「日記」カテゴリーアーカイブ

便利屋さん

はたして自分は何者なのか?という問を自らに投げかけることはめったに無い。自分が生きていく上でさほど重要じゃないからね。

たまに取材を受けるなどで肩書が必要になると僕は「彫刻家」を名乗ることにしている。ひょんなことからさほどの努力もせず(しかし知らず識らずに人を踏み台にしたかもしれないけれど)大学の学部じゃ彫刻、院では3D(立体)アートの研究させてもらったから、まるっきり嘘というわけでもない。そもそも芸術なんて学歴と何の関係もないもんだから、それにかじりついて肩書にハクを付けようって魂胆もイヤラシイ。だから、立体芸術作家でも3Dアーチストでも、何でもええわけなんだけど、ま、彫刻家と言っておけば面倒な説明をせずに済む場合が多い。(中には「メディアは何ですか?」と食いついてくる人もいるけど、それはそれで話が弾むから良しとしている)

芸術と学歴と言えば、知り合いに、理系の大学院で博士課程にありながら民族音楽に目覚めてしまい、「二足の草鞋は履けない」と学業を捨てた人がいる。今ではプロの音楽家として成功しているからマスメディアに取材されることもあり、そのあたりのことを聞きつけた記者の中には「それはもったいない」みたいなことを言うバカがいるらしく、紳士たる彼はそれでも丁寧に受け答えしたが、内心は煮えくり返っていたらしい。(今はなき裏アカで激しく怒っていたのを読んだことがある)

そんな劇的な路線変更から比べたら、僕は学業の延長上に今やっていることがあるので、平穏無事な人生を歩んでいると言える。ただ、じゃあ肩書=職業とすれば、プロと言えるほど彫刻家として世間に認知されてるのか? 彫刻が職業ならそれなりに稼いでいるのか?と訊かれたら答えに窮してしまう。あまり正面切ってそういうことをズケズケ質問する人は少ないんだけど、それでもちょっと探りを入れてくる人はいる。

それ以前に、学歴や肩書という関連付けではなくもっと浅いレベルで、たとえば昔からの友人が僕を他人に紹介するときにいつも困った顔をして「この人、いろんなことができて、いっぱい外国語が話せて、世界中を旅してはんねん、、、けど、何してる人かよう判らへん」という、訳の解らんことを言うのが常。しかもそれは半分ウソ、ていうか不正確。確かにいろんなことをやっているが、喋れる外国語はいっぱいではないし、海外への旅は普通の人よりは多いかもしれないが世界中というほどでもない。

長年の友人ですらこの程度。いや、それは責められない。僕自身が「何やってんだか、、、」と、自分の「仕事」に呆れてしまうこともしばしばなんだから。挙げ始めたらキリがないのでいちいち書かないが、こまごま雑多な「用事」を人から頼まれて、有料無料でご奉仕させていただいている。儲からないけど飢えるほどでもないから、まだこうやって生きながらえているわけ。けど、その多くは間違っても(僕が拡大解釈している)「彫刻」にはカスリもしない分野ばかり。ただし不平は言うまい。世の中の多くの人は、若い頃の夢の通りには生きられていないだろうし、必ずしも学校で勉強した専門分野の職に就いているわけでもなかろう。

時折、楽器の修理や改造を頼まれることがある。楽器は僕の専攻分野の「彫刻」、ていうか、大学院での研究テーマ「彫刻・道具・玩具の曖昧な境界領域」にスッポリ嵌まるもので、寡作ながらもこの四半世紀の僕の作品はほぼこの形態を採っている。でもそれが故に、頼まれごとが既成の楽器の修理・改造となると複雑な思いを抱かざるを得なくなる。正直言うと先ずは断る言い訳を探し、でも気が弱いので断りきれずに仕方なく受けるのだ。もうそうなると上述の雑多な用事の一つとして割り切るのだが、、、作業しながら「何やってんだか、、、」のため息がつい出てしまう。

