見も多く見られ、僕自身も細かいことなんか「別にええやん」とも思う。

ところで、僕は中高生のころに英語で最も影響を受けたのはSimon & Garfunkelだった。彼らの歌を聴き、意味が知りたくて辞書を引き引き歌詩を訳し、下手なギター抱えて真似して唱ったものだ。なのに学校の英語授業なんてくそくらえ。だいたい授業の時間割に合わせて教科書を揃えるのが面倒なので、全科目の教科書を教室の机の中に全部突っ込んでいた。だから家での予習復習宿題一切やらず、、、

それでも英語の成績だけは良かったのはレコードを擦り切れるまで聴き、目を瞑っても単語を探しだせるほど辞書を引いて歌詞の訳をして、声が涸れるまでガナリ唱ったSimon & Garfunkelのおかげだと思う。

たまに英語を母語とする人から僕の発音を褒められることがある。そして、そのことを羨むひとからはよく「岡本さんは耳が良いから」と言われるが、そんなことはない。僕はそれなりの発音で好き勝手に喋れるけれど、英語の聞き取りはひどく苦手(それにちっとも歌は上達しなかったし、、、)。一方、歌が上手な手嶌葵はきっと良い耳を持っているはずだけど、英語は、まあ、、、アレだし。いったい耳が良いというのはどの耳のことだろう。

さらに脱線するけど、最近、ヒマにまかせてYoutubeで「タモリ倶楽部」のバックナンバーをよく視る。マニアックな話題もさることながら「空耳アワー」の時間は思わず声を出して笑ってしまうことも多い。このコーナーを視ながらちょっと英語の発音とかをつらつら考えていたら、珍しくSimon & Garfunkelの「Old Friends」(旧友)の空耳投稿が出てきた。英語を習いたいという友人の中に坊さんもいるから、余計に面白かった。

P.S. 上のYoutubeは削除されたようなので、別のを貼っつけておく。(ただ、この声はP. SimonでもA. Garfunkelでもないけどね)

https://youtu.be/BL-Mvm-SnzY?t=167