脊髄に圧迫が出て頚椎の前方固定術を受ける。執刀は池永稔医師。過去2回世話になってる脊椎外科手術の達人。
昨日、空き家の西陣茶店までCiaoで行って、そこからバスで天神さん前の病院に。
デカいバックパック担いでどこ行くんじゃ?って感じ。
1時の手術が30分延びて、この投稿。
用事があって珍しく祇園界隈に出かけた。クルマだったんで安い駐車場を探したけど、場所が場所なんで少々裏道に入ってもそんなに安いはずもない。
うろうろして無駄に時間を使っていたら用事ができない。安いかどうかは諦めて適当に行き当たったところにとめようか、、、と思い始めたら、耳にハンズフリーのイヤホンマイクを着けたマウンテンバイクの若者が声をかけてきた。一瞬、真っ昼間に変な客引きか?と思って身構えたが、礼儀正しくちゃんと帽子をとって近づいてきたので、窓を開けて話を聞くと一見感じの良いお兄ちゃん。「駐車場をお探しですか?直ぐ近くに安いとこがあるんで、ご案内しますよ。今、ちょうど1台分だけ空いてますから。」と来た。変な店じゃないけど、やっぱ客引きじゃん、駐車場の。
「今、ちょうど1台分」って都合良すぎね?うっかり優しいお兄ちゃんの話に乗せられたら、後から別の怖いお兄さんが出てきておっそろしい金額ふんだくられるかも、とか妄想が頭に。。。でも「安い」というキーワードのマジックにかかってしまい、抗う言葉も出ずにフラフラとついて行った。
先導のマウンテンバイクを見失わないように追いかけるのに必死でNaviを見る余裕もないまま、裏道をぐるぐる回っているうちに一瞬方向感覚を失ってしまった。鴨川に行き当たってないし、四条より上(かみ)に居ることは判っていても、自分が東西南北どっちを向いてるかもよく把握できないと不安がつのり、そのせいか途中で「安い」マジックも解けてしまい、もしもヤバそうだったら逃げようとさえ考え始めていたほど。
お兄ちゃんがマウンテンバイクを降りた最後の曲がり角には「安い!←P」という手描きのプラカードを掲げたおじさんが立っていた。曲がって直ぐに駐車場に到着すると、待っていたのは強面のお兄さん、、、ではなく、案内してくれたお兄ちゃんと、また「P→」プラカード持った中高年の女性、そこへ直ぐ手前の角で案内プラカード掲げていたおじさんも駆けつけて、都合3名の人が笑顔で出迎えてくれた(笑顔と「安い」プラカードでマジック復活!)。
みんな愛想良く、言葉使いも丁寧。京都郊外の観光地でよく目にする(祇園だって観光地だけど、、、)、駐車場の前でカニのシオマネキのハサミよろしく、延々と手招きしている無表情なおっちゃん、おばちゃんたちや、大手ハンバーガーチェーンでひたすらマニュアルに忠実に「無料の笑顔」を振りまいているロボットみたいなお姉さんたちとは全然ちがかった。
彼らの身なりや立ち居振る舞いにタカビーな祇園とかそんな感じはどこにもなく、その辺の普通の家族のようにも見える。ともかく、気さくに話かけてきて、FIAT 500を珍しがってくれて、まるでウチの近所の人たちと会話してるような錯覚が起きる。よしんばそれが客に安心感を与えるための「営業テク」だったとしてもそれはそれで凄いことだ。けど、とてもそんな雰囲気でもない、、、。(お兄ちゃん、疑ってゴメンチャイ)
ただ一つだけ、僅かだけど微妙な違和感があった。その駐車場はコインパーキングだったのだ。コインパってマンパワーを使わないために自動設備を設置しているはず。それも、たった6台分しかない小さな駐車場で都合3人の大のオトナが案内・接客で働いている、ってどうよ?
