先に書いたように、好きな喫茶店のSIZUKAが長期休業の末に改装。お父さんから引き継いだお店を昔のままの面影を大切にしてきたオーナーのばあちゃんが大改装なんぞするはずがないから、きっと何かがあったに違いない。高齢で最近は体調もすぐれないなか、無理してお店に出ていたので、、、、 ああ、考えたくない。
みたらし団子の日栄堂も、接客、厨房ともに高齢者ばかりだったから、ばあちゃんたちの一人でも体調崩したら立ちゆかなくなる恐れがあった。現実に去年の今頃は長期で休んでいた。復活したと思ったら、「5月末で閉店」していたことを先日はじめて知り、愕然。
長年の友人で東京にいるT君は、時々京都に来てはSIZUKAの心地よさや日栄堂のひなびた感を楽しんでいた。昨夜、別の件でSkypeしていたら、閉店した店の話題になり、彼は同じく我々共通のFavorite Placeである西大路のうどん屋は大丈夫かいな、と心配していた。
この春に、息子と一緒に食いに行ったし、先月もやっていたような記憶があるから大丈夫だろう、と言っておいた。
が! 今日、車でたまたま前を通りかかって、様子が変だと気付き、帰りに立ち寄ってみたら、うどんの屋台がない!
去年、ここも一時休業しているのを件の友人T君と見つけて、気をもんだことがある。しかし、その時は張り紙に「しばらく休みます」とあって、実際、Tくんが京都にいる間に復活。2人で喜び勇んで銭湯帰りにうどんをすすりにいったものだ。
ところが、今回は状況が全く違う。張り紙どころか屋台も親爺も何もかも消え失せて、飛ぶ鳥後を濁さずじゃないけど、文字通り「跡形」さえ無い。
あまりに見事に消えているので、真っ昼間にもかかわらず、小泉八雲の『怪談』に登場する「むじな」の話の結末ににあるように、夜中にむじなに化かされた人の目の前から屋台の灯(つまり、まぼろしの屋台そのもの)が消え失せる瞬間を見てしまったような気がした。。。
諸行無常というけれど、、、 こうバタバタといなくなられては、こちらのメンタルが付いてゆけない。心の安らぐ場所が消えるのをこうやって見せつけられたら、大げさでなく心が折れる。