山の暮らし探訪(その4)

椿山のサンちゃんの家から外に出て、斜面を見下ろすと集落の中央あたりに背の高い一本杉が見える。そのすぐ傍に現在唯一人の住人となったおばあさんの家があるという。30度以上ありそうな急斜面の狭い間道をほぼを直滑降のように下り、谷底からジグザグに登って来る車道を一本越えて、一本杉を目指してまた間道を行くとお堂の横に出る。朽ちかけた標識に「氏仏堂」とある。ここで年に5回、太鼓祭りを奉納するお祭りがあるとのこと。サンちゃんから祭りはもう6月20日の虫送りしかやってないと聞いたが、彼女自身が参加するのが虫送りだけなのか、それ以外の祭りは廃れてしまったのか聞き漏らした。

氏仏堂の向かいの家の入り口でサンちゃんが「シゲちゃーん」と、子供が他所の家に遊びに来たときのような調子で呼んだ。ややあって、奥の方からシゲちゃんが出てきた。突然の僕達の来訪に「農作業中だからこんな格好で、、、」と着ているものを気にされていた。申し訳ない。ただ、今回のツアーを企画してくれた桜井さんが椿山での生活のこと、作物のことなどを丁寧に尋ね、話をするうちに打ち解けてきたようだった。話がはずみ、帰り際にはわざわざ覆いを取って在来種のジャガイモの種芋を見せてもらうことができた。

氏仏堂向かいのシゲちゃんと在来種の種ジャガイモ

シゲちゃんは愛媛に嫁いだのだそうだ。松山市と高知市を結ぶ直線のほぼ中間に位置する椿山だから、サンちゃんの兄弟姉妹も高知と愛媛に散らばっているという。彼女らは遠くに居ても、いや遠くに居たからこそ椿山への愛着が消えなかったのだろう。シゲちゃんは8、9年ほど前に椿山へ戻られたそうだが、その頃はまだ何人かの住人が残っていたそうだ。みんな亡くなったのか、山を下りたのかはわからないが一人になっても残っているシゲちゃんは強い人だ。転勤で飼えなくなったと息子さんが置いていったダックスフントが唯一の話し相手だけど、年取った犬の世話は大変とも。。。

話は飛ぶんだけど、僕が20代の半ばに京都市北部の山間部に引っ越して間もない頃のこと。膝まで潜る大雪の朝にジープでラッセルしながら無理やり街へ出ようとして、芹生という山奥の小さな集落から峠に登る道で路肩を見誤り、車ごと谷川に転落したことがある。当時既に過疎が進んでいた芹生に冬期は人が誰もいない可能性があったが、無人でも電話くらい使わせてもらおうと道を下って行ったところ、運良く1軒の葛屋(クズヤ=茅葺き家屋)から煙が昇っていた。そこは辻戸さんという家で、腰の曲がったおばあさんがたった1人で、秋田犬のような大きな犬と一緒に暮らしていた。

電話を借りて車を引き上げる目処がつき、助けが来るまでの間、薄暗い土間のおくどさんの傍で暖をとりながらおばあさんと世間話をして過ごした。大阪の河内から嫁に来たんや、とおばあさんは言った。当時、京都府下だった僻地の芹生で聞く大阪という遠く意外な地名の響きが不思議だった。おくどさんでパチパチ燃える薪の音以外なにも聞こえない雪の中で二人きりで居ると、まるで昔話の世界に迷い込んだかのような気がした。

真夏の陽がカンカン照りつける椿山で小さなダックスと暮らすシゲちゃんに会ったとき、雪に降り籠められた芹生で大きな犬と暮らしていた辻戸のばあの姿が重なって見えた。

シゲちゃんとさよならして、車の待つ学校跡とおぼしき椿山交流センター(公民館?)に向かう。途中、シゲちゃんがサンちゃんに話していた「ハミ」が出るという場所を通る。ハミとはマムシのこと。その場所には「ハメ・・」と書いた棒が立てかけてあった。これでぶっ叩くのかな。交流センターの駐車場は鉄骨の上に作った人工地盤。見晴らしは良いが、ここがグラウンドだったのか?仁淀川町は町長選真っ盛りなので、シゲちゃん専用の候補者ポスターが2枚貼ってあった。椿山へ来る途中で選挙応援の集会流れの人混みや選挙カーも見たがさすがにそれはここには来ないだろう。。。

夕方高知市内に戻り、サンちゃんともお別れ。翌日は高知の岡豊城跡に建つ県立歴史民俗資料館と五台山にある県立牧野植物園を訪ねた。いずれもお世辞抜きに素晴らしい施設だが、それはまたの機会に。


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