前置き:ダラダラ長い能書きを読まず、どんな形か?どんな音か?さっさと出せ!という人はこちら で動画に飛んで。(またはYoutube で観るとか、、、)
あと、この稿では鞣(なめし)を施していない「皮」を使う。(一方「革」は加工されたものを指す)
動画のキャプャー画像1
動画のキャプャー画像2
動画のキャプャー画像3
モンゴルの馬頭琴が、まるでバイオリンかチェロのようなf孔のついた板張り胴の今の形態になったのは、モンゴルが社会主義体制になった後、ソビエトロシアから西洋音楽の影響を受け始めたほんの数十年前のことで、それまでは三味線のような皮張りだった。国境線で隔てられているが同じ民族の中国の内モンゴルでも皮張りから板張りへの移行があり、しかもこちらでは機械式ペグの採用にまで進んでいる。
皮張り馬頭琴 (from “Mongol Zurag” State Publishing House, Ulan-Bator, 1986)
ちなみに、現在は中国や日本で「馬頭琴」と呼ばれているが、以前は馬頭が付いてないものも多くあったようだ。『スーホの白い馬』でも馬の頭が付いているという記述はなかったと思う(挿絵では馬頭が付いているが)。だいたいモンゴル語ではMorin Khuur(モリンホール=馬の楽器)と言い「馬頭」という言葉は出てこない。しかし馬頭琴が国や民族の文化を代表する楽器となった現在、モンゴル本国や内モンゴルで製作される馬頭琴に馬頭が無いものは無いだろう。。。構造でも形態でも馬頭琴は現在進行形の楽器なのだ。
ちなみにのちなみに、昔、モンゴルの擦弦楽器のうち馬頭が付いたものは「モリン・トルゴイトイ・ホール(=馬の・頭の付いた・楽器)」あるいはそのバリエーションで呼ばれることもあったようで、トゥバ音楽演奏・研究者の等々力政彦さんによると、それを「馬頭琴」と訳したのはおそらく明治の女性研究者、鳥居きみ子の可能性があるとのこと(真宗総合研究所研究紀要 第31号 III 「内モンゴル敖漢旗喇嘛溝の遼墓壁画に認められる、台形胴の長頸リュートについて」、p. 9。鳥居は「ムリントロガイヌホーレ」 と記述したようだが意味はほぼ同じ)。等々力さんのこの記事は馬頭琴やその仲間、祖先である皮張り楽器、それらの変遷などについて興味深い話に満ちている。(大谷大学学術リポジトリ でPDF化された論文を読むことができる⇒等々力さんの論文はこちら。 *)
*等々力さんから連絡をいただいたので確認が取れ、参考にした紀要の記述は部分的に修正したいとのこと。ここで扱うこととは直接関わりは無いが、その要旨は「(台形胴の楽器は)…アジア中央部地域『のみ』で認められる」としたのだが、別由来の同様の形態の楽器は北アフリカも独自の歴史があることが判ったということだった。
閑話休題。大塚勇三/赤羽末吉の絵本や小学校の教科書に載せられた馬頭琴の起源譚『スーホの白い馬』にも殺された愛馬の皮を使って楽器を作ったとある。ただ、実際には「馬皮張り」の馬頭琴というものはモンゴルでも作られていないようで、「モンゴル人が『馬では良い音が出ない』とを言っていた」という又聞き情報くらいしか馬皮を使わない理由を僕は知らない(「しゃがあ 」主宰者でモンゴルやカザフなどアジア内陸部の民族や文化に詳しい西村幹也さんだったような気もするが、、、情報ソースをはっきり憶えてない*)。今どきリバイバルで皮張り馬頭琴の渋い音を好む演奏家が出てきているようだが馬皮の楽器を使っているというのを聞いたことがないし、日本ではその第一人者である岡林さんの楽器も山羊皮である。アフリカの太鼓ジャンベなども山羊の皮だから、きっと馬頭琴には薄くて丈夫で響きも良い山羊皮が使われるのだろう。(あるいは馬への愛着が深いモンゴル人にとって馬の皮を剥いで楽器に張るということに抵抗があるのかも、とも考えたが、しかしそれではスーホの白い馬やそのバリエーションの起源譚がモンゴル各地に存在することと矛盾する。おそらく純粋に音色の好みの問題なのではないか。
*西村さんに確認したところ僕の記憶どおりで、さらに、「馬の皮は柔らかくて張りを一定にできない」=音が変わりやすくて、いい音にならない、という追加情報もいただいた。
