全くパッキングが進まない。大体ここでMacの前に居るのがおかしい。。。
しかも、この期に及んで、持っていくフリースのパンツのスソにゴム入れとるし、、、
一昨年、旅している間にだんだん冬になり、途中で買ったフリースのパンツが長すぎたので現場でハサミで切った。一応かがってあるがスソがだらだらでかっこわるい。シベリア鉄道の一週間、たぶん穿きっぱなしになるのでスソをパンツのゴムで絞ってやった。
しかし、ミシンがけとかやってるばやいか。。。
切符の手配が完了し、境港までの青春18とシベリア鉄道のEチケットは既に入手。トレッキング後に北欧での移動用にユーレイル・スカンジナビアパスも航空便でヨーロッパからこちらに向かっている。
英語のKungsleden紹介本などをどっさり買ったので、あと数日はそれを読むのに費やしようかと思っていたけど、まあ、別に、いいや、もう、いまさら、、、って感じ。中学校の時に観た映画『Kungsleden(邦題「太陽のかけら」)』のイメージのまま、かの地での一歩を踏み出したいと思う。
なので、ぼーっとしていたら、先日ハンモックを吊ってあげた友人から「破けた」との連絡が、、、。 げっ!落っこちて怪我でもしてない?って心配になったが、幸い布の端が15cmほど裂けただけだった。
ハンモックに寝たときに頭の部分が包み込まれないように、横棒を入れたのがまずかったようで、布のに無理がかかり耐え切れずに破れたのだと思う。ミシンをFiat500に積んで出動。久しぶりに手芸用品のヨシカワへよって材料を調達。布の両サイドに丈夫なテトロンのテープ、コーナーには三角のチカラ布を縫い付けてあげた。
お礼にと、新大宮商店街にあるサカイの冷麺をおごってもらっちゃった。何年か前にサカイに行ったことがある。辛子が混ざり込んだ状態のスープにつるつる喉ごしのよい太麺。大盛りを頼んだが、この味ならいくらでもいける。ゴテゴテと野菜など載っておらず、細切りのキュウリとチャーシュー(ハムも注文できる)だけのトッピングも好もしい。ぺっぴんさんと食べると、これがまた格別。
ごっつぁんでした〜。
昨日『アナスタシア』をこき下ろしたのに、今日Amazonが「あなたにおすすめの本」と言ってきやがった。ネット、恐ろしや。。。
ネッ トといえば、20年前と違って全部じゃないにしてもシベリア鉄道沿線でネットがつながるらしい。しかも、ウラジオストクでSIMを買うと、日本国内で SIMロックのかかった僕のiPad miniでもOKだとか。海外SIMはiPhoneではだめらしいが、iPad miniでテザリングが出来るから問題ない。
さすがにスウェーデンではラップランドの無人地帯を歩くのでネットは無理だろう。Kungsleden沿いにある山小屋は電気すらないのだから、、、。ていうか、そこまで行ってネットもクソもないもんね。(と言いつつストックホルムでは一応SIMを購入予定)
Kungsleden4百数十キロの道のりの前半で5日ほどテント泊になる。それを過ぎたら山小屋が整備されているので、一度近隣の村へ出て余分の荷物を送り返し、身軽になって残りの行程を小屋泊で行こうかとも考える。
問題は一泊5000円を20泊もしたら恐ろしいことになる。。。まあ、Kungsledenの道沿いはテント張りの制限がなく、飲用に適した水も豊富なのでやはり布の家を担いで歩くことになるだろうなあ。。。
一昨年のオシラサマ馬頭琴の旅で使った17リットルのオスプレイバックパックにパッキング中。あれこれ詰め込んで、それから引き算。今のところ13kg。燃料や食料は入れてないから、15〜6kgになりそう。バックパックが大きいのでついつい欲張ってしまう。さらに引き算が必要だが、1.5kgもあるバブアーのオイルジャケットはせっかくオイルを塗りなおしたばかりだけど、さてどうしたものか、、、
フェリーの予約完了し、昨日はシベリア鉄道のウラジオストクからモスクワまでの切符もOK。ついでにヘルシンキまでの寝台列車も取れた。そっから先のフェリーと鉄道は出たとこ勝負。おそらくいっぱい選択肢があるはず。ヘルシンキもストックホルムも物価が高いので泊まる予定はない。まるまる11日間ぶっつづけで車中泊、船中泊、、、地球の大きさを肌で感じられるぜっ!
