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三陸海岸南下の中止

去年来そびれた三陸海岸を、八戸から女川まで車、バス、徒歩、南北リアス線、JR線で のんびり旅することができた。途中、リアス式海岸の開けた湾岸の街や集落だったところには瓦礫や廃墟は殆ど見えない。ただ、まばらに点在する真新しい建物と、不釣り合いに広い更地が続く。

僕のこの旅は報道や取材ではなく、言ってみれば個人の物見遊山。たいした支援もできなかったくせに、復興しつつある東北の太平洋岸を下りながら、昔の記憶にある三陸海岸と、今の状況を突き合わせてみたいと思っていた。しかし、道中たまに見かける津波の爪跡を写真に撮る気は起こらないし、出会った人たちに根掘り葉掘り訊くようなこともしたくなかった。(実際には何度か反射的に廃屋にカメラを向け、何枚か撮影したが、すぐに「何のために、誰に見せるために撮ったのか」という自問とともに嫌悪感に襲われ、すぐ削除してしまった)

予想外だったのは、出会った多くの土地の人たちがただの通りすがりの旅人でしかない僕に、4年半まえの津波のことをこちらから尋ねるまえに淡々とはなしてくれること。直接被害に遭った人もそうでない人も。。。 忘れないで欲しいという直接的な訴えよりも強く、問わず語りのような体験談に忘れてはいけないという気持ちを改めて持たされた気がする。

さて、秋田から来ていた友人と女川駅で合流し、案内されて竹浦という地区へ。その友人から聞いたのは竹浦の被災住民の、震災後の混乱の中で避難先でも被災前のコミュニティを壊さないという選択と、その重要性を理解し受け入れた秋田仙北市の決断、そして、どちらの側にとっても突然降って湧いた状況に対して、心の準備のないままでの英断は非常に稀有だけれど重要な例。今後日本中でいどこでも起こり得る震災の後に、被害者と支援者はこうあるべきという関係のモデルケースとなるという話。

悲しいきっかけで始まったのだけど、広大な奥羽山脈のあちら側とこちら側で遠く離れ、行き来のなかった地域にある、秋田と宮城の二つの小さいコミュニティの交流は今も続いているという。

壊滅した竹浦で無傷で残った高台の小さい神社の社殿のほんの1メートル下には津波到達の最高水位を示す赤ペンキのラインが引かれている。境内には昭和8年3月の地震の後に建てられた「大地震の後には津浪がくる」という石碑と昨年女川中学卒業生たちによって建てられた地震と津波への対処を記した石碑が並んでいる。町内数カ所にあるその碑の冒頭には「津波が来そうなときはこの碑より上に逃げろ。この碑を動かすな」という注意喚起とともに、結びには「今、女川町はどうなっていますか?」という問いかけが刻まれている。地震と津波の体験を後の世代にも「今のこと」として受け止めてもらうために。

石碑の後ろには女川湾が見下ろせて、対岸の山の向こうには女川原子力発電所の排気筒が2本、支持トラスの鉄骨一本一本が見分けられるほど近く見えている。原発が生み出す放射性廃棄物をたとえ地中深く埋めたとしても10万年というオーダーで忘れ去られないように管理しなければならないということ(そんなこと不可能なのに、、、)と、津波を忘れないための努力とが、何故か頭のなかをぐるぐる回っていた。

神社の向かい側には、更に高い所に住民が帰る宅地の造成が行われている。震災前からこの地に移り住んでいて被災し、地域の再建に協力されている建築家の方と神社でお会いしてお話を聞くことができた。その方や友人が言うには、竹浦へ戻る住民の逸る心とは裏腹に工事が遅れがちなのは仙台での地下鉄や東京オリンピックの影響で作業員や重機の確保がますます難しくなっているからだとか。地下鉄はまだしも、オリンピックなんぞは日本がやるべきことをやり終わってからだろう!と僕は部外者ながら歯ぎしりした。

