しっかり学ぶトルコ語

友人のアポが作った新しい本。彼の『頻出度順トルコ語基本1000語』は彼から直接もらったが、こんどのは買った。

シベリア鉄道の一週間、トルコ語がある程度通じるチュルク系のキルギス、ウズベク、カザフなどの人たちと、僕が微かに思い出すトルコ語の貧弱な語彙ではちゃんとした会話が出来ず、出かける前にアポから言われた「トルコ語はユーラシアを旅する時に大きな資産になる」ということを痛感した。

ドイツでアポと再会した時も、彼のトルコ系の友人達と話す時に、ああトルコ語、勉強しときゃよかったなあ、、、と悔やんでみても遅し。。。

なので、いまさらながら注文したと。。。来るのが楽しみ〜

ただ、僕は必要に迫られないと勉強しないし、やっても続かない。。。シベリア鉄道には次いつ乗るか判らんし、トルコへもいつ行けることやら、、、

それでも、彼のひねりの利いた日本語を読むのが楽しみだ。。。(ん?何か間違えてる?)


『しっかり学ぶトルコ語』
アブドゥルラッハマン ギュルベヤズ(著/文)
https://www.beret.co.jp/books/detail/608

しっかり学ぶトルコ語
しっかり学ぶトルコ語

Kungsleden ブログ 目次

2016-09-03-14-06-08

幾つか切れていたリンクを復旧しました。。。m(_ _)m
(*付きのタイトル)

DVD from Sweden via Germany 07/08

この線路の向こうには何があるの?  07/17

ロシアビザ  07/26

Barbour Jacket Reproofed バブアージャケットのリプルーフ  07/29
Optimus 123r Svea  08/02
Optimus 123R Svea クリーニング  08/05
Optimus 123R Sveaのカバー  08/08
ロシアビザ  08/10*
まだまだついてる!  08/11*
シベリア鉄道の車両と座席配置  08/12*
この線路の向こうには何があるの?  08/14*
その後いろいろ、、、  08/14*
なんか、夜中に洗濯とか始めてしまって、、、  08/20*

首途八幡宮(かどではちまん)  08/20

Day 01 text / 0820
Day 01 photo / 0820 京都⇒JR⇒境港⇒フェリー⇒東海

Day 02 text / 0821
Day 02 photo / 0821 東海⇒フェリー⇒ウラジオストク

Day 03 text / 0822
Day 03 photo /0822 ウラジオストク⇒シベリア鉄道

Day 04 text / 0823  シベリア鉄道
Day 04 photo / 0823 (アクバルくん)

Day 05 text / 0824  シベリア鉄道
Day 05 photo / 0824 (エヴェンキのアナトリーさん)

Day 06 text / 0825  シベリア鉄道
Day 06 photo / 0825 (ウラン・ウデ⇒バイカル湖)

Day 07 text / 0826  シベリア鉄道
Day 07 photo / 0826 (イルクーツク、オクサナさん)

Day 08 text / 0827  シベリア鉄道
Day 08 photo / 0827 (チュメニ、シン子さん)

Day 09 text / 0828  シベリア鉄道
Day 09 photo / 0828 (偽書『ちはやふる奥の細道』)