しかし、馬皮とて和太鼓に使われるものは牛皮のそれより薄く、和太鼓を作っている太鼓屋さんに聞いたところでは締め太鼓などに使われて、微妙な振動で良い音が出るとのこと。この皮なら馬頭琴にも使えるのではないか、と思った。
実は以前に東北を旅しながら作った「オシラサマ馬頭琴 」に、すでにスーホのお話に倣って馬皮を使っている。ただ、あのときの皮は、屠殺後に剥がれて塩漬けにされた生々しい毛付きの皮だった。部位も判らない分厚い皮から毛を剃り取って胴枠に張ったのだが、乾燥してもかなりの厚みがあった。そのため、繊細できらびやかな音どころか、胴の小ささも相まって音量も出ないし、ひたすら渋いくぐもった音色のものになった。それはそれで東北地方の風土を反映したような鄙びた「味」があって良かったのだが、元々朗々と唄うオルティンドーの伴奏楽器であった馬頭琴としては、勇壮な音楽を好むモンゴル人の言う「良い音が出ない」がそのまま当てはまるとも言える。
昨年、知り合いの音楽家Yさんから「壊れた馬頭琴を改造して皮張りにしてくれないか?」と頼まれた。僕も経験があるのだけれど、小学校でスーホ絡みの演奏をすると子どもたちから「お話では馬の皮やスジを使ったって言うのに、どこに使われていますか?」という質問が出るので、皮張りのものが欲しいとのことだった。他の演奏者はどう答えているか知らないが、僕は皮から膠(ニカワ←煮皮)という接着剤ができるので、板張りになった今でも動物の皮やスジは膠の原料として使われている、と答えるようにしていた。ただし、これはちょっとマヤカシで、馬頭琴に使われたニカワが馬皮からできているという確証など全く無いのだから。
さてその依頼を受けた馬頭琴だが、共鳴胴がひどく傷んでいて、表板の割れだけでなく側板も接着が外れて、そのうえ魂柱が失われたまま弦を長く張りっぱなしにしてあったのか表板が陥没したように変形していた。これではまともに音も出ない、哀れな姿だった。
傷んだ板張り馬頭琴。
f孔の割れ。
もう一つのf孔の割れ。
ネックを付けたままボンドを流し込んだ形跡。
上板の剥がれ(右側)と内部のバスバーの剥がれ。
表板を外して見たら、板の逆反りとバスバーの状態の悪さが露見。魂柱は存在せず。
依頼者は気軽に「皮を張れば再生できる」と考えられたのだろう。しかし、音が出る基本原理が全く違う板張りと皮張りでは、胴の材質や構造に互換性がないのだ。簡単なことではないし、形はできたとしてもどんな音質になるかも判らない。と、断りをかけたのだが、熱心に説得されてしまった。受け取った馬頭琴は痛みも酷いが、割れ目に木工用ボンドを流し込むというやっつけ修理が施され、しかも、元々が膠でなくボンドで組み上げられている安物だった。手をかけて修理する価値があるかは疑問だが、かと言って元の形や構造をすっかり換えてしまう改造を製作者じゃない僕がやるのも実はあまり気が進まない。また、その頃から頸椎の異変による手の痺れが起き始めていたので、それも受注を躊躇させる一因でもあった。(それでも、壊れた楽器を少なくとも音が出るように再生してやるのも悪くないかと考えたのは、自分の身体が壊れかけていることも理由の一つだ。同じ理由で愛車FIAT 500のワイヤリング・ハーネス全交換 修理をやったのだったし。)
でも、受けた以上は身体が動かなくなる前に仕上げてしまおうと、昨年末には完成させた。詳しい製作過程の説明は避けるが、一連の写真を掲示しておく。
下準備の修理
剥がれた裏板にボンドを流し込む。
はみ出たボンドを養生テープで食い止める。
剥がれた裏板の接着。
どっちらかった作業台。
共鳴胴の改造
表板を外して見たら、板の逆反りとバスバーの状態の悪さが露見。魂柱は存在せず。
内部の接着は木工ボンドかカゼインのような白い接着が使われていた。
薄い側板を欅の棒材で補強する。
補強枠をクランプで固定。
クランプ総動員。(笑)
本来は縦横十字に入れる補強つっかい棒を斜めに入れた。
枠に溝を切り、つっかい棒を差し込んでまたクランプで押さえて接着。
胴枠構造の完成。
