「偽道具」カテゴリーアーカイブ

角スコ馬頭琴、本領発揮!

角スコップには雪が似合う。。。

角スコップを馬頭琴にする使い方は間違っている。

けど、馬頭琴になった角スコをバイオリンのように構えて弾くのはさらに間違っている。

プロの演奏家にそんなことをさせるのは絶対的に間違っている。

が、かってにやっているのを見て楽しむのは、正しいのかもしれない。

(手袋をはめたまま弾くのも間違っている。ヨーヨーマはオバマの就任式のときに手袋をしていたが、あれはアテレコ演奏だった・・・)


角スコ背にした渡り鳥

角スコップ買うなら北国北海道、とやって来たのは誰も知らない礼文内で木工職人やってるKさんのうち。(この一家はクラフトパーソンと芸術家の宝庫なのに、、、欲がないというか、、、ま、それは置いといて)

おお、我が街、京都! 原谷も見えてる。。。

二年ぶりの友人家族と大勢のネコたち。イヌとウマさんもご無沙汰 !

人里離れた礼文内の心優しい人たちと居心地の良い手作りの家を寝ぐらに、遠くの街に出て店を回って日がな一日角スコップを探し歩き、翌日から友人の作業場を借りて 、ここんとこずっと妄想していた馬頭琴をでっち上げた。

 

Kさんたち以外、昔の友だちにはとうとう誰にも会わないまま。礼文内に別れを告げて角スコ馬頭琴を担いで列車とバスを乗り継いで、また別の友人家事のところへ転がり込んだ。

馬頭琴演奏家で友人の嵯峨治彦さんちでとうとう角スコ馬頭琴は「産声」をあげた。「ヒョウタンから駒」みたいにでっちあげた角スコップがか細いながらも、プロの手でしっかりといなないた。

しかも、翌日は雪に覆われた木立のなかの「オーリンホール」(モンゴル語で山の楽器、もしくはホール)で行われた喉歌デュオユニット「タルバガン」ライブで、楽器としてもデビューを果たした。モンゴルやカザフの文化を研究している西村幹也さんが羊蹄山の麓に開いた「北方アジア遊牧民族博物館」 のオープニング記念のコンサートだった。

北方アジア遊牧民族博物館

オーリンホール

演奏の翌日、ホールを去る前に演奏者の嵯峨さんと一緒に雪原を背景にして角スコ馬頭琴の撮影をした。その様子は別にアルバムとしてアップするが、最後には雪を掘るスコップに戻っていた。。。(楽器としての機能を得た後もスコップとしての機能を失ってはいないのだ!)

オーリンホールの閉門。一応これで角スコ馬頭琴の旅は終わり。

*追記:

さて、明日の午後には関西へ戻る飛行機に乗ることになった。モノがモノだけに空港では機内手荷物としては扱えないので預けることになるが、楽器だと申告すると預けるならハードケースがどうの、それが嫌なら座席に置いて料金割増がなんたらかんたら、、、とめんどくさいことになる。

今からはこれは角スコ馬頭琴ではない!!!馬頭琴角スコップなのだ。。。いや、馬頭は付いてないんだから、やっぱり角スコップ!!!

北国の養蚕に関わる民間信仰をモチーフにしたオシラサマ馬頭琴が関西の人間にはピンとこないように、角スコの持っている「冬⇒雪⇒辛い雪かき」という連想の働かない関西人にはこのパロディーの持つ悲哀感は伝わらないかもしれない。

思ってもみなかった馬頭琴に仕立て上げられたり、飛行機に乗るためにまた角スコップに戻ったり、、、角スコ馬頭琴はアイデンティティ・クライシスに直面していることだろう。

生まれてきた偽道具・偽楽器は、それ作るために旅をしている僕自身の鏡のようなものだから、同じ迷いは常に自分の中にも在る。

で、この秋に旅したKungsledenのある山小屋を去るときに、小屋の管理人のMiaがブロックフレーテで吹いてくれたNordmanの曲「Vandraren」の歌詞が浮かんできた。

放浪者は旅の終わりにたどり着いたら、もう行くところがない
・・・
辛いけど歩き続けろ、いつでも振り返れるんだから
辛いけど歩き続けろ、ここへは放浪者としてやって来たんだから

いや、僕は別に辛くなんかなく、めっちゃたのしかったんだけどね。。。


角スコ馬頭琴、鳴る!