Day 10 text / 0829
Day 10 photo / 0829 シベリア鉄道⇒モスクワ

Day 11 text / 0830
Day 11 photo / 0830 ヘルシンキ⇒バイキングライン

Day 12 text / 0831
Day 12 photo / 0831 ストックホルム⇒SJ(スウェーデン鉄道)夜行

Day 13 text / 0901  Kungsleden
Day 13 photo / 0901 ウーメオ⇒ヘマヴァン

Day 14 text / 0902  Kungsleden
Day 14 photo / 0902 ヘマヴァン⇒ヴィーテルスカール

Day 15 text / 0903  Kungsleden
Day 15 photo / 0903 ヴィーテルスカール⇒スューテル

Day 16 text / 0904  Kungsleden
Day 16 photo / 0904 スューテル⇒テルナヘォ

Day 17 text / 0905  Kungsleden
Day 17 photo / 0905 テルナヘォ⇒セルヴェ

Day 18 text / 0906  Kungsleden
Day 18 photo / 0906 セルヴェ⇒アイゲルト

Day 19 text / 0907  Kungsleden
Day 19 photo / 0907 アイゲルト⇒アンマルネス

Day 20 text / 0908  Kungsleden
Day 20 photo / 0908 アンマルネス⇒ソールセレ⇒ヨックモック

Day 21 text / 0909  Kungsleden
Day 21 photo / 0909 ヨックモック⇒ポリュウス⇒リッツェム

Day 22 text / 0910  Kungsleden
Day 22 photo / 0910 リッツェム⇒ヴァッコタヴァーレ⇒テウサヤウレ

Day 23 text / 0911  Kungsleden
Day 23 photo / 0911 テウサヤウレ⇒カイトゥムヤウレ

Day 24 text / 0912  Kungsleden
Day 24 photo / 0912 カイトゥムヤウレ⇒スィンギ

Day 25 text / 0913  Kungsleden
Day 25 photo / 0913 スィンギ⇒セルカ

Day 26 text / 0914  Kungsleden
Day 26 photo / 0914 セルカ⇒チェクチャ

Day 27 text / 0915  Kungsleden
Day 27 photo / 0915 チェクチャ⇒アーレスヤウレ

Day 28 text / 0916  Kungsleden
Day 28 photo / 0916 アーレスヤウレ⇒アービスコヤウレ

Day 29 text / 0917  Kungsleden
Day 29 photo / 0917 アービスコヤウレ⇒アービスコ

Day 30 text / 0918  Kungsleden
Day 30 photo / 0918 アービスコ⇒SJキールナ・ナルヴィク鉄道

Day XX / 1019 (English) Looking back to Kungsleden

映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その1
(半世紀前の映画)
映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その2
(Kungsledenで待っていたもの)
映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その3
(茨城へ)

Reflection on the day I leave Oslo (actually posted a week later,
on the day I’m back to Gothenburg, Sweden)
 Norway(English)

オスロを去る日に思う
(投稿は一週間後だけど。しかも翻訳は一年後だし、、、)
ノルウェー

思春期 Puberty Oslo National Gallery

追記:
それぞれの旅


映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その3

50年前の映画の面影を追う旅が思いもよらぬ茨城県で終わることになるとは、、、

半月近くスウェーデンを旅しながら合う人に尋ねて来たけれど、古い映画のことなどスウェーデン人のだれもが忘れてしまっているようだったが、旅の終点アビスコから二つ手前の山小屋まで来てやっとその映画を観たという山小屋の管理人インゲル-リーゼさんに出会った。

そこで彼女から見せられた映画に関する大量の資料は、「太陽のかけら」を観た一人の日本人がこの20年間、毎年のようにこの地を訪れて残していったものだった。

その人、大久保信夫さんが関東にいらっしゃるということで、何度か手紙のやり取りをした後、お会いする機会を得た。

徹夜で車を走らせて東京まで来たところで、一眠りして起きたら昼飯を済ませて伺うつもりだと電話を入れたら、午前中からでもいいからいらっしゃい、と言われた。ワクワク感で眠気もとんで、一気に北へ向かった。

待ち合わせの場所へ大久保さんはネコ車に山盛りの資料を積んで現れた。予想外の展開。。。早速、映画のポスターやらパンフレット、日本の雑誌やスウェーデンの新聞記事の切り抜き、さらに大久保さんの写した写真の詰まったアルバムなどを開陳してもらう。「この中で気に入ったものがあったら、コピーしていいから、どんどん見て選びなさい」といってもらった。が、なにから手を付けてよいやら、、、

その間も、大久保さんは茨城弁で映画「太陽のかけら」について僕の知らない情報を話してくれた。それだけでなく、若い頃に見てすぐにもKungsledenへ行きたかったけど、なかなか実現できず、代わりに日本の山を登ったり、北海道で「カニ族」(わかるかなあ、、、w)をやっていたりしたとのこと。そして40代になってやっとその余裕ができて、夢を実現したのだとか。

