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FIAT 500 エンジンフードの熱遮蔽版製作

チンクエチェントの空冷リアエンジンは狭い所に押し込めてあるので、エキゾーストパイプがエンジンフードに接近していて、ナンバープレートやテールランプが熱くなる。それを緩和するために不燃材でできた遮蔽板がフードの裏に取り付けられている「はず」なんだけど、、、。ウチのには無い。今までのところ配線が焦げたりはしていないが、塗装にはかなりのダメージがある。

高いカネ出してわざわざ買うまでもない。ただのボードなんで燃えない板でもあればちゃちゃっと切り出して作れるようなシロモノ。百均の鍋敷きかトレーに適当なものがないか漁ってみたが、メラミン樹脂製とかは120°Cまでとなってる。樹脂は、、、ちょっと心配。絶対燃えない、溶けない石膏ボードは脆すぎるし水に弱い。そんj銀色の金属なら丈夫だし銀色で赤外線も反射するだろうと。百均をウロウロ。始め、アルミの使い捨てトレーなら扱いやすいと考えたんだけど、見た目がちゃっちい上に強度もないから直ぐにダメになりそ。で、ステンレス薄板のトレーなら良いかなと。ステンレスは熱を反射するだけでなく、熱伝導も悪いので遮蔽効果も期待できる(かも)。

ステンのトレーはペラペラのアルミよりは強度があるといっても、紙に毛が生えたくらいの薄板だから「パイピング」で縁取りを施して補強することにした。パイピングの中身はバーベキュー用の串。両方合わせて200円也。そうそう、型紙は、ネットで売られている遮蔽板の写真と、実際のエンジンフードの取付部の計測で、適当にでっち上げた。(ダンボール・モックアップで取り付け具合を確かめたら、寸法が狂ってたけど、、、W)

薄板だとナメていたら、これが結構手強い。大まかに金切りバサミでカットするも、その切れ端の鋭いこと。手が血みどろになりそう。そもそも、パイピングなんて、知り合いの衣装デザイナーの助っ人で、コスチュームを縫うときにミシンで縫ったことはあるけど、薄いとは言え鉄合金の板の縁を細い鉄のロッドに巻きつける、ってのは専用道具でもない限りできそうにない、と悟った。そんで、単に縁を折りたたんでその折り目の中にロッドを畳み込む、という代替手法で行くことに。

何が「買うまでもない」、「ちゃちゃっと」作れるだ?よう言うたな!責任者、出てこい!、、、あ、自分やった。

手袋さえ突き通す鋭利な金属片と戦いながら、幾度もくじけかけたけど、それでも「ブツ」は完成。(できてから、やっぱアルミで良かったんじゃね?とか、トレーを切ったり貼ったりせずに、そのまま使えば縁取りもされてるし、楽だったな、、、と)

しかし、何だかんだ言っても、ちゃんと取り付けてみたら悪くはないんでないの?(良い!とはよう言いきれませんが、悪くはない)

  • 型紙とモックアップ
  • ステンレス薄板切り出しと折り曲げ
  • 取り付け

皺のない、パリッとしたものが作れるという妄想は儚く消えて、現実は縁がかなりデコボコ。でも形は予定通りなんで、機能さえしてくれたらOK。遮蔽板を装着して、しばらく走ってから手を当てて熱くなってないか調べてみたら、やっぱ熱い(そりゃエンジンが盛大に熱を輻射してるし、内部の空気の温度も高いからフード全体が熱くはなるさ)。ただ、エンジンフードの裏側の塗装や配線は大幅に熱の悪影響から守られているはず。

 


追記:Porsche 912のパトカーをでっち上げる。

追記:そもそも、おかんが乗っていたFIAT 850の画像をでっち上げた話を書いていたんだけど、ついでにおかんが憧れていたPorsche 912(ほんとは911なんだけど、たまたまおかんが初めて目にしたPorscheは京都府警その他数県の交機が名神高速用に導入した912のパトカーだった)の画像もでっち上げることにして、それを「追記」として賑やかしにしようとした、、、のは大間違いだった。フィアット以上に手がかかるし、警察仕様のランプやライトがくっついてるし、、、そんなこんなに手をかけていたら、一旦アップした「追記」が膨大なボリュームになってしまった。そのうえ、一度アップした画像が気に入らず、さらにリバイスしたので、もうこれは別記事でないと、、、というわけ。