旅をしつつ現地調達の材料で作ったオシラサマ馬頭琴に倣い、北国北海道で雪かき用の角スコップを手に入れて「角スコ馬頭琴」をでっち上げた。そんで臆面もなくプロの演奏家(嵯峨治彦さん)に弾いてもらった。音質はともかく、演奏技術のおかげでまともな楽器のような感じで鳴ってくれる。楽器として成立しているというようなお褒めをもらっちゃった。嬉しいな!夢(妄想)が現実化した瞬間!!!いやいや、まだまだ夢の中。

で、指摘されたこと:

本来の使用用途以外では使用しないでください、って書いてありますよ」(しかも、その少し前に奥さんから同じことを言われていた。夫婦は似るもの、、、)

いや、僕は使用していない。作っただけだし、、、。嵯峨さんがFacebookに角スコ馬頭琴のことを書いてくれた。本来の用途云々のことも。そしたら、知り合いのSさんから改造するのは大丈夫ではないでしょうか?しかし、、演奏するのは用途として間違ってます(^_^;)ましてやコンサートに使用するなどは、、(^_^;)ってコメントが入っていた。そう、用途外に使用したのは嵯峨さん。。。

さらに嬉しいことに、明日、京極町の「北方アジア遊牧民族博物館」オープニングで嵯峨さんと一緒に演奏するトゥバ音楽の演奏者、等々力政彦さんも弾いてくれた。彼も共犯、、、あ、いや、本来用途使用の共同違反者になっちゃった。

ま、誰にも迷惑かけてないし、、、(笑)

妄想を共有している面白さ!

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電気羊、、、ぢゃなく、電気馬の夢を見た

昨日、寝る前に友人の嵯峨治彦さんから安眠のための羊画像(それも大群の)を送ってもらえたので、朝目醒めたときに夢を憶えていないくらいぐっすりだった。その前の晩は嵯峨さんに、羊じゃなく電気馬(電気アンマじゃないよ!)の夢を見せてもらった(それに他にもすんごくいい馬の夢いっぱい!)。せっかくなんでその夢をシェアしたいんだけど、動画はあまり長く置いとけないかもしれない、、、


北国の昔話 (スーホの銀色のスコップ)・・・

前回、角スコ馬頭琴のことを書いた。そのことについて、雪の季節が到来した北海道に在住で、雪かきに由来する腰痛持ちの馬頭琴演奏者、嵯峨治彦さんとやり取りしていたら、馬頭琴の始まりに関わるある民話のことを彼がポロっと話してくれた。

馬頭琴の起源譚としては『スーホの白い馬』が赤羽末吉の絵本や国語の教科書で日本でも有名だけど、これは内モンゴルあたりの民話が元のようだ。また、モンゴル国の方では「フフー・ナムジル」という別バージョンがあるという。こちらは黒馬。ちょっとオトナの恋愛が絡んでいてとても小学校では教えにくいだろう。

ところで、嵯峨さんから聞いた話はどちらかというとスーホの物語と近いものだった。蝦夷錦と呼ばれる清朝の官服などをもたらしたアイヌの山丹交易などにより大陸との交流がさかんに行われていた北海道に、清の影響下にあった内モンゴルの話が満洲を経由して伝わり、雪深い土地の道具との融合を経て今の形になったのではないか。

と書いて、ふと一昨年(2014年)、東北・北海道を旅して「オシラサマ馬頭琴」を製作したときのことを思い出した。そもそも旅の始まりは馬頭という形態的な共通項から、スーホの馬頭琴と東北の民間信仰のオシラサマの馬頭とを組み合わせる、という表層的で浅薄で無謀な目論見だったのだが、旅の途中でオシラサマの話が中国東晋の『搜神記』にある一話(あるいは共通の祖)に由来するのではないかということ、そして捜神記の話はまた、モンゴルのフフー・ナムジルとも類似点があるということも知った。

前置きが長く随分遠回りしたが、、、要するに嵯峨さんの話がモンゴルあるいは中国に起源をもち、北海道に広く流布していても不思議はない、ということ。

で、以下にその話を嵯峨さんから許可を得て再録しておく。

昔々、拾ってきた小さなアルミのシャベルが、スクスクと逞しい角スコに成長し、それ持って雪かき大会で優勝したのに悪い殿様に角スコ殺されて、、、夢の中に角スコが出てきて私の体で楽器を作ってください。「スコップ」の語源は、その少年の名前スーホがなんたらかんたら。 (嵯峨治彦:採話)

どうだろう?『スーホの白い馬』と非常によく似ているのではないか。

さらに嵯峨さんはその後に、
スフ(スーホ)→すくう→スコップ・・・
という、スコップの語源考察も付け加えている。

ただし嵯峨さんの、’は行’であるスフ(スーホ)」の「フ」が「すくう」では’か行’の「く」に変わることについては、モンゴル語に元来Hの発音がなく、代わりに喉の奥で摩擦するKh(キリル表記ではX)が使われる、という音声学的な理解が必要になる。

ちなみに、モンゴル語のXは喉の非常に奥深くで行われる「無声軟口蓋摩擦音」なので、うっかりすると有声化されて’が行’に置き換わることもある【例;ハンバーガー⇒ガンブルゲル】。日本の東北地方でも’か行’が濁って(有声化して)’が行’になることがしばしばあるが、はたして東北弁の影響を受けている北海道でも「スゴップ」と発音されるのだろうか、、、しかし、あまりに本題から外れているので、ここではあまりこだわらないことにしよう。

角スコ馬頭琴のスーホが拾ったスコップはアルミ製で銀色をしており、実は殿様に殺されずに北米へ逃れてローン・レンジャーの愛馬「シルバー」になった、という義経・チンギス・ハーン伝説の向こうを張った話もあるとか、ないとか、、、、(いつの間にか馬になっとるし、、、)