遠くへ帰る友達

科学技術の用語を精神世界などあっち系の現象に使うのには、ほぼ嫌悪に近いような強い抵抗を感じるのだけれど、思考や感情における他人とのシンクロ具合がただならないと感じるときには僕も「波長が合う」という言葉を使用する。(それだけ稀なことなんだけど、、、)

学部生だった時の指導教授と院での指導教授とは、まさにこの言葉がぴったりだったと言える。(ちなみに、前者がこの言葉「Wave Length」を教えてくれたのだった)

上記の二人とは師弟の間柄だったが、波長が合う関係は必ずしも密接な、濃厚な付き合いの関係である必要はない。意気投合とか親友とかとも違う。たまにしか会わない、、、いや、それどころか普段はメールの交換すら滅多にないような友人でもあり得るわけで、事実、ほんとうの意味で波長の合うと言える友人とはそんな関係だ。(長年生きてきたけど、波長の合う友人は数えるほどしかいない)

数少ない波長の合う友人が日本を去ろうとしている。元々無口な彼とは、夜を明かして語り合ったとか一緒に何か事を成し遂げたとかいうことなぞついぞ無い。それでも少ない言葉の後ろに隠れている彼の心の動きが、理屈なんぞ抜きでこちらの心に響いてくる。まさに波長が合い、同期し、共鳴しているのだ。

福島の事故後、家族を自分の実家があるドイツに避難させ、彼ひとり日本に残って仕事をしていた。今度、日本の仕事に見切りを付けて彼も帰ることになった。

今後は今まで以上に会う機会は減るけれど、物理現象ではない「波長が合う」という関係は、会う間隔や頻度に影響されないのと同じく、物理的な距離、地理的な隔たりにも関係がないので、ちっとも寂しくはない。

惜しむらくは、パーカッショニストでもある彼が提案したダラブッカの改良を、仕事の遅い僕のぐうたらで未だ実現できてないこと。。。まあ、お互い生きていれば、いつかできるだろう。。。


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