ネルグイさんの演奏をまた聴きたいと思っていたら、ネルグイさんをゴビで再発見し日本へ招聘した「しゃがあ」の西村さんが、再度日本へ来てもらうプロジェクトを立ち上げ、クラウドファンディング始めたので、即応募したら、なんと#1だった。
見返りに最新録音のCDとオマケのブロマイド(古!)やネルグイさん特集の古い「しゃがあ」などを送っていただけた。
いま、そのCDを聴きながら書いている。相変わらずの奔放な演奏に引きこまれて寝るタイミングを逸してしまった。。。
ネルグイさんの演奏をまた聴きたいと思っていたら、ネルグイさんをゴビで再発見し日本へ招聘した「しゃがあ」の西村さんが、再度日本へ来てもらうプロジェクトを立ち上げ、クラウドファンディング始めたので、即応募したら、なんと#1だった。
見返りに最新録音のCDとオマケのブロマイド(古!)やネルグイさん特集の古い「しゃがあ」などを送っていただけた。
いま、そのCDを聴きながら書いている。相変わらずの奔放な演奏に引きこまれて寝るタイミングを逸してしまった。。。
一条戻り橋から少し東に入ったところの北側にある民家の軒先に、週替りくらいのペースで木彫の猫や犬が展示されている。
いつもは丸イスの上に彫刻がポツンと置かれているだけなのに、今日別のがもう一匹、地べたでなにやら葉書のようなものを掲げている。
近寄ってみると彫刻の作者、岩尾さんの個展の案内だった。前回、何年前だったか、まだ僕が一条ちかくに住んでいたころ、中京の「ギャラリー集」で個展をされたことがあり、僕も観に行った。
今度は北山通の「ギャラリー翔」だとか。(似たような名前の画廊だなあW)
「誰に習ったわけでもなく、自分からは個展など開こうとも思わない。軒先の丸イスの上で十分。でも声をかけてくれる人がいて、大勢に見てもらえる機会が得られたので、それはそれで嬉しい」と岩尾さんは言っていた。前回は動物たちが神輿を担ぐお祭りシーンだったが、今回のはオーケストラになるんだって。うーん、言葉とは裏腹にやる気満々やんか!(笑)
また行ってみよう。
ちょうど前を通りかかったので、日栄堂のみたらしだんごを買って、堺町画廊で展覧会をやっている池田匡優さんのところへ持って行って一緒に食べた。
日栄堂はこの夏ごろだったか、長く休んでいて、お店の方は高齢なので心配していた。時々、通る度に様子をうかがっていたが、最近はずっと開いているようだ。もっとも、午後少し遅くなるともう売り切れている。行列ができるという状態はないのだけれど、多分あまりたくさんは作らないのだろう。無理はせず、そのかわり永くやってほしいな。
堀川にあった食堂「ともゑ」のばあちゃん、三条商店街外れにあったタコ焼「六ちゃん」のばあちゃん、、、みんな店を閉めちゃった。日栄堂のばあちゃんたちは、とりわけ愛想が良いというわけではなく、むしろぶっきらぼうなんだけど、上七軒の舞妓芸姑さんがよく来たとか、昔、このお店が和菓子屋さんで天神さんの向かいにある粟餅のように「なんとか餅」(忘れた、、、)がウリのお店だったことなどを聞くと、いろいろ話してもらえる。そういうことああいうこと、ひなびた店構え、などなど、みたらしだんごと一緒にかみしめる。。。
安倍政権の掲げる「一億総活躍云々」を聞かされると「進め一億火の玉だ」を思い浮かべた。ったく、いやーな気分!
僕は戦後生まれだけど、知っている戦後の「一億総〜」ってのはろくなものがない。それは、「一億」という威勢よく国民を「統合」する表現の元がこの大政翼賛会のスローガンにあるからだ。
またそれに続く「一億玉砕」、「一億特攻」などにも見られるように、本土決戦へ駆り立てるため国民を使い捨ての兵器のように十把一絡げに扱った当時の政府と軍部の愚かさと恐ろしさを知る人たちにとっては、「一億総〜」はある種の自嘲・揶揄としてしか使いようのない言葉であったからだ。
戦後70年、戦犯の亡霊にとりつかれた安倍と、その取り巻きには、もうこの言葉のもつ負の意味が解らないのだろう。全体主義的な威勢の良さだけで、こんなに汚れた表現を平気で持ち出す無神経な輩の本籍と、「みんなちがって、みんないい」と詠った金子みすゞの出身地が同じ現長門市だという。なんと皮肉な。。。