ため息ついても、頼まれてやっていることを決して馬鹿にしたりしないし、頼む人に悪気も落ち度もないから責めているわけじゃない。僕を楽器が作れる「器用な人」と認識しているのだろうし、それは事実だ。ただし、僕自身の自己認知とは決定的にズレがある。どうせズレるならパソコンやウェブデザインあたりの仕事のほうが割り切りやすい。楽器修理や改造の仕事が来るたびに何だかトホホな気分と、便利屋としてはやり甲斐のある仕事で且つある種の知的・技術的好奇心をくすぐられて張り切る気持ちが交錯するのを覚えるのだ。(FIAT500やCiaoの修理に注力するのは完全に「趣味と実益」だが、難問に出くわすと若干似たところがある)

これからも人から勘違いされて「便利屋」稼業を続けていくのだろうか、、、


追記:

書き終わってから「便利屋さん」というタイトルでもう一つ思い出した。先に理系の博士直前でミュージシャンに転向した知り合いを引っ張り出したが、もう一人、僕の青春期に大きな影響を与えてくれた人のこと。

その人は猛烈な読書家で、文字中毒と言ってもいいほどの多読・乱読をする人だった(と僕の記憶にはある)。そして大学で心理学を専攻したが、どういう訳か僕の親の家業(アミューズメント機械のオペレーター、つまり遊園地業)に就職した。文学とも心理学ともまるで縁遠い現場での接客や機械の修理が仕事だった。後にうちの会社を辞めて、いわゆる便利屋さん業を旗揚げした。最近、何十年ぶりかに連絡を取り合って元気にされている様子だったが、はたして彼はこの数十年、自分の仕事に文学や心理学をどう位置づけていたのだろうか、それを聞くのは失念した。

学歴なんかクソ喰らえ、と思いつつも、こうやって今の自分と過去の学歴(あるいは他人のそれと)を紐付けようとするのは、結局自分の立ち位置や仕事を学歴で修飾しようとする未練たらしいことなのかもしれない。それでもいつか件のミュージシャンや便利屋さんに聞いてみたいな。。。(第一行目に書いた「自分が生きていく上でさほど重要じゃないからね。」というのが空々しくなっちゃうけどね。W)


FIAT 500 バッテリー・トレーの製作

ちょっとどうなってるのか解んないっすけど、ウチのチンク嬢の配線はほぼスパゲッティ状態。恐ろしくてうっかり手を出せない。(加熱から発煙し、火事になりそうになったことも、、、)

メドゥーサの髪か? 見たくない!
恐ろしいので、ここはもう神仏に頼るしかない。南無愛宕大権現様〜!

電装関係の問題はそれだけではない。バッテリーが本来あるべきフロントボンネットの下に無いのだ。

本来バッテリーが存在するべき場所がもぬけの殻。画面下が前方。(ここにはバッテリー・トレーが嵌っているはずだが、それも無い。

バッテリーは元のオーナーによってエンジン・ルームに移されている。フロントに置かれたバッテリーからリアエンジンのスターター・モーターまでの長い距離を嫌がって、ほんの数十cmにまで近寄せるというのはアイデアとしては悪くない。ただ、、、空冷エンジンの熱をもろに受けるから、バッテリーにとっては灼熱地獄。バッテリーの健康に良いわけがない。(うちに来た時点で、リアに移さればバッテリーはバイク用の小さなものに替えられていた。熱でダメになることを前提に、どんどん交換する前提だったのだろう)

右奥の銀色の箱がバッテリー。うちに来てからB19サイズに換えて、エンジンからの輻射熱対策でアルミ板とフェルト、断熱材で作った遮蔽板で覆ったが、エンジンベイ内部の気温がどうしようもなく高くなるので、焼け石に水状態。それでも6年もってくれた。今でもスタートに問題はないがエンジン低回転ではワイパーが遅くなったり、LEDライトがちらつく。流石にこの冬は厳しいだろう。。。

