池田修三 木版画展『この指とまれ』

一昨年、昨年と縁があって訪れた秋田で知った池田修三の版画展。東京銀座・伊東屋のInspiration Hall(東京都中央区銀座 2-7-15)で7月31日まで。

作品の一部がアサヒ.comのサイトで観れる。(こちらは8月1日まで)
http://www.asahi.com/and_w/gallery/201607shuzoikeda/?iref=comtop_list_andw_t

いつも思うんだけど、春を思わせる木版のふうわりと優しく明るい色使いの中に池田修三が描く伏し目がちな少女たちの瞳に何故か冬を感じる。それは、ひたすら身震いさせられる底冷えの京のそれとはもちろんまるで違う、好もしく懐かしい冬。

夏は夏で蒸し蒸しと暑苦しいさなかのここ京都にいても、東北・北海道の女性に逢うと、はるか遠くの昔に住んでいた真っ白な世界、雪に覆われた北米上部中西部や十勝平野のことを思い出す。(でも野郎ではダメなんだなw)。元の連れ合いも色白の東北人で、頑なに意思を曲げない人だった。ステレオタイプな想起かもしれないけれど、北国の女性はきっと雪に閉ざされる長い冬を心と体に沁み込ませているのだろうな。

そう思うと、雪深い秋田に生まれ育った池田修三が命を吹き込んだ少女たちのまなざしに同じものをみつけても不思議ではない。

会いに行きたいなあ。

でも、東京も負けずに遠いなあ、、、


さよなら、みたらしだんご

2016-07-23 13.39.49 HDR久しぶりに今出川にある日栄堂の前を通った。

暖簾出てない。今日は休みか。

あれ? いつになく大きな張り紙、、、

嫌な予感、、、

的中。。。

今日から下鴨神社のみたらし祭が始まるというのに、なんというものを見てしまったのか、、、

2016-07-23 13.39.15

予兆はあった。
ちょうど一年前の投稿記事・・・

その後去年の秋には復活していたが、、、 いつの間にか店の中から、昔ここが和菓子屋さんで「ややこ餅」が店の看板商品だったころの写真や、菓子博覧会での賞状などが消えていた。みたらし団子の味は変わらず、おばあさんたちも相変わらずのペースで、みたらし団子を包んでくれたけどけど、、、

あ〜あ、、、 接客はぶっきらぼうなのに、お店の昔話に話題を振ると急に笑顔になって店の歴史をあれこれ説明してくれたおばあさん。。。どうしているんだろう。もうお店は再開しないだろうけど、お元気で。

(喫茶SIZUKAも休業中。先日前を通ったら改装中だった。SIZUKAのおばあちゃんに何かあったのか。。。怖くて店の前の張り紙を読めない。。。)



三宅洋平のこと

三宅洋平が以前に障害もつ子どもを産んだ親たちに「反省」という言葉を投げかけたことをブログで謝り、取り消している。当然だと思う。
http://ameblo.jp/miyake-yohei/entry-12181291591.html

元をたどれば内海聡という胡散臭い医者の言ったことを彼が解釈し自分の言葉にして問いかけているのだが、どう読んでも内海を支持し、擁護しているとしか思えない。

その後、三宅洋平は批判を受けて「反省」という言葉を使ったのは間違いだったと認め、傷ついた人に対して謝罪をしている。しかし、問題は用語の選択を誤ったという表面的なことではない。「反省」という言葉の後ろには「障害もつ子どもは生まれてきてはいけない」という考えが見て取れる。そういう子どもを産んだのだから親は「反省」すべきだ、と取られてもしかたないだろう。

だから、親を責める「反省」という言葉を使った後に、いくら「障害とともにその子を大切にしていこう、そして障害を受けとめることに障害のない社会にしていこう」とフォローしても虚しい。

「反省」という言葉を取り消し、謝罪をしても、「反省」の元祖である内海聡を擁護したことまで彼は誤りだとは言っていない。内海への傾倒という基本的な姿勢は変わらないのだろう。

僕はこれまで、原発や安全保障、沖縄、農薬などについて声を上げ続けている三宅洋平を支持する立場をとっていたけど、非常に残念だ。というか、今頃遅かりしかもしれないが、今度のことから彼と内海聡の関係がわかってきてひどく失望している。

同時に、彼が内海聡の考えに沿った発言をFBに書いたのはまる一年も前のことだったのに、そんなことも知らなかった自分自身にも僕はがっかりしているのだが、、、

さて、これからも彼を支持していくのか、、、 どうしたものか、、、


この線路の向こうには何があるの?

今、シベリア鉄道の切符予を約中。バックでは『さらばシベリア鉄道』が流れている。あれこれ調べてRussian Railwaysのサイトに行き着くまでに、大滝詠一のこの曲も引っかかってきた。

スクリーンショット 2016-07-17 19.41.39Mod昔の連れあいが彼のファンでLPをよくかけていたので、大滝詠一の曲を聴くといつもあの頃の記憶が鮮明に蘇ってきて辛くなるんだけど、、、

一方、親しい友人のミュージシャンが彼へのオマージュとしてカバーしたりパロったりしていて、そういう新鮮なフィルターを通して聴くと、たとえほろ苦い思い出にも懐かしさを覚える。ああ、今はそっちのバージョンを聴きたいなあ、、、 (でもいろんな事情で今すぐここでは無理。ふう、、、)

2016-04-14 12.41.03Mod大滝詠一は何故か折に触れひょこっと顔を出す。この春も、朽ち果てた倉庫の整理をしていたら泥の中から彼女が残していったアルバム『Each Time』が出てきて、どきっ!『ロンバケ』もその辺りに埋まってるに違いなかったが捜さなかった。(カーペンターズの『Now and Then』も一緒にくっついて出てきたけど、それって皮肉?昨日はもう戻らないのにさ、って。)

来月、ウラジオストクの駅に立ったとき、あらためてその線路の向こうには何があるのかと思いを馳せるだろう。シベリアを越えてモスクワ、ヘルシンキ、ストックホルム、さらには15の時に憧れたKungsledenを歩いて最果ての地、ラップランドまで行き着けたら哀しい瞳のトナカイに遭うかもしれない、、、と今から遠い目。