ヴィーテルスカール→スューテル
朝、小屋に行ったら昨夜、オーロラが見えたと聞く。トイレに起きたのに気づかなかった。残念。でも、まだあとひと月あるし、だんだん北へ向かい、冬も近づいてくる。見るチャンスはあると思うう。
ヴィーテルスカールの山小屋を出る時に、管理人のおばさん、ミーアさんがリコーダを演奏して送ってくれる。見送りに孫の坊やも出てきてくれる。ハイカー(旅人)が歩き疲れ、脚も痛むけれど、それでも旅は続き歩き続ける、という曲だそうだ。
これぞU字谷という形の谷底を東へ向かって歩く。一万年前、この上には1000m以上の厚さの氷があった。その下を歩いていると想像すると不思議な感じ。氷河の源頭の両側には北のスィーテルトッペンと南のスィーテルトッペンがそびえているはずだが、低く垂れ込めた雲で見えない。雲底辺りが氷河の表面だったのかなあ。この谷だけじゃない、かつてスカンジナビア半島全体が途方もなく巨大で分厚い氷に覆われていたのだそうな。氷期が終わり、その重みから解放された半島の地殻はマントルから浮き上がっているという。つまり、氷期が終わってから今もなおずっと隆起が続いている、って高校の地学で習ったな。。。
とかなんとか考えながら歩いていたら、スューテルスカレットの避難小屋に着く。先客2人がお昼を終えて出るところ。僕も入れてくれる?って聞くと、避難小屋だから誰でもOKだよと。歳の話になって、僕と同年代とわかる。そのひとり、ステファンさんは、ダムに沈む森の木を伐った後の切り株も抜魂して、廃棄物として処分されるが、その形や表面の様子が面白くて、自分の彫刻の材料として使っているそうな。朝、小屋を出てから最初に出会った人が、同業者だとは、、、
避難小屋で昼にしてゆっくりする。女性のグループが外で少し休んで何も言わずに出発していく。どっちに向かったかもわからないけど、出会ったのはその後、マウンテンバイクの2人組だけ。ヘマヴァンから遠くなるにつれて人が減ってくる。
U字谷をつめきったところは広々とした草地。夏にはトナカイの大きな群れが放牧されているとか。少し向こうには小高い丘状のピークがある。ガイドブックによると、昔、ここでサーミの人たちがトナカイの健康を祈って生贄を捧げたとか。いまは、トナカイころかネズミも見えない。
峠を越えたら雨。下り終えると今日のキャンプ地、スューテル。また、キャンプサイト利用料金100クローナ、1200円を払って、小屋の設備を使わせてもらい、体をふいて、残り湯で洗濯もする。スウェーデンでは、他人の土地であっても、基本的にどこでキャンプしても良いそうだ。が、別に特別スパルタンな山行きをしたいわけでもなく、どうせ来週には無人地帯を一週間歩かなきゃならないんだから、今は楽をしておこう。
管理人のマルガリータさんがジュースをふるまってくれる。途中、綺麗な渓流の水を飲んできたが、甘いものもまた美味い。
(ちなみに、スウェーデンはチェルノブイリの原発事故で汚染されているが、放射性物質を吸着・吸収する植物、地衣類、菌類はともかく、水はそれらによってろ過され、年数が経った現在では飲用可とのこと)
何だか毎回想像のつかない旅の様子が語られていて 一応登山はかじったのですが
凄いなあという感想しかありません
語学についても
お気をつけて旅を続けてください
私達は明日から2日間スタヴァンゲルです
榊原さん、返事が遅れてすみません。
もう無事にお帰りになられたとのこと。旅の方法はいろいろでも、旅先で出会う人との交流がこうやって出来るのも、今の時代の便利さですね。まさか、北欧人の大勢いる中で肘がぶつかった相手が日本人の榊原さんだったなんて、色々な旅をしてきましたがなかなかないことでした。
あのとき、たまたまスマホで日本語の文章を読んでいたので「すみません」と日本語が出ましたが、そうでなかったら、多分、あちらで一番通じやすい外国語の英語で謝っていたと思います。(ちなみに、僕は「語学」という学問は身につけていません。母語の日本語や、留学でしょうことなしに使わざるを得なかった英語以外は、行った先の外国で聞きかじ憶えた単語を並べるのが精一杯です)
僕の旅は登山ではありません。一応の山歩き道具は揃えていますが、200km歩いて一度も山の頂上には登っていないのです。ほぼ全行程がU字谷の谷底歩きと峠越えでした。途中を抜いたので、残念ながら440kmの半分しか歩けませんでしたが、無事終点にたどり着けました。