側板のニスを剥がして皮が接着できるようにする。
養生テープでニスの保護。
皮張り
皮に上からテンションを掛けるので、側板が座屈しないように一時的な補強を入れる。後から外しやすいように糸を付けておく。天と底の上下の板にはネック保持の補強があるので不要。
生皮や木材と親和性の高い膠を使うべきだが、簡略化のために木工ボンドで接着。
乾燥状態で50cmのテープを切り出し、この後、水に浸けて伸びを測る。
皮のサンプルを水に数時間浸す。皮を提供していただいた太鼓屋さんによると、馬皮は薄いので牛の革より短い時間でよいだろうとのこと。
水に浸けたサンプルを取り出す。
引っ張らない状態で約3cm伸びた。
いよいよ本番の水浸け。
皮の裏側に付着した不要なムラを軽石で除去。
タッカーで仮枠に張った皮をどうに被せ、クランプで締め上げる。
傷から破れが発生。締め付けを一時中断し、切れ目がそれ以上伸びないようにする。
切れ目に薄く梳いたパッチを貼り、補強する。
接着した胴枠側が先に乾くよう、皮の表面をビニール被覆で養生する。
仮枠の接着剤が乾燥したのでクランプを外す。
仮枠を外す。
側面の皮で接着剤がまわっていないところにボンドを行き渡らせる。
カッターのプラスチックの柄でこすって皮を側板になじませる。
若干のシワがコーナーで取り切れていない。水で濡らして押さえつける。
側板の補強つっかい棒を外す。
側面のノリ剥がれ補修完了。クッションテープも剥がす。
コーナーのシワ取りのためにクランプや板で押す。
側板の接着部分をベルトクランプと長尺クランプで押さえ込む。
コーナーのシワをカッターの柄で延ばす。
シワ取り完了後のコーナー。
余分な皮をカッターナイフで切り取る。
バスバーの接着。
音孔、というかメンテナンスホールからバスバーを見る。
完成
文様
発注者から「つっかい棒が透けてるのは痛々しい」、「皮に色を塗ってはどうか」という意見が来た。ちゃんとした細工がしてあるので恥ずかしようなものでもないと思うし、まして痛々しいとはつゆぞ感じてなかったので少々ショックだった。壊れていたとはいえ別の人が製作した楽器を赤の他人が勝手に改変してしまうほうがもっと痛々しい行為だとは思うけど、、、それにナチュラルで透けている馬皮に着色してアラかくしをすること自体、せっかく馬皮を使ってスーホの白い馬の話に寄り添った馬頭琴にする、という本来の目的から逸脱するので断固ことわった。うるさいやつだと思われてるかも知れないが、これは譲れない。仮にこれが山羊皮だったら平気で僕が色を塗ってたかも、、、。日本でも、モンゴルでも、世界中さがしてもあまり例のない、しかしスーホの白い馬で疑問をもった子どもたちに見て欲しい馬皮馬頭琴を作ったんだから、無理を言わせてもらった。
ただ、皮を張りっぱなしで少々殺風景なのは否めない。そこで出荷まえに思いついて伝統的な文様を描き込もうと思ったのだが、どうにも手が動かない。仕方なく手抜きの方法を選んだ。耐水性があり地色が透明な転写プリント用紙にレーザープリンターで印刷してシールを作り、プラモデルのデカールのように表板に貼り付けた。(納品後に依頼者から手描きと勘違いされたコメントをもらったくらいだから、そんなに悪くない出来だと思う。文様については喜んでいただけたので、色塗り云々の件を補ってあまりある結果が得られた、と僕自身もほっとしている。)
透明転写プリント用紙に印刷し、余り皮を張ったテストピースに水で貼り付ける。
転写プリント用紙の説明書にはオーブンで焼くとなってるが、皮なのでそうもいかず、ドライヤーで炙る程度にした。
まずまず固着した転写プリントシール。
胴中央の円形吉祥文様も貼り付けるが、ドライヤーが皮の負担にならないようマスキングをしてある。
音色
