「日記」カテゴリーアーカイブ

みたらしだんご

ちょうど前を通りかかったので、日栄堂のみたらしだんごを買って、堺町画廊で展覧会をやっている池田匡優さんのところへ持って行って一緒に食べた。

日栄堂はこの夏ごろだったか、長く休んでいて、お店の方は高齢なので心配していた。時々、通る度に様子をうかがっていたが、最近はずっと開いているようだ。もっとも、午後少し遅くなるともう売り切れている。行列ができるという状態はないのだけれど、多分あまりたくさんは作らないのだろう。無理はせず、そのかわり永くやってほしいな。

堀川にあった食堂「ともゑ」のばあちゃん、三条商店街外れにあったタコ焼「六ちゃん」のばあちゃん、、、みんな店を閉めちゃった。日栄堂のばあちゃんたちは、とりわけ愛想が良いというわけではなく、むしろぶっきらぼうなんだけど、上七軒の舞妓芸姑さんがよく来たとか、昔、このお店が和菓子屋さんで天神さんの向かいにある粟餅のように「なんとか餅」(忘れた、、、)がウリのお店だったことなどを聞くと、いろいろ話してもらえる。そういうことああいうこと、ひなびた店構え、などなど、みたらしだんごと一緒にかみしめる。。。

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進め一億火の玉だ

安倍政権の掲げる「一億総活躍云々」を聞かされると「進め一億火の玉だ」を思い浮かべた。ったく、いやーな気分!

僕は戦後生まれだけど、知っている戦後の「一億総〜」ってのはろくなものがない。それは、「一億」という威勢よく国民を「統合」する表現の元がこの大政翼賛会のスローガンにあるからだ。

またそれに続く「一億玉砕」、「一億特攻」などにも見られるように、本土決戦へ駆り立てるため国民を使い捨ての兵器のように十把一絡げに扱った当時の政府と軍部の愚かさと恐ろしさを知る人たちにとっては、「一億総〜」はある種の自嘲・揶揄としてしか使いようのない言葉であったからだ。

戦後70年、戦犯の亡霊にとりつかれた安倍と、その取り巻きには、もうこの言葉のもつ負の意味が解らないのだろう。全体主義的な威勢の良さだけで、こんなに汚れた表現を平気で持ち出す無神経な輩の本籍と、「みんなちがって、みんないい」と詠った金子みすゞの出身地が同じ現長門市だという。なんと皮肉な。。。



夜食の代償

ラグビーワールドカップの日本対サモアを見終わったら、家の中がちょっと寒い。手近にあったナイロンの薄いジャケットを羽織って、小っ腹すいていたので辛くて暖まりそうなタイ製のトムヤムクン・インスタント麺を作った。

ガスコンロの向こう側の物に手を伸ばしたその時。む?臭っ!なんか焦げてる?つか、燃えてるっ!

慌てて、指でつまんで火を消した。ポケットは貫通を免れたけど、収納袋はオシャカ。。。
(;´д`)トホホ…

夜食の、ていうか、うっかりの代償は、ジャケットの大きな穴と人差し指の火傷(第1度熱傷)。

暖まるどころか冷や汗出たわ。。。

これで死んでたら「独居老人『着衣着火』で死亡』とか新聞に書かれるんやろうなあ。。。

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