そうそう、数年前に神奈川県警の912パトカーが廃車場で発見され、それを引き取った人がレストアして、走らせているというニュースがあった。今回、おかんが名神高速で目にしたものと同時期に導入されたようだが廃車時点でライト回りの形状の違いやバンパー下の補助ライトの欠落、フェンダーミラーがドアミラーに変更されている点など、長年の間にオリジナルと違う形になってしまっていた。それでも、コラージュする素材としては一級品なので、随分参考にさせていただいた。

さてさて、前置きはこの辺にして、、、


以下、追記:

FIAT 850の画像が出来上がったという一つ前のポストから)・・・ところが、これで止まらなかった。。。話は横道にそれるが、ブログに書いた話の中におかんが憧れたポルシェのパトカーが登場する。まだ女性ドライバーの珍しい時代、おかんがトヨタのパブリカで颯爽と名神高速を走っていたら「音もなく、スゥーッっと抜いていった」のがカッコ良かったのだとか。調べてみたらそれは京都府警が高速の交通機動隊に導入したポルシェ912だった。後にワイドボディ化してどんどんマッチョになっていく911とちがい、廉価版の912のスレンダーな素っぴんナローボディーはどこか女性的であり、おかんの趣味に合ったのだろう。フィアット800スポルトクーペもファストバックスタイルのリアエンジンで、フォルムこそ似ていなが全体的に女性的な雰囲気が漂っているから、ポルシェを諦めてこちらを買ったのも今考えるとなるほどな、と腑に落ちる。

とか何とか考えていたら、そのポルシェパトカーも再現してみたくなった。権力の暴力装置であるケーサツは好きではないし、廉価版とはいえポルシェなんぞに突っ込む金はどこから出てるんだとか、そんな高級外車でドライバーを威圧し交通を支配するというヤクザまがいの発想もなんだかな~だが、、、もう止まらない。

今度はWikipediaのPorcshe 912の項から著作権放棄されたパブリックドメインの写真を拝借し、また色を変え、バーツも色んな所から拾ってきて取っ換え引っ換えし、無いものを手書きし、、、また徹夜してしまった。)

そんで、こんなん出ましたけどぉ。

京都府警交通機動隊 ポルシェ912 パトロールカー(不完全)a public domain image borrowed and altered from Wikipedia under Creative Common license (https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Porsche_912E.jpg)

(そもそも、元絵になったこの黄色いのは912eというずっと後期の北米仕様なのだけどねえ、、、色々と違いすぎて、そりゃ大変だわ)

追記の追記:上の画像で一旦アップしたのだけど、ライトやホイールが気に入らず、ていうか、ヘッドライトリムの形状や透明カバーが1967年当時のものとは違うし、手描きしたタイヤもトレッドパターンがなんかトラックのタイヤみたいだし、、、と、いじりだしたら止まらない。ああ、あの頃は三角窓があったとか、バンパーのオーバーライダーは少し前傾してるのが正しいようだとか、バンパーやサイドシルのモールはこんなにゴツくないとか、、、もう際限がない。

Porsche 912 (revised) 先の画像より、より正確になった。a public domain image borrowed and altered from Wikipedia under Creative Common license (https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Porsche_912E.jpg)
最終形のPorsche 912 (revised) でっち上げ画像の最終形。いやはや、なんと手間のかかることよ、、、a public domain image borrowed and altered from Wikipedia under Creative Common license (https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Porsche_912E.jpg)

でも、もう、このへんで堪忍したる。いや、堪忍して、、、。


FIAT 850 Sport Coupé を蘇らせる。

先日、妹からお蕎麦をもらったお礼に、ちょっとしたいたずらを仕掛けた。僕らが子供の頃に母が乗っていたのと同じ真っ赤な『FIAT 850 Sport Coupéを買った』と言って、その写真をメッセンジャーで送った。(もちろん写真はでっち上げ。ちなみに「ぱっぷーちゃん」とはおかんのこと。)

まあ、突拍子もないモノを買う僕だから、というのもあり、妹はこれが本当だと思ったようだったので、こんどは『実は、幽霊のおかんが、幽霊のフィアットに乗ってきたんで譲ってもらったんだ』と。