この、収拾不能配線の呪縛を解き放ち、灼熱地獄のエンジン・ルームからバッテリーを救い出すには、一度オリジナルのワイヤリング・ハーネスに戻すしか無い。既に電線キットは入手済み。ただ、たとえ配線を替えたとしても、バッテリーの置き場が無いのだ。正確に言うと(先の写真のように)スペースはあるがバッテリー・トレーが欠如している。

バッテリー・トレーがないと困るから、買うか作るかしないと。

ということで、先日のエンジンフード熱遮蔽版につづき、バッテリー・トレーを「ちゃちゃっと」でっち上げることにした。(遮蔽板にしても、バッテリー・トレーにしても、正直言って買うほうが遥かに楽である)

バッテリー・トレー製作過程

注意! ここで紹介するトレーのサイズはウチのFiat 500 の個体固有のもので、おそらくこのまま作っても他のチンクには合わないだろう。特に両端の壁面の高さは正規のものでは左右で違っているが、うちのはほぼ同じ高さである。参考程度に見てほしい。

材料:ダンボール(モックアップ用)、鉄板(200x450xt0.8)1枚、スプレー塗料(下地・錆止め用、上塗り用)、必要ならポップリベット(ブラインド/リベッター)、L金具(或いは折金)

道具・工具:木槌、ハンマー、ドリル(できればボール盤)、ドリルビット、ホルソー、ジグソー(金工刃付き)、ハサミ、バイス、鉄床、金工ヤスリ、1mm厚程度の鉄板を曲げられるベンダー(手製)、必要に応じてリベッター

  • 型紙とダンボール・モックアップ
    トレーの大まかな形をネットで調べ、車体固有のサイズを実測して図面(型紙)を作図。実物大にプリントアウトし、ダンボールに貼り付けて切り抜き、折り曲げ、実際にフィットするか確かめた。(この時点で大きな間違いを犯していたが、それは後述)
  • 鉄の薄板切り出し
    モックアップのフィッティングが上手くいったので、厚さ0.8mmの鉄板に貼り付ける。金工用の刃を着けたジグソーで周囲を切り抜き、ホルソーで肉抜き孔を穿つ。ジグソーの切り跡の粗い断面やバリを金工ヤスリで取る。
  • 折り曲げ
    ポリカボネート用に作ったベンダーで無理っくり曲げたら最後の最後にベンダーが折れた。ベンダーでは深く折りきれなかったので、鉄床、バイス、木槌などで折り目の角度を付ける。
  • 実地検証
    実際にFIAT 500のフロントベイの中に組み込んで見る。サイズに間違いは無く、うまく嵌った(ように見えるが、、、)
    組み込んでみて、折り目の強度が若干不足してるように感じたので、有り物の分厚いL金具をポップリベットで留めた(写真5枚目)。これで強度的には問題無くなったが、しかしリベットの出っ張りが組み込みのときに左右の梁(写真1枚目の両側の梁)に干渉するので、折り目(「まち」)の屈曲部をロウ付けにすれば良かった。後の祭り。
  • 塗装
    脱脂スプレー(シリコンオフなど)が無かったので、ラッカーシンナーとパーツクリーナーで洗浄し、乾いてから金属下地スプレーを吹く。その後、アクリルラッカーの黒を2回塗装。いい艶になった。乾かしたら完成か?・・・と思いきや、ここでやっと「板の折り方が全て裏返しだった」ことに気づく。遅かりし。この手当は次に、、、
  • 恐ろしい勘違いとその修正
    不注意による手違いはダンボールのモックアップを折り曲げた時点で発生していた。バッテリー・トレーにある固定ネジの引っ掛け孔は「前方側にあるべきなのに、裏折りをしてしまったのだ。そのために急遽、孔をもう一つ付けるための「タブ」を端材ででっちあげ、ポップリベットで取り付け。リベットの補助に接着剤Super X併用。隙間内部の錆止めになる。(ところが、慌てて作ったこのタブがまた間違っているという、二重の失態!(;´д`)トホホ… ただ、これはペンチで曲げたら済むことなので、詳細は省く)
  • 組み込み
    出来上がってまだ塗料も生乾きなのに待ちきれず、とりあえずFIAT 500のフロントに落とし込んでみる。ポップリベットの出っ張りが少々ひっかかるが、構わず押し込んだら大成功。実際にバッテリーを入れる前に、ポップリベットの頭が擦れないよう、何かゴム板のようなものを敷いてやらねば。(と書いてから、幅1cm、厚さ数mmほどのゴムのストリップを貼っつけた)
  • 反省
    「裏折り」という失態を防ぐには、型紙図面にも完成予想図でも入れておけば良かった。
    複雑な四方を折り曲げるのではなく、サイドの補強「マチ」は既製の細いアングルをロウ付けすれば良かった(或いは、最近の高性能な接着剤のほうがスッキリする)。

