前にも書いたが、ここの文章はほぼ僕の覚え書きで、思いつくまま、あったことをダラダラしたためてるだけなので、めんどうなら別にアップする写真を見てもらえたら、と思う。
次から次にいろんな人と出会うので、飽きるどころか、書くことがどんどん増えて、夜にいっぺんに書き切れない。寝れなくなるとこまるので、昼間にも暇を見つけて記事を書いてると、作家と間違えられる。このとことと、ちょっとキーボードにへばり着きすぎてるな。。。でも、しまいには「今日も1日書き物して暮れた」だけでおしまいになるかも。
さて、今日は世話になったアクバルくんがチュメニで降りる。朝から色々と食べ物をすすめてくれる。車内販売のおばさんからサムサを二つ買って一つ僕の前に置いてくれる。彼はまだ22なんで、僕がお礼におごらなきゃならないのに、、、
サムサの中身はビーフと玉ねぎ。美味いねえ。お返しにミックスフルーツ&ナッツとチーズ、ソーセージを切って差し出しす。それ何の肉って訊かれる。え、、、し、知らん。あ、いかん!忘れてた。彼はムスリム。申し訳ない。。。ハラルについて知らないわけじゃないのに、うっかりすると危険だ。
今のいままでアクバルくんはキルギス人だと思っていた。彼はキルギスで生まれたのでキルギスのパスポートを持っているが、家族とロシアに住んでるからロシアのパスポートも持っている。しかも、家族はみなウズベク語を喋ってるって。。。その上、おばあさんはウイグル人だと、、、もう、意味わからん、、、
今日もコンセント争奪戦が激しい。僕のプラグ変換アダプタはふた口なので、日本仕様の平たい電極のプラグとヨーロッパ仕様の丸棒二本のプラグがそれぞれ一つずつ突っ込める。しかも日本から持ってきた大容量のAD-DCコンパータは、うUSBがふた口あるから同時に3人が使える。しかし、失敗したのは僕のコンパータががかさばって、プラグをコンセントにしっかり最後までさしこめない。ガムテープとビニールテープでなんとか壁にくっつけてあるが、直ぐに不安定になり、電気が途切れる。おかげで僕は電気番のおじさんと化して、数分に一度、必ず振り返って通電を確認しなければならない。
停車中に下車したら、ちょうど英国人のニコくん、ロシア人のオクサナさんと一緒に、うわさの日本人、シン子さんが立っている。隣り合わせの三等車に都合4人の日本語話者がいるなんて、、、。初対面のシン子さんは僕がこれから向かうスウェーデン北部に在住だそうで、いままでこの路線を20往復以上したけど、ほとんど日本人にあったことがないという。ううむ、、、。彼女が出会わなかっただけなのか、それともこの出会いはそれほど稀なことなのか。。。僕は、運命主義者じゃないけど、この099号はとってもマジカル・ミステリー・トレインだと思う。(惜しいな、あと一つ、0が9だったら、、、w)
シン子さんが、どちらから?って聞くので京都と言ったら、えー?わたし(京都市の)山科に長いこと住んでた、って。また、英語が上手だけどどちらで?とも尋ねられたのに、ウィスコンシンって答えたら、また、ええー?私、パークサイド!って。僕はマディソンで、それぞれウィスコンシン大学の分校と本校。
紅茶のお湯を汲みに行ったら、チャンくんが怖いと言っていた北朝鮮の人からロシア語で声をかけられる。僕が朝鮮語が少しできます、と答えるとダダーっと喋られて全くわからない。僕は日本人んで云々の自己紹介や初対面の挨拶をしたら(それくらいは何十年たっても丸暗記で音で覚えてる)、またダダダー、、、名前がキムさん、仲間とモスクワへ行くのだとか。しかし、僕を何者だとおもったのかな?(うっかり「韓国語」って言いそうになる。きをつけなきゃ。。。)