で、ふと思い出したのは、京都から境港までの切符の手配がまだだった。山陰線の鈍行乗り継ぎは大前提なんだけど。。。ちょうど青春18のシーズン真っ盛りだから、使い残しの1回分はいくらでも出てくる。さっさとネットで買わなきゃ、と。
そういや、去年の秋、秋田の角館で散々祭りを楽しんだあと、うっかり(吸い込まれるようにw)秋田内陸線に乗ってしまい、青春18切符2回分使い残したんだけど、あれ、もったいなかったなあ。。。いやいやいや、そんかし山深い上小阿仁の八木沢まで行けたんだ。もったいなくあるものか。旅はああでなきゃ。
とはいうものの、今回のように行き先での予定が決まってる(つか、決めんと行けない)移動優先の旅の場合は、ふらりと鈍行途中下車とかできないし。。。とりあえず境港にたどり着き、フェリーの乗船手続きをすることが先決。なので、今さっき青春18切符一回分をヤフオクで落札したところ。。。
20日の早朝、JR二条駅から始まる鉄道の旅。その線路の向こうにはフェリー(日本海)があり、また鉄道(シベリア、欧州ロシア、フィンランド)があり、またフェリー(バルト海)があり、また鉄道(スウェーデン)があるのです。。。最後に鉄道を下りてもまだトナカイはおらず、あと数百キロはとぼとぼ徒歩(トホホ)。
Kungsledenの北の終点にある北極圏の町、Abiskoまでたどりつけたら、そこから列車で欧州最北の駅、ノルウェーのNarvikまで行こうか、、、それともさっさとストックホルムに戻って帰りの算段するか、、、(おおかた格安航空券で日本に舞い戻るのだろうけど、船でアメリカに渡るという手も諦めたわけじゃない。アメリカ横断して、太平洋も船で、、、なーんて目論んでる。だんだん現実離れしてきたなあ。。。)
旅に出る前に、座席の窓が北に面しているのか、それとも南向きか、なんてくだらないことに思い悩んでる記事を書きかけていた。結局、準備で忙しかったのか、そのまま忘れて投稿せずにいた。それが下書きとして残っていた。。。
以下、書きかけをそのままUPする。
ウラジオストクからモスクワまで6泊7日で走る優等列車のロシア号じゃなく、一日余分にかかる099Эという鈍行の3等開放寝台に乗る。
3等はドアもカーテンもない開放式の座席(寝台)。通路片側には、窓ごとに1人掛けのシートが小さいテーブルを挟んで2座席配置され、夜は通路に並行して上下2段の寝台になる。反対側はやはり窓ごとの4人区画で、ベッドにもなる2人掛けベンチシートがふたつ向かい合わせで通路と直角に置かれている。その上にはベッドがふたつ。更に最上段は荷物置きになっている(20年前のイルクーツク~モスクワ間はここにも人が寝ていたと記憶がある)。
4人区画はきっと賑やかだろう。意気投合すれば楽しく旅ができるが、ウマが合わなかったら一週間はきびしい。1人掛けの方はその心配はないが、常に通路に露出しているので人が通るのがウザいかも。しかも、下段は寝ているすぐ横が通路なのでひどい寝顔を人に晒すことになる。2人掛けベンチシートの方は足を通路に向けて寝れば問題なし。
下段は昼間座席になるので朝になると寝具を片付けないといけない。上段は敷きっぱなしで、好きなときに上って寝れる。逆に、下の人が寝坊助とか無頓着でいつまでも寝具を片付けなかったら、下りて行ってどけて、とは何となく言いにくいし、、、。
4人掛け区画のテーブルは4人で使うには小さいので窓側の人はフルに使えるが通路側の人は目の前にテーブルが半分しかない。通路の反対側の1人席のテーブルは更に小さいが、確実にテーブルを確保できる。
で、なんだかんだ迷った挙句、結局、僕は1人掛け座席の上段を取ろうと思ったんだけど、これが北側なのか南側なのかがよく判らない。
つまり概ね東西に伸びるシベリア鉄道の車両内部で3等1人掛け座席は北側の窓にへばり付いてるのか、ということ。日当たりの良すぎる南側ならいやだなと。それで、あれこれ検索してみたけど、車両ごとの座席配置図は出てくるものの、その車両がどっちに向いてるのかが示されていない。
思いついたのは、昔乗ったウラン・ウデ〜イルクーツク間にあるバイカル湖のこと。西行きの列車からは進行方向右手側に見える。あの時はコンパートメントだったので、通路へ出て眺めたような気がする。静止画で進行方向が判らないので、Youtubeで片っ端から調べたら、やはり
以上。
20年近く前に乗ったときの記憶を頼りに上手く希望の北側座席を取れたし、線路と平行に寝る通路沿いの上段のベッド、というその選択も正解だった。(昼間は下の通路でいろんな人と出会えるし、夜は一人でゆっくり寝れる。上段は寝床をたたまなくてもよい)
下の写真では、まるで非人道的な強制収容所かなにかのように見えるが、上の記事で心配したような「同じ顔ぶれで一週間続く」ということはなかった。つまり、ウラジオストク〜モスクワをぶっ続けで乗り続ける人は少ないということ。(当たり前か、、、w)
逆に、長い旅路を続ける中で、区間乗車してくるローカルな人の千差万別なこと。外国人旅行者やロシア人はもちろん、少数民族や旧ソ連の国の人々、、、
僕はロシア鉄道から直接Eチケットを買ったけど、日本の旅行会社は三等寝台のチケットを手配しないという。「危険」とか「治安」とか理屈を付けているらしいが、要は儲からないのだろう。これほど開けっぴろげな場所で、何が起きるというのだろうか、、、
入れ替わり立ち替わりだけど常に満員の車両の中は、54人の乗客が和気あいあいと食べ物をシェアしたり、多言語であれこれ話をしたり、飽きることのない旅空間だった。