「茶店(ちゃみせ)」カテゴリーアーカイブ


スープ屋さんの一日

遠い国へ旅にでる途中、スープ屋さん一家がうちの茶店に泊り、一日お店をすることになりました。けど、こういう時に限って子供たちが熱をだしたりして、、、(子供たちが悪いんじゃないけど、、、)。で、来れたのはお父ちゃんのひろくんだけ。お持ち帰りだけだったけど、お客さんは途切れず、彼は一人で一日働き詰め。最後に2件の配達もこなし夜遅くに片付けをして、みんなの待つ岐阜へ帰ってゆきました。おつかれさま。

子供たちの熱が下がれば、数日中に、今度こそ揃ってまた京都に来て、ここから旅へ。いつか、もっと先にも彼らのもっと大きな旅立ちへの足がかりのお手伝いが出来ればうれしいな。

スープの完成品は冷凍にすると具がスカスカになるというので、買いだめ分はスープだけいただく。即冷凍庫へ。でも、当面食べる5人前は完成状態でもらったので、それはここ数日のうちに平らげるという寸法。オリジナルのご飯はターメリックライスだけど、今回は玄米。久々、スープ屋さんが好きだったおふくろの写真にお供えをしてからいただく。(そういや彼女、八十いくつの婆さんなのに最辛のキムンカムイを平気で食っとりました。。。)

僕も負けじとキムンカムイ*。(冷凍用スープにと別にいただいた、辛味調整に使うマサラ類の半端ない量を見てびっくらこいています。。。こりゃ辛いわ!!!)

いっただっきまーす!!!

写真の具がしょぼく見えるのは僕の盛り方がわるいのです。食べログあたりにもっと良い例が出てますので、そちらをご覧下さい。 岐阜県垂井スープ屋さん→http://r.tabelog.com/gifu/A2101/A210104/21001471/

追記 03/09

最後にパスタでいただきました。  んま!

*キムンカムイ(アイヌ語:クマの意味)、スープ屋さんのメニューは辛さにより7段階(+スパイス無し)。すべてアイヌ語で名付けられている。



旗(っていうのかなあ、、、)

ダラダラしてるうちに連休も明日まで。
客が少ないので、ますますダラダラと開店時間を遅らせたり、二階で眠りこけたり。。。 呑気なもんです。

だいぶ前に、せっかく来てくれたお客さんに「カンバンも目印もない」と、半ば苦情、半ば呆れ顔で言われたので、目印を作りました。

古くなった日本手ぬぐいを裁って、丸棒に縫いつけただけ。紅茶で染めたらムラムラになり、まるで血染めの布が茶色に乾いたように、、、。ごちゃごちゃ文字を入れたらさほど気にならなくなったので、これでよしとします。何にも無いよりましでしょう?

ちなみに、書いてあるのは「碗子」、「茶」、それにチベット語で「ཇ་ཁང་」(チャカン=茶店)です。

開店時間中は軒先にぶら下げておきます。
 


遅まきながら、早くも還暦

いやはや、なんとも、、、 20年前にチベットで出会った友人T君が発案で、僕の還暦祝いをやってもらった。

同宿だったもう一人Zさんと、やはり同じ宿に居た前衛舞踏家の虫丸君を日本でサポートしていたNさんを巻き込んで、うちで何かやろうという話だった。結局、言いだしっぺのT君はいわき市にいる彼の友人を案じて「一人救援隊」として東北へ行っちゃったので、金欠になり不参加。代わりに、というわけでもないがNさんの連れ合いでやはり舞踏家の伊織君とカワイイ娘のIちゃんが来てくれた。さらに、三条河原で原発反対の催しで出会ったシタール演奏家の南沢さん(初対面なんで「さん」付け)も。

Zさんのアイデアで四川火鍋パーチー。これが真っ赤(還暦色?)、メチャ辛!メチャ美味!さらにZさん、Nさんの手作り料理が、、、 インドがどっぷり染み込んだ南沢さんにサモサを包んでもらって、うま味が倍増。最後の仕上げにうちの碗子を皆に飲んでもらった。

欠席だったけどT君からは還暦祝いに日本手ぬぐいが届いた。ラサのヤクホテルで出会ったとき、僕らはお互いに日本人とは認識できない格好だったので、胡散臭そうに「ハロー」とあいさつを交わした。ややしばらくしてT君のベッドの横に「祇園祭 鯉山保存会」と染め抜かれた日本手ぬぐいを僕が見てやっと日本語の会話が始まったのだった。T君は根っからの日本手ぬぐい党で、僕とのなれそめを思い出してのプレゼントとなったそうな。あれから20年かぁ、、、昨日のことのように思える。(てぬぐいは三越で買ったといってたけど、同宿だった志麻ちゃんが三越のデパガだったってことに引っ掛けたのかなあ、、、。あ、うちわの話)

Nさんはとある野良猫横丁で「マタタビ洋服店」をやっているアパレル作家。T君とZさんに巻き込まれての参加なんだけど、とんでもないものを作って来てくれた。チベット風ジャケット(作務衣?)!!! ていうか、ブータン東部のBrokpaが着る上着のようだ。Brokpaのそれと違うところは袖口の折り返し。ここはブータンの標準服ゴに似た格子模様の生地になっている。さらに、帯からさげるウェストバッグもチベット風の生地で縫ってくれた。色といいデザインといい素晴らしく、こんなの貰っていいの。。。

そのジャケットとウェストバッグを飾るワッペン(古!)、、、エンブレムっていうのかな、、、を手縫いしてくれたのがZさん。ジャケットの背中に着いた一つ紋のような丸いのにはヤクの頭。今は上等になってしまったらしいけど当時はお手軽だったラサのヤクホテルに掲げてあったヤクの頭の作り物を思い出す。ヤクホテルの日本人6人とキレーホテルの+1、タッチャン、、、 おもろい輩ばっか。。。 このZ嬢、東京芸大→北京の中央美術院留学の才媛。彫金や大型の金属造形も手がけるが、そんな大作家にチクチクお針仕事をしていただき、申し訳ないやらありがたいやら。。。 背裏のネームタグは銅製で、記念の文字の刻印入り。(これも赤金)

手ぬぐいもジャケットも赤が基調で、やっぱ還暦かあ、、、と実感。それを身につけて、もう60歳かと思うと少しとほほな気分にもなる。でもその時限りで二度と着ないちゃんちゃんこより、どれだけ嬉しいことか!持つべきものは友。ありがとね。

写真はZ嬢提供