で、かなり混乱をきたしたところで『あ、消えてもた。。。」と続けた。どうやらこのへんで気づいたらしく、『乗って帰らはった!」とジョークで返してくれた。(話の中では僕がおかんに金を払ったことになっていて、車ごと消えたおかんは生前に僕ら子どもたちが「『貸して』+『くだされ』」と彼女にたかったのを取り返した、という落ちに、、、)

あと2週間足らずで母の10年目の命日。


と、まあ、身内の昔話のネタに作ったコラージュ写真だが、ついでにブログの車ネタに流用した。記事を書いて何度も見直しているうちにちゃちゃっとでっち上げた画像のクオリティに不満が出てきてしまった。

はじめ、黄色いフィアットのロイヤルティーフリーの写真をネットで拾ってきて、おかんのフィアットの色に合わせて真っ赤にバーチャル・オールペイントを施した。細かいところでは日本仕様の右ハンドルにしたり、それに合わせてワイパーを付け替えたり、やはり当時の日本仕様には無かったドアミラーを消したり、はてはナンバーの地名を1文字に、車種区分数字も一桁に、、、と、一応はそれなりに凝ったことをしたつもりだった。

それで妹を騙せたんだから十分っちゃあ十分なんだけど、ミラーが全くないってどうよ。当時の自動車はドアミラーじゃ車検に通らなかったから輸入車も無理っくりフェンダーミラーに変えられていたし、おかんのフィアットも例外ではなかった。それに、写真じゃ合金ホイールを履いているけど、おかんのは純正の鉄チンホイールにクロームメッキのホイールキャップだった、、、などなど。我ながら悲しい性格で、一度は「適当」に切り上げて、もう後は知らん!と目をつむるんだけど、時がたつうちにグジグジと気になって、結局はとことんやってしまう。おっそろしい時間と手間と体力の無駄遣い。(過日、Fiat 500のフューエルポンプ用マウントを作り直したのも同じパターン)

で、できたのがこれ。

昨日、夢の中でウチに来たおかんのフィアット850スポルトクーペ。「母と子」ですよ、わかるかなぁ〜・・・

追記としてPorsche 912のパトカーをでっち上げたんだけど、ちょっとボリュームがあるんで、別の記事として独立させることにした。


おかんのフィアット850スポルトクーペ

僕が最初に所有した車はスズキのジムニーだけど、免許のある無し(ナイショナイショ)にかかわらず運転したまさに最初の車といえばフィアット850 スポルトクーペだ。

FIAT 850 Sport Coupé (ただし、おかんのは真っ赤だった)

その車は僕のおかんので、僕が運転免許を取ってからは好きな時に運転させてもらえた。そのフィアットは僕が18かそこらの時にウチにやってきたが、そんときはまだ免許持ってなかった。にもかかわらず、おかんの留守に乗じて時たま運転した。運転現場を見つかることはなかったから、おかんに気づかれてないと思ってた。今となっては、おかんが僕の悪行を知ってたに違いないと確信しているけどね。

その頃よりずっと以前、おかんはポルシェというもんが欲しいとよく言っていた。1963年といえば、日本最初の高速道路、名神高速が開通した年だ。開通後数年経たないころ京都府警の交通機動隊がポルシェ911の廉価バージョンである912を導入。スピード出したい向こう見ずなドライバーたちを萎縮させるために権威をひけらかし、交通を支配しするって寸法だった。おかんは当時まだ珍しかった女性ドライバーで、どういう風の吹き回しかそんなのに熱をあげていた。(クルマは5速マニュアルじゃないと、という変なこだわりのある人だったし、、、後にはホンダのCRXとかにも乗ってたし、、、)

東京オリンピック(’64)と大阪万博Expo 70のあいだ頃で、日本の経済は急成長していた。そんでおかんの商売もまた好調だった。思うに、おかんが買おうと思えばポルシェも夢じゃなかったはず。でも代りに選んだのがフィアットだった。「なんでフィアットやねんな?」と、ポルシェが来たらいいのにと思いながらおかんに尋ねた。うろおぼえだけど、おかんが言うにはガレージが狭く、特に幅はナローボディーのポルシェですら収まらなかったんだとか、本当かどうか知らんけど、、、。で届けられた(「真っ赤なポルシェ」ならぬ)真っ赤なフィアット850スポルトクーペはめっちゃキュートで僕もひと目ぼれ。