馬の皮が良い音かどうか、はモンゴル人の趣味次第だが、僕は気に入っている。オシラサマ馬頭琴の渋さは無く、もちろん板張りとは違う音だし、他の山羊皮馬頭琴とも似ていない。これは「馬皮馬頭琴」というジャンルになっちゃってるのかも。オシラサマ馬頭琴も、あれはあれでワンノブアカインドという感じだけど、あの存在意義を理解して弾きこなせるのは嵯峨治彦さんしかいない*。今回の馬皮張り馬頭琴も音色だけでなく発音の性質には少々癖があり、弾き手を選ぶかもしれない。頼んでくれた和歌山のYさんは、馬頭琴以外にも多くの楽器を弾きこなす人だから、きっとちょうど良い塩梅の設定やチューニングを見つけてこのケッタイな楽器と仲良くなってくれるだろう。そして、馬皮馬頭琴の演奏を聴く子どもたちに、その音の源の馬皮を通して伝わるものがあると良いなと思う次第。
*そう言い切れるのは、彼との出会いが僕の馬頭琴作りの嚆矢であり、その後もいくつかのゲテモノ的私製馬頭琴の試奏・試用(モニター)をやってもらったことと、もう一つ、「オシラサマ馬頭琴」は単なる楽器の固有名ではなく、僕の作品製作スタイル(あるいはスタンス)の根源に関わる自問に対し、答えを見出すために実行した「一人プロジェクト」に彼の演奏が欠かせなかったということも重要な理由である。(つまり「物」としての作品ではなく、最少限の手道具を携えて山野を彷徨しつつ土地々々の材料を得て物作りをする)という「アクション」の総体が「オシラサマ馬頭琴」という作品であった。その総仕上げとして、完成したオシラサマ馬頭琴を僕の馬頭琴原点たる嵯峨治彦という演奏家に弾いてもらうことでそのプロジェクトが完結したのである。嵯峨さんを巻き込もうと目論んだ時点で既に「一人プロジェクト」ではなかったが、さらに、旅の行く先々で出会った人たちからいただいた情報や材料や物心のサポートがなければ作品「オシラサマ馬頭琴」は成立しなかったから「一人プロジェクト」の看板は降ろさないといけないだろう。。。)
追記:忘れていたわけではないが、馬皮の入手について本文中に書く機会を逸していたので、改めてここに記す。
皮張りにしてと依頼されて、すぐに馬皮の使用を思いついた。すでに書いたようにオシラサマ馬頭琴で馬皮は使っているのだが、あれは完全に僕自身の実験的作品であり、どんなに気難し楽器になっても嵯峨さんなら弾きこなしてくれるだろう、という甘い考えがあった。しかし、自分から馬皮の使用をオファーしたとはいえ、依頼者に気に入ってもらえるようなものを作るには、分厚い生皮を使うといったリスキーな選択は避けたかった。以前、佛教大学の知り合いから頼まれた仕事でアジアの打楽器(特に太鼓)についての冊子を作ったとき僕なりに調べたことがあり、その冊子では和太鼓関係は出てこなかったけど、馬皮も太鼓に使われることを何となく知っていた。そこで今一度馬皮の太鼓について調べてみたら、和太鼓の締め太鼓に使われる馬皮は、山羊ほど薄くは無いが牛革よりは馬頭琴に向いているのでは、という感触を得た。
京都に老舗の太鼓屋さんがあるというネット情報で、その場所を探したら、なんとお隣の奥さんの実家の隣となっていた(じつはそこは店ではなく太鼓屋さんのオーナーの家だったんだが、、、それはともかく)。奥さんのお父さんが気さくな方で、しかもいろいろな方面で僕と繋がりがある人だと判明。その伝手でお隣の太鼓屋さんの社長さんに紹介いただけた。早速店舗にうかがって事情を説明したところ、子どもたちに聴かせる楽器を作るのなら、と無償で馬皮を提供していただくことができた。ついでに馬皮の性質や水に浸す時間や扱い方なども詳しく教えてもらえたので、これは本当にラッキーだった。芋づる式に材料と情報の提供者が現れて、まるで何かの力に「導かれるように」作らされたオシラサマ馬頭琴の旅 のことを思い起こさせる。
紹介が最後の最後になってしまったが、お世話になった太鼓屋さんとは、京都の『三浦太幸堂』 で、寛政年間創業という二百数十年続く老舗のメーカー。所在地は僕が通った堀川高校のすぐ北側(全く知らなかったけど)。醒ヶ井通という裏路地みたいな狭い道にある。訪ねたら町家が多い街並みには高校生だった頃の懐かしい昔の面影が残っていたが、進学校になってしまった高校は外観も異次元の変貌ぶりで、その妙な色の建物はちょっとキモい。三浦太幸堂さんは改装されてたのか新築なのかわからないが町家の風情を残した建物だった。完成後にも再度お邪魔して馬皮の張り具合をお見せしたら、上手く張れていると褒めていただいた。