とんだ勘違い2連発ですったもんだしたけど、まあ、一応ちゃんと機能するものができたので、終わりよければ全てよし。後はいつ、ここにバッテリを入れられるか、、、だ。トレーができたので、それ以外のバッテリー用大容量ケーブルも、ルーム(ワイヤリングハーネス)も、多色のリード線も、端子類も、そしてステアリングのコラムスイッチも、全て揃っているから「やる気」さえあれば、配線の総入れ替えはいつでもできる状況が整ったことになる。

あ、いあ、まだバッテリーを買ってなかった。

今のエンジンベイに入ってるのは40B19L。本来のバッテリー端子配置はRでないといけない。 5千円以下で買える同じサイズのB19R にしようかな、でもチンクのバッテリー・トレーは元々が欧州車用バッテリーサイズに合わせて大きいのでB24Rでもすっぽり入るし、、、でも1万円を越えるのはなあ、、、とネットを漁っていたら楽天フリマに「間違って2個買ったんで助けて」と新品未開封の「Panasonic Caos N-80B24R/C7」っつう、やたら容量の多いのが送料込み9,500円で出ていた(普通は1万以上する)。貯めるつもりもなくチェックしてなかった楽天ポイントと、なぜかもらえたクーポン合わせたら、8,700円ほどになっちゃうんで、こりゃ買いだな、とポチ。

いよいよワイヤリングハーネス総取っ替えが間近に迫った感、ありあり。


追記:
B24バッテリーが来たので仮積みしてみた。(デカ!重っ!)

追記2:
出来たはいいが、ワイヤリングハーネスを交換しないことにはバッテリの移動ができないので、大工事にとりかかる意を決するまでにあとひと月がかかった。しかも、その間に頚椎の障害が悪化して、指先の感覚がなくなってしまった。シャツのボタン掛けもままならず、ましてボルト・ナットのねじ込みには困難を極めた。追い打ちをかけるように寒さと雪が作業を遅らせたので恐ろしく日数がかかってしまった。。。とほほ
(一連の作業は以下の記事から始まる)

FIAT 500 ワイヤリング・ハーネス全交換(•••の前哨戦)


シカ角(つの)のシャンデリア

狩猟をやってる知り合いに「シカの角がいっぱい溜まってるので、シャンデリアを作って欲しい」という依頼があった。

僕がもの作りをやってるのを知って「腕を見込んで」と。特段優れた腕なんぞないんだけど、、、頼まれたらイヤと言えない性格だし、その人は自動車整備工場をやっていて、普段からクルマの整備で手に負えなくなったときには泣きついてお世話になってる人から受けることにしたんだけど、、、。

それから1年以上。既にある程度の構想というかイメージはあったし材木その他の材料や部品は買っておいたが、なかなか手を付けられなかった。受けた以上は仕事として、予算内で納期を守って製作し、何より頼んでくれた人に気に入ってもらえるようなものに仕上げないといけない、、、と思えば思うほど逆に手が止まってしまうのだ。そしてダラダラと明日延ばしにしていた。その間、クルマの修理や部品作りにたっぷり時間と労力を使っていたのだから時間が無かったわけでなく、完全に現実逃避だった。
追加: 狩猟をやってる知り合いに「シカの角がいっぱい溜まってるので、シャンデリアを作って欲しい」という依頼があった。僕がもの作りをやってるのを知って「腕を見込んで」と。それから1年以上、既にある程度の構想というかイメージはあったし材木その他の材料や部品は買っておいたが、なかなか手を付けられなかった。受けた以上は仕事として、予算内で納期を守って製作し、何より頼んでくれた人に気に入ってもらえるようなものに仕上げないといけない、、、と思えば思うほど逆に手が止まってしまうのだ。そしてダラダラと明日延ばしにしていた。その間、クルマの修理や部品作りにたっぷり時間と労力を使っていたのだから時間が無かったわけでなく、完全に現実逃避だった。

