アービスコヤウレ→アビスコ
管理人のボッセさんとマルガレータさんに出発の挨拶がてら、オヤツの甘いものを買いに行く。チョコレーズンみたいなのを買おうと思ったら、お金はいいから持って行きなさい、って。ありがとう!最後の行程のエネルギーになります。
出かけて、いきなり道を間違える。小屋から100mも離れてないのに、、、。一度戻り、大久保さんを知っているアメリカ人の青年に方向を訊いて、再出発。最後の行程、気が緩んでるな。
湖の畔に沿って数km歩くとプライベートの山小屋らしい小さな建物がいくつか出てくる。そこを過ぎた辺りから今までのトレイルと違い、幾分か道が広くなる。トラクターの轍のような跡も出てくる。薪やその他の補給物資を運ぶのだろうが、だんだん「文明」の地へ近づいている感じがする。
Kungsledenの前半からスィンギ以南までは一日中歩いても数人しか人を見かけない日も多かったが、アービスコが近づくにつれ出会う人も増えてくる。中には高校生くらいの若者たちのグループが引率されて歩いてる。おしゃべりに夢中で「ヘイヘイ」っとスウェーデン風に挨拶しても一瞥もしない。まあ挨拶なんてしないといけないわけじゃないし、いいんだけれど、、、彼らはあまりこういう所へ来たかったわけじゃないんだろうな。。。携帯プレーヤーかスマホのイヤフォンで音楽聴きながら歩いてる子もいる。出会ってきた山歩きの人たちが言う「Civilizastion=文明」の地に戻るのも近い、ってことか、、、
それでも僕はこの最後のレグを楽しみたいから、これまでも早く歩かなかった(歩けない?)のに、今日はことさらペースを落としてる。できる限り周囲にそびえる岩山や遠くの残雪の景色を見、谷を吹き抜ける風や岩に跳ねる水音を聞き、そのせせらぎの水や敷き詰められたように実るベリーを味わい、森の空気をいっぱい吸い込んで木の葉や苔の匂いを嗅ぎ、Kungsledenに満ちているものを体中に染み込ませたい。
そうやって青空の下、明るいきれいな樺の樹林帯を歩続けていたら、僕の”Kungsleden”追想の旅は、貨物列車の警笛であっけなく終わった。映画『太陽のかけら』=”Kungsleden”の始めには、鉄鉱石鉱山のあるキールナとノルウェーの不凍港ナルヴィックを結ぶ線路を走る長い長い鉱石輸送列車が通過するシーンがある。今までと何も変わらない木立の陰のほんの数十m先に鉄鉱石を山積みした逆三角形の鉱石バケットの列が見え隠れするのを立ち止まって延々と眺めた。
第二次大戦中、スウェーデンがドイツにこの路線を通じて鉄を供給したことがこの映画の何かに結び付けられているのかも、ということは、何も知らない15歳の頃に初めて観たときは勿論、この旅に出る前に50年ぶりにDVDで観直した時も気付かなかった。しかしKungsledenを歩くうちに図らずも出会った人たちと語り合う中で、戦時中のドイツとの関係について、映画の作られた’60年代になってもまだスウェーデン人が心に持っていた複雑な感情について知ることになった。まさかその象徴的な貨物列車が出迎えてくれるとは、、、
線路の手前に、きっと映画が撮られた頃には無かったであろう、ログで作られたKungsledenの北端ゲートがある。特に仰々しいわけでもなく目障りなこともないが、、、出発した南端のヘマヴァンにはポツンと道標だけが立っていたなあ。多くの人たちにはこのゲートがスタート地点になるが、へそ曲がりの僕には終点。でも、ナルヴィックに向かう鉱石輸送列車を見送った後には映画の逆回しを観てしまったような気持ちがしたが、ゲートに至った時には特に何も感慨は無かった。普通にくぐり抜けてKungsledenをオフィシャルに終えた。
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ここで、29日間の旅の記録を終わらせるつもりだった。実際Kungsledenの旅はここまでだったし、これから先、残りはただの観光でしかない。ただ、北に向かってアービスコ至る道を辿り、途中の山小屋で何度も同宿だった、僕と同様にへそ曲がりのトレッカー達とアービスコ・ツーリストセンターで再会した顛末くらいは書いておこうと思い直した。
大きなメインビルディングを中心にコテージなどが立ち並ぶコンプレックスのアービスコ・ツーリストステーション(山岳ステーションじゃない!)は個室のベッドルームは勿論、ちょっと高めのレストラン、土産物や登山ギアのショップもある、ほぼホテル。ヘマヴァンの山岳ステーションが飛行場まであるスキーリゾートに建っていたのに、今は何と慎ましやかに思えることか。まさに文明へ戻った感じ。しかし、今夜はここに泊まるのかよ。。。と半分怖気ながらレセプションへ行ったら、ドミトリー式のホステルもあるって。だろうな、、、。ホッとして 見回したら普通の旅行客とトレッカーが入り混じって行き来している。
しかし、いきなり受付カウンターで嫌な思いをさせられた。僕の前にカウンターで手続きか問い合わせをしている人がいて、僕はその後ろで、あまり近づくといかにも急かせているように思われるのもナンだなと、ちょっと距離を開けて待っていた。女性の用事が済んで、さてと前に進もうとしたその瞬間、僕の目の前をダッシュでカウンターに飛びついて割り込んだ人がいた。日本人。。。おじさん、本能の赴くままに行動してる。おじさんに近づくのもやだな、って距離をとってたら、今度はおじさんが終わってないのに、僕の前に割り込んだ人がいて、日本人のおばさん。。。僕の方を振り向いて、あら、ごめんなさい、って言うけど退くわけじゃない。。。日本に来る中国人観光客を悪く言う人がいるが、何ほどの違いがあるのかねえ。。。何十年か前に話題になった『恥ずかしい日本人』という本を思い出した。
僕は日本を出るまで知らなかったが、アービスコは日本人の間でオーロラの鑑賞地として有名らしい(山小屋でスウェーデン人たちが言っていたとおりだ)。残念ながらその夜、ここ数日とは違ってベッタリの曇り空だった(アンドレアスくんの言ったとおりだ)。
アーレスヤウレで知ったKungsledenの伝説の日本人、大久保さんのことを思いながら、この北極圏の山の中に来る日本人も様々だな、、、と考えた。(アーレスヤウレやアービスコヤウレで、いろんな人から「次はお前が伝説になれ」と言われたが、、、僕は、大久保さんのような熱意と善意に満ちた影響を残すこともできないし、無邪気に振る舞っている観光客のような足跡の残し方もしたくはない。そっと気づかれず風のように通り過ぎるのが理想。しかし、その割にはいろんな人と関わり過ぎたなあ、、、)
夕方、キッチンでこれまでの小屋泊まりで一緒だった何人かと顔を合わせたので日本人の話題になった。彼ら日本人はアービスコにとっては良い客なんだろうけど、僕は、山から下りてきて一番見たくないタイプの人間がワンサカいてガッカリだと言った。ついでに、どうせ儲けるのなら「全天が曇りの日でもオーロラ鑑賞ができるように、雲底にレーザーでプロジェクションマッピングしてやればいい」って言ってやった。大ウケ。開始時間きっちり決めて、ガッポリ料金取って、、、あ、どこからでも見えてしまうからそりゃ無理か、、、
オーストリア人のアンドレアスくんも先に着いているはずだけど、見かけなかった。これまでの山小屋と違い、ホステルでも部屋が多すぎて出会わない可能性が高い。それとも、早く着いて列車で帰っちゃったんだろうか。。。一番ちゃんとさよならを言いたいヤツなんだけどな。。。