「偽道具」カテゴリーアーカイブ

北国の馬頭琴

かいてもかいても降り積もる深い雪に閉ざされた世界で、春を待ちわびながら馬頭琴を弾く腰の悪い友人のことを考えていたら、妄想があらぬ方向へと暴走してしまった。

 

雪かきに使う角スコップ(角スコ)が馬頭琴に似てると言ったら、友人からのレスには栓抜きのバチでショベルを掻き鳴らす「スコップ三味線」のことが書かれていた。津軽の厳しい冬をやり過ごすにはおバカなことが必要なのだろう。そうか、、、僕の暴走妄想は、ひょっとして以前にテレビで見たスコップ三味線の影響もあったのかもしれない。ま、津軽同様、北海道にも別バージョンのおバカ楽器があってもええじゃないか。。。

スコップ三味線「発症」の地、青森県五所川原市から北に延びる津軽鉄道にはストーブ列車がある。そこには多分、火かき棒も備え付けられているはず。どこか馬頭琴の弓に似てなくもない道具を拝借して、栓抜きバチの向こうを張り、火かき棒をもってスコップ馬頭琴の引掻きbowとなす。(無理矢理やなあ、、、)

しかし、雪かきで腰を痛めた上に、重い鉄製の火かきbowで肩、肘、手首をヤッちゃうかも。。。

角スコップでエア馬頭琴する分には、もちろん弦は要らないのだけれど、暴走した妄想は止めどを知らず、あたかも実現したかのような画像をでっち上げてしまった。いや、実際これを作るのはさほど苦労は要らない。糸巻きを取り付けて弦を張るだけだから、ほんの半日仕事(Photoshopでコラってる方が難しいわ)。

問題は、、、エアでもリアルでも、演奏時に膝に挟むと金属の角が食い込んで痛くてたまらんだろうな。膝も逝っちゃいそう。

友人の雪かきの苦労を偲んでいたはずが、妄想とはいえ身体中を痛めつける楽器の出現というむちゃくちゃな結果になった、とさ。。。

追記:
件の友人から「雪かきのつらさが重い弓を通じて哀切な音色に。。。」という妄想の共有レスをもらった。

追々記:
画像のアルミテクスチャが気に入らないので差し替え。

元のはこちら↓(左右に並べた裏表の表現がいまいち、、、)
kakusukomorinkhuur


Power Mac G3 resurrection

A few weeks after the sudden death of my Mac desktop computer, I obtained an ATX power unit and finally brought the machine back to life.

If the malfunction was in the power switch circuit, it would have been a little troublesome since Apple jam packed strange stuff in the switch box. I just didn’t want to deal with the problematic modification again. (see this)

Luckily, the power switch hadn’t gone bad. It was the power unit that caused the whole thing: pushing the power button to turn on the system wouldn’t do NOthing– no fan hissing, no indicator lamp blinking. I had a box perfectly quiet with the LCD completely black. Well well, the Blue & White G3 was beautiful enough to simply be a mere desktop ornament even if it didn’t do a trick, but it’s more fun to have a sidekick that smiles at me.

I bought a secondhand power unit for only 500 yen, and transplanted it into the G3. Voilà! It’s alive again!!!

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(This is not a real Mac G3. Everything I wrote here was from my “dream” about a hypothetical machine whose Mac OSX was installed in the G3 box that contained a MB for Windows. Yes, it all happened in my dream last night.)

 


最近、ネットでちょっと見かけたアート


http://isanayamadasamsara.strikingly.com/

学生の作品で久々に、ほう、と思った。

東京芸大の山田勇魚さんの修士終了制作作品は、はじめ見た目が綺麗すぎて一瞬パスしようと思ったけど、「六道輪廻」でちょっと引っかかった。

鑑賞者は6頭のクジラの環の内外を泳ぐように移動しながら、クジラの体内に封じ込められた六界を透かし見ることになる。

透明なクジラの体の外から内に向かって鑑賞者の視線を導き、その中に鑑賞者が今生きる現世の更に外にある別世界を見せている。

外界を内包したり入れ子状になった作品構造や展示方法が、鑑賞者のフィジカルな立ち位置の移動へと導くだけでなく、イマジナリーな視点の遷移も軽々と誘発する。

単なる「展示」に終わらず、作品の「中」に人をいざなう力を持つ良くできたインスタレーション的アートワークだと思う。

http://isanayamadasamsara.strikingly.com/


Kugsleden Kitchen Brush

While in Scandinavia, not just at the kitchens of Kungsleden mountain huts, I often saw and used brushes to do dishes. I kinda felt uncomfortable with using a brush in the beginning, but as I got used to it, I found it handy.
スカンジナビアで使ったキッチンブラシ、始めは慣れなかったけど、なかなか便利。
Real brush allegedly of “Swedish Royal Warrant”
スウェーデン王室御用達のブラシ

The other day, I saw a very similar brush in a 100-yen shop (99¢ shop), reached for it and found out it actually was a toilet brush, of which the handle was only slightly longer.
百均で、ちょっと柄の長い似たようなのを見つけたけど、それは便所ブラシだった。