その次、どこかの駅で一人ぶらぶらしてたら、キムさんがベンチから手招きしてる。一緒に座れと言われ、腰掛けたらタバコをすすめられるが、タバコ=タンベは言えるが吸えないと表現をを思い出せない。申し訳ないけど、タバコを「する」ことが出来ません。と言ったらなんとか解ってもらえる。実はタバコはちょっと古臭い日本語と同じく「飲む」と言うのだけど、飲むという基本単語すら思い出せず、後の会話も四苦八苦。ただ、鉄道員という単語が聞こえたので、シペリア鉄道員には平壌につながる枝線があるから、極端に外国にに出にくい北朝鮮の人の中でも、鉄道員は別格なんだろうな。ランニングシャツを着て日焼けした小っちゃいおっちゃんたち、エリートなのかも。
列車の中で朝鮮人とは明らかにちがう、東洋系のおじさんが僕の側に座って何か聞いてきた。今度はバト・エルデネさんというモンゴル人。先日、プリヤートのツェレンくんとのやりとりで、ずいぶん思いだしたつもりのモンゴル語も、ネイティブの話者がちょっと凝ったことを聞いてくると全くわからなくなり僕が答え、に窮する。いっしょに来てる娘は英語ができるとのこと。
娘のシュルさん登場。英語は不自由なく話せる。おかげて、現在のモンゴル国やウランバートルの状況をきくことができる。驚いたことに、ウランバートルには20年ほど前まで戸別の住所表記が無かったのに、バト・エルデネさんはスラスラと住所を書いてくれた。むかし、お世話になったツェレンドルジさんのアドレス、今は何と表記するのかなあ。。。話は違うが、ツェレンドルさんの息子オロスにもしも今会えば、パト・エルデネさんと同じ位の年頃なんだろなあ。
オムスクで30分ほど停車中に、また日本語の四ったり集まって話する。ふたたびシン子さんが、新婚当時は一乗寺にも住んでいたとか言い出して、めっちゃローカルな話題に。。。
しばらく隣で一緒だったお父さんとお嬢ちゃんとはオムスクでさよなら。彼らからお菓子をいっぱいもらった。もらったキャンディーの包み紙で昨日折り鶴を折ってあげたら、本当に大事そうにオリガミを受け取ってくれたが、別れ際に名前を訊いたら、オリガちゃんだった。オリガにオリガミ、、、(す、すんません、、、)
5号車に初めて遠征し、すっかり暗くなるまで例の四人で話し込む。中国の人が一人加わっているのでほぼ英語。英国人のニコくん、米国留学経験のシン子さんはもちろん、オクサナさんも英語もできる。アニメ、食べ物、旅行、その他諸々の雑談だけでなく政治や民族の話になるが、ここでもまたお菓子がいっぱいでてきて、お腹が減らない。(したがって買い溜めたインスタント麺も減らない)
自分の席に戻る途中、連結部でたむろしてタバコを吸ってる。やんちゃな中高生が校舎裏に隠れて吸ってるるみたいだな。
真夜中、チュメニが近づきアクバルくんとブリヤートのアンドレイくんが起き出して、荷物まとめたりベッドの布団を丸めたり、シーツを車掌に返したり、忙しく落ち着かないそぶり、彼らもまた連結部へ行って一服してくる。禁煙したいって言ってたのに。
チュメニは思ったより大きい。市街地に入ってから駅に停車するまで時間がかかる。真夜中なのにそこら中が明るい。駅も立派。ガスや油田で潤ってるのかな。だったら何でアクバルくんたちは韓国へ出稼ぎに行ったんだろう。てなことを聞いてる余裕はなく、一緒に撮った写真の交換をFBですることを約束して、ホームまで見送りに降りる。いっぱい礼を言いたいのに、あまり言葉が出てこない。ただ、2年間も家を離れていた後にお母さんに会う彼の気持ちは、僕も学部生の時はお金がなくて丸2年日本に帰れずにいたから、よく解る。京都駅のホームまで迎えに来てくれた母をアメリカ風にハグしたら固まられたのを思い出す。アクバルくんと握手しながら、さっさと行け!母ちゃんに会いたいんだろう!って言ったら、彼にハグされた。笑
さよなら ハーヤ