放ったらかしにすればするほど、クルマについての相談もしにくくなるから、整備工場からも足が遠のいていた。まあそれはFiat 500の調子が良いからでもあったんだけど、先日ヘッドライトの交換をし、来年1月には車検もあるので、ユーザー車検前の検査前点検をお願いしようかな、と迷っていたところに、自動車整備工場の依頼主から電話があり、とうとう年貢の納め時だなと、納品の期日をこちらから口にした。言ってしまった以上は作らなきゃならない。

案ずるより産むが易し、というけれど手を付けられなかったのには理由があった。シンプルな構造ではあるが強度などを考えて作ろうとするとかなり手強い。色々と見えないところで工夫や技術が要る。まあ、それを言っても始まらないから、とりあえず出来上がったので製作過程の写真を羅列しておこう。

    • 材木(ケヤキ)の切断と加工
    • ツノの加工と取り付け
    • 塗装とその他こまごま

以下は、どうでもよい戯言なので、よほど時間を持て余しているのでなければ読まないほうがいいかと、、、。(内容も、結論もないし、、、)

もの作りをする上で職人であるか、そうでないかというわけ方をした場合、僕は後者である。職人(ここではプロフェッショナル)とは、あるレベル以上の技術を持ち、安定的に同じ品質のものを作り続けられる人のことを言う。技術の優劣は自分で評価できないが、地道にコツコツと良いものを、それも繰り返し数多く作れるか?と訊かれたら、まるでノーだ。僕は同じものを複数作るのは苦痛だし、やったとしても品質を維持する気力もない。要するに気ままなのだ。 変更なし: もの作りをする上で職人であるか、そうでないかというわけ方をした場合、僕は後者である。職人(ここではプロフェッショナル)とは、あるレベル以上の技術を持ち、安定的に同じ品質のものを作り続けられる人のことを言う。技術の優劣は自分で評価できないが、地道にコツコツと良いものを、それも繰り返し数多く作れるか?と訊かれたら、まるでノーだ。僕は同じものを複数作るのは苦痛だし、やったとしても品質を維持する気力もない。要するに気ままなのだ。

気ままということに関して言うと、僕の勝手な「職人の定義」にはもう一つの条件がある。それは、自分の個人的心理内面の発露という「ゲージュツ作品」の製作ではなく、他人から依頼されて、依頼主の喜ぶものを作るということ。手わざを駆使してものを作り出す、という一点ではどちらも同じ行為に見えるが、そのモチベーションはまるで違う所に根ざしている。方や「発注者」の依頼に応えて得られる対価(金銭的な報酬だけでなく「意気に感じる」ことで得られる精神的な満足感も含む)がプロとしての仕事を進める原動力であり、方や誰に頼まれたかどうかは問題ではなく、言い方を選ばなきゃ「自己顕示欲」により内発的に「やむにやまれず」ものを作らずにはいられない、いわば病気みたいなもんである。 変更なし: 気ままということに関して言うと、僕の勝手な「職人の定義」にはもう一つの条件がある。それは、自分の個人的心理内面の発露という「ゲージュツ作品」の製作ではなく、他人から依頼されて、依頼主の喜ぶものを作るということ。手わざを駆使してものを作り出す、という一点ではどちらも同じ行為に見えるが、そのモチベーションはまるで違う所に根ざしている。方や「発注者」の依頼に応えて得られる対価(金銭的な報酬だけでなく「意気に感じる」ことで得られる精神的な満足感も含む)がプロとしての仕事を進める原動力であり、方や誰に頼まれたかどうかは問題ではなく、言い方を選ばなきゃ「自己顕示欲」により内発的に「やむにやまれず」ものを作らずにはいられない、いわば病気みたいなもんである。