クルマのこと、料金のこと、ひとしきり話をし、僕の用事の行き先の方向を教えてもらい、さて歩き出そうとしたら「いってらっしゃい!」と送り出してくれた。もちろんこれには気持ち良さこそあれ、違和感などないのだが、日本中探してこんなコインパーキングってある?という不思議な感覚ではあった。
思い出すのが、コインパではないが、何かを履き違えたコンビニのATM、はっきり言ってしまえば京都市内のファミマのやつを利用すると、システムのハキハキした説明ボイスとは別に、京都弁の若い女性の声で挨拶や礼を言う。そんで、それが異様に暗くてゾッとするんだけど、あまりに度が過ぎて逆に笑っちゃうほど!(数年前にFacebookに上げた動画はこちら、FB見れない人はこちら。あと、黙って釣り銭を投げつけるように吐き出す京都市営地下鉄の券売機。よく「お役所仕事」というが、最近の市庁舎や区役所での「人間」の職員の対応は目を見はるほど改善されているのに、あの不遜な機械の客対応の質はバカ高い地下鉄運賃に全く比例していない。それと比べたら死にかけているような声でも一応は礼を言うファミマのATMの方が百万倍マシだ。どうでもええけど、、、(笑)
そうそう料金といえば、祇園界隈なら近くにある市営駐車場は30分で200円(ただし、土日祝は混んでいてとめられない)だから、件のコインパ料金「30分で300円」というのはムチャクチャに安いというわけでもないが、お兄ちゃんに声をかけらる前に見た表通りのコインパは20分300円だったし、ここに来る途中にあったところは50メートルも離れてないのに後で調べたら15分220円だからそれらよりは安い。
面白いのは「2時間以内最大900円」という不思議な料金設定。昼間の時間帯に普通に2時間とめたら1200円のところ300円安くなる。でもそれを越えたらまた30分ごとに課金される(と看板には書いてある)。つまり、1時間半を過ぎて2時間までの利用なら1時間半の料金900円のままですよ、ということらしい。びったし2時間とめたら30分当り225円となり、安い市営駐車場の料金に近づくんだけど、「一番得する時間帯」がたったの30分間とは微妙、、、。何でこんな料金設定なのかよく解んないけど、まあ今回の用事はちょどそのくらいだったので問題なし。
用事を終えて戻ってくると「おかえりなさい」と出迎えてくれた。で、またFIAT 500をネタに会話が弾む。料金を払おうとすると、パーキングロット番号を見るまでもなく「1番ですよ」と教えてくれて、精算機に千円札を入れかけたら、女性が横に来て「光が点滅しているほうは駐車チケット用なんで、こっちに差し込んでくださいね」と親切に説明してくれる。なるほど、これは間違いやすいだろう。ミスリーディングな精算機は置いとくとして、それを人が補う丁寧さに驚く。そしてまたおじさんとチンクについてのクルマ話をひとしきりして謎のコインパーキングを後にした、、、「また来てくださいね」の言葉と3人の笑顔に送られて、、、。
小規模なコインパって大抵はチェーンの個人フランチャイズなんだけど、彼らはあの土地オーナーの一家なのかなあ。。。狭くて見つけにくい一方通行の裏通という不利なロケーションでは以前からああやって一本釣りで客を引っ張ってきて接客をしなきゃやってけないのかなあ。。。それともコロナの打撃を受けて祇園に来る客が減ってしまい、受け身で何もしない機械だけにまかせてはおけんと、この業態を発案してやり始めたのだろうか。。。
さっき、ここは特段安いというわけでもない、と書いたが、駐車場までの誘導、笑顔の出迎えと送り出し、入出庫の安全確認、料金説明、世間話、土地案内・・・コインパーキングという機械システムには絶対期待できないサービス込みだと考えたら、やっぱ安いのかもしれないな。逆に、1回2時間900円の顧客にこれだけの手間を注ぎ込んで、彼ら大人3人の生活をちゃんと維持できるほどの商売として成り立ってるんだろうか、と心配になるくらいだ。
10年に1回あるかないかの祇園での駐車だけど、もしも次回があればまた同じ所にとめるかもしれないな。そのとき彼らはまだそこにいるだろうか?