昨日、夢の中でウチに来たおかんのフィアット850スポルトクーペ。「母と子」ですよ、わかるかなぁ〜・・・

下のYoutubeビデオ見て初めて気が付いたんだけどフィアット850とフィアット500のリアエンジンの配置形態その他は– 前者は水冷、後者は空冷の違いはあるけど– 互いによく似ている。850のマウント方法見てみ。エンジンが後端でバネマウントされてるけど、それって500のと同じやん。エンジンフードのストップしかた見てみ。キャッチの機構は丸い滑車使う500のドアキャッチから直に借りてきたやつやん。その他、フロントのトランクにある、ジャッキやらウオッシャー液バッグやら、スペアタイヤとバッテリーの置き方やら、みんな500とそっくり。内装見ても500のそれと雰囲気が良く似てる。まあ、ちょっとだけゴージャスだけど。センタートンネルの上のシンプルで慎ましい小物トレイやシフトレバー、ベダル、その他諸々も、直に500の血を引いているのを示していて、思わずニヤリ。

年月が過ぎ去って年を取り、今さっきまで僕の初恋、、、いや、初車のフィアット850スポルトクーペの細かな部分を忘れてしまっていた。このビデオに行き当たって、いろんなことが蘇ってきたし、結局、車選びということでは知らず識らずにおかんの足跡を辿ってしまったんだなあ、としみじみ。まあ、今日そういうことを発見して嬉しいけどね。


Mom’s FIAT 850 Sport Coupé

日本語はこちら

Although my first car owned by myself was a Suzuki Jimny, the very first car I drove with and without (hush hush) driver’s license was a FIAT 850 Sport Coupé.

昨日、夢の中でウチに来たおかんのフィアット850スポルトクーペ。「母と子」ですよ、わかるかなぁ〜・・・

That car was my mom’s, and after I got driver’s license she would let me use it whenever I needed. The FIAT came to our home when I was 18 or so. I didn’t have driver’s license then. Nevertheless,  I occasionally drove it while mom wasn’t home. I never got caught in action, so I thought she didn’t notice the fact. Now, I am pretty much for sure she somehow knew my misdeed.

Long before those days, mom used to say she wanted to have one of those Porsche sports cars. In 1963, Japan’s first car express highway, the Meishin Expressway was inaugurated. In few years, the Highway Patrol of Kyoto Prefectural Police introduced a Porsche 912, an economy version of 911, to show off their authority and to dominate the traffic so that they can intimidate the speeding daredevil drivers. My mom was a then rare  woman driver and for some reason longed for one like that.

That was sometime between Tokyo Olympic games and Osaka Expo ’70 when Japan’s economy was skyrocketing, and mom’s business, too, was thriving. I think she could’ve bought a Porsche if she wanted to.  What she chose to buy instead was the FIAT 850. I asked her “Why FIAT?”, having been expecting a Porsche to come. I don’t remember exactly what she answered but it was something like her garage was so small especially in width that even a narrow-body Porsche couldn’t fit in– I don’t know if it was the very reason, though. But the FIAT 850 Sport Coupé delivered to our home was cute and I immediately loved it.

It wasn’t until I watched the Youtube video above that I realized the basic layouts of rear-mounted engines of the FIAT 850 and FIAT 500– though the former comes with a water-cooled engine and the latter with air-cooled one– and many other things are very similar to each other. Look at the way the FIAT 850’s engine is mounted. The engine is suspended with a spring at its tail end, which is the same method as that of the Fiat 500. Look at how the engine hood is stopped. The catch mechanism with a nylon wheel must be borrowed directly from that of door catch of  the 500. Other things in the front trunk bay– like the jack, washer liquid bag, the way the spare tire and battery are stored– are all similar to the 500’s. Turning eye to the interior, I notice that the entire atmosphere is close to that of the 500, only slightly gorgeous, and cannot help smiling for the simple and modest shapes of the clutter-catcher on the center tunnel, transmission shift lever, pedals, etc., too, show the fact that they are the descendant of the 500.

Years passed by, and as I got old, I had forgotten miscellaneous details of my first car, FIAT 850 Sport Coupé until just now. Now that I came across the video of the car, many things have revived into my mind, and heartily think, after all, I have ended up with following my mom’s foot steps in terms of the choice of car without noticing it. And I am glad I discovered it, today.