昔、腕もセンスも良い木工職人の友人が「コンペとかではアマチュアに敵わないときがある」とこぼしていたのを思い出すが、それは、それなりの技術を持つアマが「湯水のように」余暇の時間と労力を注ぎ込めば、プロより優れたものを作れる(こともある)ということ。彼は言外に、地道に築き上げてきた技術で、与えられた仕事を高いレベル黙々とこなす毎日に、余分な時間とエネルギーを割いて出品作品を作るなんて「んなぁこたぁやってられねえんだよ」と。だから奇をてらった一発屋の作品だとか、突拍子もない偶然の産物だとかが出てきたら、いつも全てではないけど、たまにはプロでも勝負にならないことがあるわけ。

さて、僕はそのどちらでもない。僕は職人に憧れるけど、地道な修業を積んだわけでもないし、そんなのハナから嫌いだし、職人にはなれない。湯水のように時間と労力を注ぎ込んでもの作りする、というほどの情熱も無い。ときたま気が狂って自分の「彫刻」作品に時間と精神力と労力と、そのうえカネまで、それこそ湯水のように使って「作品製作(いや制作か?)」にのめり込むことはあるが、そんなことは数年に1回。ましてコンペなどには出さないからなあ、、、。

あれ、何の話だっけ。。。

ま、どうでもええか。

オマケ:
今回使った中国製シーリングライトに入っていためっちゃ丁寧なお礼のカード。一昔まえ(いや、今でもか、、、)の中国製品に書かれていたオモシロイ日本語と違い、これは本当に上手で非の打ち所がない。ていうか、慇懃すぎてこちらが恐縮してしまう。こんなの、今の若い日本人はそうそう書ける人、いないんじゃね?と感心。

で、ふと裏を見たら、、、、

あちゃー!えらい高飛車に出たな。(笑)


どうでもええけど、グライダー(ASK13)の事故のニュース、ちゃうやろ。

11月3日のニュースで「新篠津でグライダー『胴体着陸』」と出ていた。写真を見たら当該機体はASK13。この機種は車輪が引っ込まない固定脚なのに、何で胴体着陸ができるのかねえ。ネットに上がってる記事ではどれもこれもみんな「胴体着陸」の文字が踊ってる。航空機に詳しくない警察の発表をそのまま何の検証もせずただただ垂れ流してるんだろうな。

機体の外見にはダメージがないように見えるからおそらく、発航直後に低高度でウインチの曳航索が切れて、失速気味に落着したのだろう。搭乗者が腰の骨を折るくらいだから、鋼管構造の胴体に固定された車輪はめり込んで胴体下部が地面に着いているかもしれない。あるいは車輪が芝生にめり込んだか?どっちにしても、それを胴体着陸とは言わないだろう。

オマケに着陸したのが「草むらに突っ込んだ」と書いてる記事もある。写真を見るとたしかに緑の地面の上に機体が停まっている。しかし新篠津の滑空場は芝生も広いから草の上に降りてもおかしくない。ていうか、世界中どこの滑空場でも、たとえターマック(舗装)の滑走路があっても芝生に降りることは普通だし。それに、ちゃんと刈り込んだ芝生を「草むら」って言うか?ターマックの滑走路にしか降りない「普通の飛行場」しか知らずに、なにか尋常じゃない場所に突っ込んだという先入観なのか、あるいは胴体着陸という表現と同じく、いかにも事故っていう「場面設定」をしたいのだろう。

つい先日も美瑛で事故があり、自分もかつてグライダーや飛行機で飛んでいたから、滑空機関連のニュースには目が行く。今回、複数のメディアの報道をいろいろ見てみたが自分が知る限り全て「胴体着陸」となっていた。いまどき氾濫する情報の取捨選択ができなくて、トランプ大統領英雄論やコロナのウイルス起源やワクチンに関する荒唐無稽な陰謀論にどっぷりの人が多いようだけど、所謂大手のニュースメディアがこの体たらくじゃ、こんなの信じちゃおれん、とあっちの世界へ身を投げる人が増えてもしゃあないな、とも思う。


