もう10年以上も前になるのか、、、NHKで『トナカイ神』(原題:『神鹿呀,我们的神鹿』)を観たのは。。。撮影はもっと以前の’90年代らしい。監督は孙曾田で他にも『最后的山神』などの記録映画を撮っている(まだ観てないけど)。
また観たかったけど再放送などなさそうだし、ずっと探していたのに見つからなくって、、、昨日、久しぶりにGoogle検索かけてみたら映像が出てきたのでつい嬉しくて、、、
新影网ウェブサイトより(映像、全編時間 1:13:33)
http://jlpt.cnbntv.com/documentary/2014-7-31/1406789095440.shtml
映画『トナカイ神』は中国東北部、大興安嶺山中の森でトナカイを飼って生活するエヴェンキの生活を描いている。概要は百度検索サイトからの翻訳を後述するが、途絶えようとしているシャーマンの家系とその家族が大切にしている神聖な白いトナカイの行く末、そしてその家にシャーマンの孫として生まれながら大学を出て、伝統的な森の生活と会社に勤務した都会生活との狭間でそのどちらにも適合できずに苦しむ柳 芭(リューバ)という女性の困難な状況を通じて、現代中国で少数民族が抱える普遍的な問題を映し出す。
特に印象的なのは、柳芭が初恋の人、宝立斯(ボリス)の墓で、自分の進学と彼との離別、そしてその悲劇的な結末を語り、民謡を口ずさむシーン(上の抜粋動画、 上記リンク先では本編の34:02〜39:00の間)。6分ほどの間にこの映画の意図が凝縮されている。
上記サイトより抜粋映像(6分)↓
NHKで放送された頃には制作した中国中央電子台のサイトに解像度の低い動画が公開されていたので、当時僕はそれを何度も観直して、エヴェンキ語など全く解らないままこの唄を耳コピしたものだ。(以下は中国語と英語からの翻訳)
7人、8人いる娘たちの中で
僕はおまえに夢中なのだ
一番綺麗な娘、达丽亚(ダリヤ)よ
どうしておまえと別れられようか
僕の可愛い达丽亚よ
ああ心が疼く、心が疼く
7人、8人いる娘たちの中で
僕はおまえを愛してる
一番優しい娘、达丽亚よ
どうしておまえと別れられようか
僕の愛しい达丽亚よ
ああ心が疼く、心が疼く (英語と中国語字幕より訳)
都会の生活に馴染めず森の奥に戻った柳芭なのに、手慣れた様子でコンパクトを手に口紅を塗り眉を引く姿が却って痛々しい。更に深読みすると、中国領内のエヴェンキである柳芭もその恋人宝立斯も名前がロシア的なリューバ、ボリスであることが、国境と民族というもう一つ別の問題も示唆しているように思える。。。 別と言っても、他民族とか国家体制による少数民族支配という点では同根だ。
中国では近来、遊牧民の定住化政策による近代的住宅の供給、少数民族への高等教育の機会提供、僻地への豊富な商品物資の流通やテレビなどの情報文化インフラの整備が政府により進められていることが話のなかから窺えるが、それらをエヴェンキ(少なくとも柳芭)は歓迎してきたようだった。そういうものを一度手に入れてしまうと手放せなくなってしまい、元の生活に戻るのは非常に難しくなる。一見強制的でないように見える方法で巧みに少数民族の伝統的な生活様式や文化を捨てさせる、これこそ最も狡猾な民族同化(いや浄化か?)の手段だろう。柳芭の経験した恋人との悲しい別れの結末は、まさに変化を受け入れた者と旧習の側に残ることを選んだ者の間に起きた「地割れ」が引き起きしたものと言える。
記録映画とはいうものの、その中に孙監督がどれだけの「演出」を加えているのかは判らない。当局からの圧力や干渉もあっただろう。でも、この映画を観ている間にそういうことをあまり感じなかった。たとえこの映画が正確な「記録」ではなかったとしても、3次元の現実世界から2次元の限定された画角の中に切り出された「映像」は所詮虚像にすぎないのだし、監督という個人の目を通して語られる主観的な主張を持つ「作品」であることを鑑賞者の方で理解していれは良いだけのこと。逆に中国で少数民族を扱いながら体制におもねることなくこれだけの内容を押し出せる監督の力量に感嘆してしまった。
ちょっと横道にそれるが、全く趣を異にする映画で僕のお気に入りのひとつにソ連映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』がある。ナンセンスコメディーSFの体裁を取りながらも、どう見てもソ連の体制や権威への批判なのだが、堂々と国家から予算を獲得、当局の監視のもとで撮影、そして検閲をクリアして完成。ソ連国内外で公開され大ヒット作品となった(その道では今でもカルトムービーとして知られている)。監督のゲオルギー・ダネリヤによるその他の作品は知らないが、権力とその手先を揶揄した『不思議惑星キン・ザ・ザ』には、逆に弱者への思いやりに満ちた『神鹿呀,我们的神鹿』に通じる「したたかな何か」を感じる。その後、ふたりとも罰せられたり、投獄されたり、粛清されたとは聞かないし、映画制作を続けている。もうひとり僕の好きなウクライナ生まれの映画監督アンドレイ・タルコフスキーも、人生の最後の最後に正面切って体制に刃むかい亡命したが、ソ連時代にチェルノブイリ事故後世界の予言的作品『ストーカー』を完成させている。