その後、大勢の児童が犠牲になった石巻の大川小学校の廃墟へ。僕一人で女川へ来たとしても、ここには足を向けなかっただろう。先に書いたように、被災建物や仮設住宅にカメラを向けられない自分がいて、道中のバスが、壁も什器設備も人も一切合切流されて鉄骨だけになった南三陸町の防災対策庁舎が近づいたときは思わず目を瞑ってしまったほどだから、可愛らしくモダンな造りが却って生々しい大川小学校も直視できないだろうと思っていた。しかし、運転手は友人。僕以外の同乗者(竹浦支援に関わった秋田の方々)もあって、彼がそこへ行くと言ったときに、僕に選択の余地はなかった。そうしたら、とたんに気持ちが切り替わり、これは行っておかねばならない、と思った。

遅まきながら三陸海岸へやって来て、被災地域をうっすらと撫ぜるような旅でも自分なりに感じるところ、思うところはあったけれど、友人のお陰で、女川・石巻で今回の沿岸の旅のエッセンスに遭遇した気がする。そして、ここでひとまず南下を止めて、友人たちと一緒に秋田へ戻ることにした。双六の「振り出しに戻る」になって、たぶん、今回はこのままゲームセット。明日から3日間夜通しで角館のお祭りを見て、10日に一目散で京都に戻ろうと考えている。(ただ、、、旅の予定と秋の空、、、いつコロッと変わるか、、、(笑)

2015-09-01 17.49.16


地蔵盆をすっかり忘れかけていた

街へ買い物へ出かけようとギラギラ太陽の照りつける坂道を下っていたら「地蔵盆 子供注意」のノボリが、、、。

ありゃりゃ? そうか、今日は日曜日。お地蔵さんが北部地区の広場に出張してこられる日であったわ。そういや、子供が風船ヨーヨーぶら下げてあるいてるし。

とって返して、このひと月ずっと玄関の目につくところに置いてあったかき氷とカレーと焼き鳥とフランクフルトの引換券と家庭福引券を取ってきた。毎日見てるともう目に入らなくなっていた。。。

なわけで、今年はお供えもせず。。。 お参りもそこそこに、ブルーハワイかき氷とカレーをかき込み、抽選でお米5kgをもらい、缶ジュースとお茶、焼き鳥、フランクを手土産に、近所のおじさん、おばさんも乗せて坂の上の家に戻り、涼しい屋内で一段落。。。ふう、、、

えーと、、、あ、買い物わすれてるし〜(笑)

2015-08-23 13.55.28
お地蔵さん、北部入り口の二股辻から出張中。 右奥のお供え、全部白砂糖。。。 今年もお下がりがきたんだけど、1kg+紅白の餅型パック入り砂糖、、、でもウチは砂糖を使わないんだなあ。。。
2015-08-23 13.39.28
青ビニールの天幕のせいで、せっかくのブルーハワイの毒々しい青が消えている。。。
2015-08-23 13.46.09
やりばーのおばちゃん、カレーをどんだけ入れるん?!!!

 


グリップアクション・マニ車 と 電動マニ車

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四半世紀以上も前、まだ学生だった頃に、チベットへ行きたい一心で作ったマニ車たち。

今見ると、やっぱ何だが荒くたい作りになっている。グリップアクションの方はラチェットのギア歯数を減らしてやれば一握り当たりの回転角を稼げるので早く回せるのに、、、。ナイロン戸車を刻んで歯車作ったのはご愛嬌だな。

電動の方は、何年ぶりか判らないほどのブランクの後、今月末に秋田で見てみたいという人たちがいるので、電池の交換ついでにオーバーホールをやった。内部を見るのは作った時以来だけど、開けてみたらやっぱり学生の仕事だった。あちこちイイ加減な細工で、エイヤっとやっつけた跡だらけ。そのうえ、ガイドローラーのグリスが固着していて、これじゃ電池を新品に替えても動かん。(ナイロンのローラーにグリスなんぞ要らんのに、、、若かったのねW)
でも、あれこれやってとりあえずは回るようになった。(後述の理由で、3000rpmは実現できたなさそう。ていうか、その数値、ハッタリなんですがね) m(_ _)m