I hesitated for a moment but bought it anyway. Back in my kitchen, it turned out to be too long for using in the sink. I decided to cut it short. Here are the photos of what I did…
一瞬躊躇したけど、買っちゃった。でも、シンクで使うにゃちょっと長すぎ。そんで、柄をちょん切った。以下、作業の写真。

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Cut off a part of the handle, and melted the cross sections. With a piece of wood as a jig to align the parts straight in line, put the molten ends together to weld. 柄を短く切り、断面を溶かし、木っ端は添え木にして接合する。
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Waited until the molten plastic hardens. 冷えて固まるまで待つ。
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To strengthen the joint, poured molten plastic into the groove of the handle. 補強のために溶けたプラスチックを溝に流し込む。
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Shaved off the excess plastic on the handle. 余分な出っ張りを削る。
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With sanding paper and polishing compound, smoothed out the rough surface of the handle. ペーパーと研磨剤で磨く。
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Well, it’s working! Looks exactly like the ones I used in Scandinavia. Who can tell it actually WAS a TOILET BRUSH? おお便利。スカンジナビアで使ったのとおんなじじゃん。便器ブラシに見えます?

追記:

その後、溶接部分が折れたので、補強のために始めに入れて、取り外した木の棒をもう一度、柄の中にもどし、ステンレスの木ネジで留めた。


Late Great George Cramer

ロシアのへんてこりんな小説が事実として受け止められていることを先に批判的に書いたんだけど、非科学的なことを言う人が嘘つきだと言っているわけではない。ただ、解らないものは解らないとしておくのならまだしも、説明のつかないような話を「適当な」科学用語を使って事実であるかのように言うのはとても受け入れられない。僕自身、科学的な説明のつかない経験はいくらでもあるが、それは自分の知識が足りないからだと思っている。また、心の内なる世界が外界の数学で記述できたり物理で説明がつくはずもないので、その境界線ではいつも悩ましく思っている。そのことで想い出す人がいる。

ジョージ・クレイマーは大学院で気ままな僕を拘束せず「放し飼い」にしてくれた指導教授で、後の作品の発想に自由度を与えてくれた恩人だ。

彼が亡くなって10年。今も彼との最初の出会いを鮮明に想い出す。僕は初め、長髪ヒゲ面で木こりのような風体のジョージが誰か知らず、ビル管理の用務員さんだと思っていた。そのまま彼にマディソンの街なかにある小さなウォルデン・パークに連れて行かれて、草ぼうぼうの小道の傍にある『In Wildness Is the Preservation of the World(野生にこそ世界の救い)』という 看板の前で、小枝にたかるアリとアリマキを見せて「こいつらは何だか判るか?」と言う質問をされた。

どうやらそれは僕を「量る」試験だったようだ。質問の答えはたまたま知っていた。「Aphid(アリマキ)」という単語走らなかったが、アリはアリマキを外敵から護り、アリマキは甘い分泌液をアリに与える、という共存関係にあるという僕の説明に、ジョージは満足そうだった。

ジョージはアメリカ先住民の血を引いていて、その精神性を受け継いでいると自負していた。その反面、80年代の初、中期、まだMacもWindowsも無い頃にコンピュータアートを始めていて、自動車や電子機器についての造詣も深く、アメリカというテクノロジー社会の申し子のような人でもあった。ときたま、僕のスタジオでの(形式上は)作品批評のディスカッションや、フランク・ロイド・ライトの旧邸だったという彼の家に招待されて食事しながら広範囲で豊富な話題の会話を楽しんだものだ。指導教授のジョージから「何の指導も受けず、何も習わなかった」けど、今の僕を作った重要な教師のひとりだと言える。

残念ながら、未だに僕の中で彼のような精神性と科学技術の融合とか調和は達成できていないので時に思考に矛盾が生じる。そういう時は手元にある彼の教員インタビューのビデオを観返して冒頭の言葉を噛みしめている。

I am a part Native American and uh… my grand mother was uh… my mother side was full blood.
And uh… m… of the first things I remember, when I was about two and a half, three years old, she took me out to the woods and had me hold onto a tree while she left and she would not come back until I knew the name of that tree: the tree’s name, not the scientific one but the name of the individual tree…
And so uh… what I learned was that you should allow the knowledge that you have built into you to come to the force, then there is a rightness to the work.

私はアメリカ原住民の混血で、、、祖母は、、、母方は生粋だった。
それで、、、 先ず最初に思い出すことのひとつなんだが、二歳半か三歳のころ、祖母に連れられて森へ行き、彼女が離れている間、一本の樹に抱きついている よう言われた。そして私がその樹の名前、学問上の樹木名ではなく、(個人の姓名のような)その樹固有の名前が判るまで彼女は戻ってこなかった。
つまり、、、 私が学んだのは、自分の中に自ら組み込んだ知識を発露させ力と成すべきであり、それでこそ作品に真実が宿るということだ。