ちょっと前のはなしなんだけど、、、花背別所の貸してある家の湯沸かし器が不調とのことで、様子を見に行ったついでに、さらに奥の友人ちまで足をのばした。
僕のPiaggio Ciaoは、元々変速機の無い1速固定なので、車でいえばセカンドがサードギアでずっと走ってるようなもの。スタートは力なく遅いし、トップスピードも伸びない。さらに悪いことに坂道も登れない、と。ママチャリのようなペダルが付いているのは伊達じゃない。電動アシスト自転車の逆で、脚アシスト原付バイクなのだ。つまり、坂がきつくなると足で漕いで0.8馬力しかない非力なエンジンを人力でアシストするわけ。そんなもんだから、自分ちの家のそばにある急坂は坂の途中にある駐車場に一旦入り、そこで勢いをつけて残りの坂を登り切るっちゅう、体力まかせの帰宅を強いられてきた。そんで、ある日、Ciaoの姉妹車Bravoからバリオマチック(バリエーター=自動変速機)を移植し、それ以降は必死のパッチで息を切らしてペダル踏むことはなくなり、本当に快適になった。
バリオマチック装着から早数年。メンテにいろいろ問題を抱えているが、とりあえず実用できるし、基本的な耐久性は十分。なので調子コイて昨日は標高759mの花背峠を越えてみようか、と思った。鞍馬を過ぎると流石に山道はきびしく、フルスロットルで時速20kmしか出ない。ただ、人力のペダルアシストは全く不要。気温も低いしエンジンが焼けそうな気配もなかった。
峠の直下でガス欠。予備コックで峠を下り、最初の村、別所で用を済ませてから、出かけるときに満タンではなかったから、こんなこともあろうかと前カゴに積んで行った予備タンクからガソリン2リッターを補給し、奥の大悲山へ向かった。
年上の友人夫妻から歓待を受け、明るいうちに京都に戻ってもうひと用事済ませるつもりが、気がつくと日が暮れていた。寒い!朝は霜が降り、先日は分厚い氷が張ったとのこと。帰り際に「今日は月食よね」と奥さん。残念!京都までずっと谷底の道を辿るから月食は見えないだろう、と思った。ところが、交流の森の橋のたもとまで来たら、夏に八枡の松上げのまつりが行われる開けた河原の向こうの山の端に赤い月が顔を出していた。しばらく見とれていたら出町柳駅行の最終バスがアニー・ローリーのメロディーを奏でながら通過していった。ふと我に返りバスを追いかけ追い越した。
途中、大布施(花背地区の中心地)花背神社(大神宮社)の手前でまた月が真正面に見えた。ここでも月食をめでていたらバスに抜かれてしまった。次にバスに追いついたのはもう峠の手前。がけ崩れ工事の対面通行信号でバスは停まっていた。
そこでまたバスをかわして峠を越えたが、最初の大きいカーブ(別所の人が「京見坂」と呼ぶ京都市街の夜景がきれいに見えるところ)で、三たび月食に遭遇。部分月食の明るい割合が増えていたが、それでもまた見入ってしまった。バスが通り過ぎても今度は追わず、15分も観ていただろうか、、、。
京都の街なかで別の友人との約束があったので、すっ飛ばして深泥池まで下りてきたが、タイムアップ。間に合わない旨、電話を入れたが正直に「月食観てた」と言ったら笑われた。ふと『2001年宇宙の旅』の原始猿人のMoon Watcherが思い浮かんだ。そう、月の下でモノリスに触れてビビッときたあの人。関係ないけど、電話の相手の連れ合いは高名な類人猿学者だった。そういやCiaoはその友人が乗ってたのを、故障がちで使いにくいから、と僕に譲ってくれたものだった。
思い出したついでに、いつCiaogaうちに来たのか、このブログ内で調べたが、ちょうどその頃はFacebookばかりやっていてブログ投稿はおろそかだったらしく、はっきりしない。FBを検索して2013年4月24日の投稿に「友人にPiaggio Ciaoを譲ってもらった。云々」と書いてるんで、もう8年半も前のことじゃん!