整備中に露見したことで一番恐ろしかったのは、ニカド電池をハンダ付けしてあったこと。ハンダ付けを前提としたタブ付きではなく、普通の単三型なのでヘタしたらハンダ付け作業中に破裂するがな。あれ?と思ったのは、どうやらニカド電池は日本に帰ってから一度、交換してあるようだ。憶えてないけど、懲りずにハンダでやったんだなあ、、、もう学生じゃなかったはずだが、手荒な仕事は僕の性分なんだろね。

今回はもう少し手を加えた。充電が間に合わない場合でも通常のアルカリ乾電池が使えるように、電池ホルダーを加工して、解りやすく言うと懐中電灯式に最後の電池のお尻をバネで押さえるタイプにした。

はじめ、押さえバネ自体をマイナス極のターミナルにしてみたら、鉄線の電気抵抗でおっそろしい発熱。せっかくハンダ付けを回避しているのに、これじゃ使用中に熱で破裂する。バネと電池のお尻の間に鋼より電導性のよい真鍮の薄板を挟み、そこへマイナスのリード線をハンダ付けしておいた。試運転でも配線からの発熱は起きない。

う〜ん、、、しかし、別の問題発生。ニカドより容量が三倍以上のニッケル水素充電池を選んだが、問題は容量より瞬発力。モーターは起動時に大電力を消費するからニッケル水素電池には荷が重すぎる。

もともとハンディー掃除機を改造したものだから低負荷で高速回転用のモーターなのに、重いローターと抵抗の多い内部のガイドローラーが災いして、ニッケル水素電池ではなかなか回転が乗らない。そうこうしているうちに発熱し、モーターと電池に大きなストレスがかかる。

最近めっきり見かけなくなったニカド充電池を探そうかな。それと、モーターも消耗品。いまどき日本のメーカーからラジコン用の良いのが出ているだろう。。。旅から帰ったら考えよう。


なんでみんな

ちょっと調べればおかしいってこと、あたまっから信じこんじゃうんだろ。。。

こういうご時世だから、疑う心をもつより、純真に「イイ話」を聞きたい、ってのはわかるけど。。。

理不尽な大人の行為を純真な子供が諌めただの、水を燃料に変えるエネルギー革命のスゴイ発明だとか、1回飲んだら一生病気にならないドリンクだとか、、、

そりゃ、どれも「あったらいいな」とは思うけどさぁ。いや、万が一、実在する可能性はかもしれないけど、、、だったら根拠を調べてから、情報の再公開するべきだろ?

FBやらTwitterやら「まとめ」やら、、、で、無責任に垂れ流している人らの記事に、いいね!するのは簡単だけど、それってガセ情報の流布に協力してるのと同じだという「責任感」は伴わないよな。

我が身を振り返らせる「はっとする」ような感動話くらいなら、作り話をさも実話のように語られてもそう実害は無さそう。

でも、虹色の夢がある発明が、実はエイプリルフール的なナンチャッテだったとしても「へ?嘘だった?ま、いいか?W」で済みゃ問題はないが、お金が絡むととたんにどす黒くなる。学生が頑張って開発したとかなんとかの惹句使い応援心あおってクラウドファンディングなんてアザトいのもあるしなあ。

飲んだって毒にこそならなくても、屁の突っ張りにもならないような物を混ぜ混ぜして作ったドリンクくらいならいいけど、そのうちおかしな物を摂取して被害がでたらどうすんだろ?和漢薬や長年行われてきた民間療法と違って、誰かが突然「神がかり的に」思いついたものか適当にデッチ上げたものなど、何の医学的実証もされてないし、時間をかけた歴史の検証もされていない。

いちいち具体例は書かないけれど、どれもこれも突っ込みどころ満載で荒唐無稽な話ばかりで、面白いちゃあ面白いんだけど、、、こんなもの垂れ流す奴もけしからんけど、何も考えず無責任にいいね!やリツイートしてる人には呆れかえる。しかも、FBやツイッター覗いてみたら、けっこう親しい友人や、普段はきっちりした意見を述べている賢い人達もコロッと騙されていて、複雑な心境になる。

世の中、夢見る人には申し訳ないけど、そうそう都合のよいことばかりではないんだけどなあ。。。