彼らの「(ズル)賢い」反逆方法は、国家という巨大な体制が強権ばかりでなく人民(特に弱者や少数民族)を懐柔するときに使う狡猾な誘惑手段にもひけをとらない。いや、策略では一枚も二枚もウワテだ。僕が彼らの作品に惹かれるのは、権力が好む「勇ましさ」と正反対に生きる人達を描き、また彼ら自身もその生き方(つまり映画の内容はもとより、巧妙な制作の手段であり、反抗の姿勢)を貫いているからだ。
以下は百度検索サイトからの概要翻訳(原文中国語)
大興安嶺のエヴェンキは中国で唯一トナカイを飼育する民族です。柳芭(リューバ)はエヴェンキの中でも数少ない森を出た一人で、中央民族大学に合格して美術を学んだことは家族の誇りとなっています。ある日、柳芭が森に戻ってみると、エヴェンキの生活は遊牧から定住へと変遷するさなかでした。それでも家族代々の宝であるトナカイ神と一緒にいられて、ささやかな心の安らぎを感じことができました。しかし彼女は森の中で自分が他の人たちとは違ってしまっているように思えました。そして、とうとう柳芭は家を出て、4日かけて300kmを歩き、ひとりの森林労働者と結婚しました。年上の彼は彼女のことをとても愛し、彼女もそのことをただただうれしく思いました。それでもまだ柳芭は森での生活もトナカイのことも諦めきれず、定住した土地から部落へと戻ります。そしてそこでトナカイ神の出産や死を目のあたりにし、彼女自身もまた娘を授かり、、、、、
The Evenki of the Great Xingan Range (Daxinganling) are China’s only reindeer-herding tribe. Liuba is one of the few Evenki who went out of the mountain. She entered the Minzu University of China, studied art, and she became family’s honor. One day, when Liuba returned to the forest, the Evenki were experiencing a life-style transition from nomadic migration to settlement dwelling; yet, with the reindeer−god of the family treasure beside her, Liuba could feel some calmness of her mind, but in the forest, it seemed she was different from the other Evenki people. Finally, Liuba left home, walking for four days to go 300 kilometers, and got married with an elder worker in the forest. He loved her so much, and she was just grateful for that. Liuba still hadn’t given up the mountain life and the reindeers, so that she returned to the settlement of her tribe, Along with the reindeer-god’s delivery and its death, Liuba, too, gave birth to a daughter ……
(百度の概要原文)
大兴安岭的鄂温克族是中国惟一的一个饲养驯鹿的部族。柳芭是为数不多走出山林的鄂温克人,考取了中央民族大学学习美术的她一直是家族的荣耀。有一天,柳芭回到了山林,此时的鄂温克人正处于从游牧走向定居的变迁之中,和家传的神鹿在一起,柳芭感到了一些安静,但在森林里,她已经显得与众不同。终于,柳芭离家出走,4天走了300公里,嫁给一个林场的老工人,他很爱她,而她只是感激。柳芭依然割舍不下山里的驯鹿和生活,于是她就在定居点和部落之间迁徙,随着驯鹿出生、死亡,柳芭也有了自己的女儿……