何年か前にスウェーデン北部のKungsledenをトレッキングしたとき、山小屋のキッチンに備え付けられていた柄付きの食器洗いブラシが物珍しく、なんだか便所ブラシみたいだな、というあまり相応しくない連想をした。でも、山小屋の少ない汲み置き水で確実に汚れを落とし、且つブラシを持つ手を濡らさずに済むという合理性には感心した。
家に帰ってから百均でヘッドの小さい手頃な便所ブラシを見つけ、長すぎる柄を切り詰めて使ってみたら、これが全くスウェーデンのと同じ使い心地。その記事はこちら。もうあれから5年も経つんだ、、、。
それが、先日、ポッキリ折れてしまった。これまでも折れて修理したことはあるけど、今度は首のところなので力がかかり修理しても長くは持たないだろうと、新調することに。
また百均で似たようなブラシを買って、切断部分をバーナーで溶かして溶接。前回は柄の中に木の棒を入れて補強したが、今回は余った柄をバーナーでで溶かして柄の窪みに流し込んで固めた。
プラスチックを炙って溶かす時に出る煤が混ざり、あまり美しくない仕上がりだけど、まあこんなもんでしょう。
早速使ってみたが、違和感なく食器洗いができた。
5年前は、探しても似たようなものはほとんどなく、スウェーデン王室御用達みたいなこと書いてるサイトが売ってただけ。それはもうサイトごとなくなっているが、そんかし、同じような形状、機能の食器洗いブラシは幾つか見つかるようになった。中でも、IKEAの「ANTAGEN アンターゲン」という食器洗いブラシは5色もあって、価格は1本たったの89円。な、なんじゃ?!!! 百均より安いやん。ただ、通販対応は内容だから、大阪や神戸のIKEA実店舗まで買いに行ったら幾らになるんかな。(Amazonとかでは売ってるが、同じものが5本セット1100円って、ボッタクリやろ。しかも、5本も要らんし)
ま、負け惜しみじゃないけど、この百均の便所ブラシ-turned-into-台所ブラシのブラシヘッド部分の大きさと形状が食器洗いに絶妙にマッチする。また、あと5年ほど持ちそうだし、当分IKEAのアンターゲンは要らんな。。。(ただ、このヤラシイ桃色は何とかならんかね。。。買い替えたい)
20代の前半に初めて海外に出た。行ったのは米国カリフォルニア。たかがアメリカ、されど外国旅行未経験者にとってはそれがどの国であっても何もかもが珍しい。
旅の内容はまた別の機会に書くとして、帰路に立ち寄ったホノルルで空港の免税店なるものにこのとき初めて入った。’70年代当時、既に1ドル360円の固定レート時代は終わって輸入品の値段は下がり始めていたが、それでもショーケースに陳列された免税品は日本国内の「舶来」の高級品と同じものなのに随分と安くなっているように思えた。悲しいかな旅行経験どころか人生経験も浅かった僕は「ここで買わないと、次またいつこんなチャンスが訪れるか判らない」と衝動買いに走ろうとしかけた。
しかし、旅の終わりで懐も寂しくなっていたので、結局買ったのはモンブランの万年筆を1本だけだった(と言っても、とても高価だが、、、)。しかも、既に万年筆の時代は終わりかけていたし、だいたい僕自身が普段から文字なんぞこれっぽっちも書かない人間だったからその時は完全にトチ狂っていたとしか言いようがない。はたしてその万年筆「モンブラン・マイスターシュテュック 146」は机の引き出しの肥やしとなったのだった。
それから10年近く後、アメリカに留学することになり、どういうわけかそのモンブランを持っていった。が、普段の授業のノートやテストには鉛筆を使ったからあちらでも当然のこと出番はなかった。一度だけ、記憶が確かなら、美術史のテストで散々な点数を取ったために教授からテスト範囲をカバーするペーパー(レポート)を書いて出せと言われたときに、気合を入れて清書するのに万年筆を使った。
アメリカ人学生の多くは字が極端に下手で汚く、まともに読めないので教員は手書きペーパーの受け取りを拒否することが多い。しかし留学1年めの僕はタイプを打つことがろくにできなかったため、丁寧に書くからと教授に泣きついて認めてもらった、、、とかなんとか、そういうふうな事情だったと思う。
けれど、いつの間にかタイピングもできるようになり、また万年筆の出番はなくなってしまった。以来ずぅぅぅぅーっと。机の引き出しに眠っていた。
さっきYoutubeで手作り万年筆の職人さんの仕事を撮した動画を見て、久しぶりに自分のモンブランを取り出してみたら、無性にこれで文字を書きたくなった。インク壜も後生大事に持っているので、恐る恐る万年筆に充填し、自分の名前を書いた。なんか、とっても心地よい!