餃子作る

作る、つっても、餡は先日iPhoneの設定を手伝ったお礼にと、いただいた「元」明養軒の焼き餃子のお土産にプラスアルファで付いてきた餡を、手製の皮で包んで焼いただけ。

うちに中力粉しか無かったのでそれを使ったけど、結構モッチリ。餡はもらってから、すぐに食べる機会を逸したので冷凍してあった。冷凍するとベチョベチョになるからしない方がいいと言われていたけど、思いの外だいじょうぶだった。

皮は中力粉300gに水(お湯)150cc。重量比だと2:1だな。それに塩をひとつまみ。ボウルに入れて箸で混ぜ混ぜ。最初はなんかそぼろ状になってるが、そのうち何となく生地らしくまとまってくる。その頃には熱くなくなってるんで、手で捏ねてまとめる。グーで押して内部の空気抜き、シワもなくす。生地ををラップに包んで30分ほど寝かせる。

母が昔、北京に住んでいたためか、うちでは子供の頃は餃子の皮は手作りだった。ていうか、60年も前は日本で自家製の餃子を作る家庭なんてそんなに無かったし、家庭の食には保守的だった京都の中心部の、呉服問屋の多い室町界隈の家々じゃなおのこと。当然、餃子の皮なんぞ売ってなかった。(ちなみに、母は辣油も作っていたなあ、、、)

母から引き継いだ餃子用の麺棒で皮を作るのは難しくないが、僕は包むのがあまり得意ではない。先日のiPhone設定を手伝った元明養軒の元看板娘で元後輩のスゴ技、超高速餃子包みを習っておけばよかったなあ。

そうは言っても、もう生地つくっちゃったしやるっきゃない。中力粉の生地は今ひとつ腰がないというか、扱いにくいなあ。破けることはないけど、ひだを作ってるうちに餡の重さでダラーと伸びちゃうし、、、。

(追記:どうも「塩ひとつまみ」では足りなかったのかも。グルテンをもっと活性化するために、今度作るときは小さじ一杯くらい入れてみよう)

300gの小麦粉と150ccのお湯で、都合450gの生地から約30枚の皮が出来た。。。が、もらってきた餡では16個しか包めなかった。冷蔵機に有り物の納豆や黒ニンニクで水増しした。それに長らく冷凍庫の底に見捨てられていた生ソーセージを解凍して刻んでみたら、何となく餃子の餡のようになったので、28個まで出来た。。。

が、あと2枚が残った。もう入れるものが無い。仕方なく形の悪い方を刻んで「具」に見立てて最後の1個を包んだ。これは、チベットの僻地の町で雪に封じ込められた友人二人が話してくれたことを思い出して作った。彼らは孤立した町で数ヶ月過ごすうちに、地域全体が外部からの補給を絶たれたため、通っていた食堂の餃子の肉がだんだん少なくなり、しまいには中身の餡が皮と同じものになったそうだ。うちじゃ、そのプロセスをほんの30分ほどで経験したわけだなw。

何はともあれ、出来た餃子をちゃちゃっと焼いて完成!「コーテル・イーガ!」、「オウ!ミンバイヨー」ちう昔聞いた珉珉だったか王将だったかのやりとりを思い出す。

夜中に突然餃子を作って、一人黙々と食すってのは正直あまり楽しくもない。救いは餃子の餡が(全てではないにしても)高校生の頃に食べた青春の思い出の味に連なっていること。ていうかその味を作っていた人の手になるものを今まだいただけるのだから、独居老人の独りメシの悲哀というシチュエーションはともかく、噛みしめるたびに溢れ出る味は格別だった。

夢中で作って、夢中で貪って、気が付いたらズボンが真っ白、、、。何やってんだか、、、