僕の記憶では映画公開当時1960年代なかばには、ヨーロッパへの航空券が片道27万円だった。大久保さんも往復で50万円もする飛行機代はとても出せなかったとか。1ドル360円、外貨持ち出し制限が500ドルの時代、まだ10代だった僕たちには海外旅行は夢でしかなかった。

映画を観てからも山歩きを続けていたのは二人とも同じなんだけど、僕はあの映画の場所を歩くのはずっと「夢」のままだったが、大久保さんは生活に余裕ができるとほとんど全てのエネルギーをその夢の実現に注ぎ込まれた。そしてただ歩くだけでなく、自分が映画で観た場面をつぶさに調べ、場所を特定し、そこへ足を運んでいる。

今も大久保さんは英語が得意ではないとのこと。僕が少し英語ができると知って、羨ましいとおしゃるが、しかしそんなことは何の障害にもならないことを実証するような体験談をいくつも聞いた。(彼の朴訥な人柄で全ての困難を退けてきたのだろう)

初めての外国で、言葉に困らないようにと、近所の外国人牧師さんに、旅先で使いそうなフレーズを幾つか英訳してもらい、紙に箇条書きにして持って行ったそうだ。(「安い宿をさがしています」ってのは役に立ったそうだ)

ストックホルムに着いたとたん、入管でパスポートが無くなっていることに気づいたが、何故かそのまま入国を認められて日本大使館へ行くことができたとか。(鷹揚なスウェーデンとくらべて日本の在外公館の対応は最悪だったらしい、、、。ちなみに、パスポートは飛行機の中に落ちていたと後でわかったとのこと)

大久保さんのすごいのは、スウェーデン映画協会に行って映画「Kungsleden」(「太陽のかけら」の原題)を特別に試写室で観せてもらっているのだ。牧師さんに書いてもらった英語の紙があったのだろうけど、紹介状もなくよく交渉できたものだ。それに、日本からふらりとやって来た青年一人のためだけに上演し、研究用として資料映像まで渡してくれたスウェーデン映画協会も太っ腹だな。

今から20数年前は、まだまだおおらかな時代だったのだろう。(いやいや、スウェーデンと言う国は、60年代に日本のベ平連などの手引でベトナム戦争を忌避した「脱走兵たち」を受け入れているし、今でも移民や難民を多く受け入れている多民族が混じり合っている国なんだ。僕も、この旅で何度もその許容力の大きさの恩恵に預かった。)

大久保さんの資料の中に映画の原作となった小説があった。著者はBosse Gustafsonといい、映画の脚本も監督のGunnar Hüglundと共同で書いている。大久保さんは苦労して翻訳者を探し、大変な出費をしてその小説を読んだという。

単に50年前の映画の思い出を胸に一度切りのセンチメンタルな旅をした僕とは違い、大久保さんはスウェーデン映画協会からの資料映像を繰り返し観て、小説も読み込んだ上で、なおかつ現地へ20回以上足を運んで調査をして来た。むむ〜。。。恐れ入りました。

Kungsledenでもただ歩き回るだけでなく、山や谷の地形を熟知しているヘリコプターのパイロットに写真を見せたり、氷河の研究観測をしている大学の調査基地を訪れたりして、映画の場面に登場する地形の特定やそこへたどり着くための地理的な情報を取得したりされている。

たとえば、ヘリのパイロットに主人公が断崖を登り「殺人者」を追うシーンの写真を見せてその場所を探し出した。ケブネカイセ山の近くであるその場所へは氷河を横断しないと行けない。しかし氷河にはクレヴァスが数多く隠れていて危険だが、大久保さんは、その氷河を観測している大学の調査チームからクレヴァスの多く存在するエリアの位置や氷の状況を周到に尋ねてから、現地へ向かっている。スウェーデンのトレッキングコースを管理するSTF(スウェーデン旅行協会)からは危険だと止められたそうだ。2度その場所を訪れて2度隠れクレヴァスを踏み抜いたとか。3度目はないと思うのでもう行かない、とのこと。。。用心深いけど向こう見ず。。。(この辺りの行動パターンというか性格は、僕自身にも似たところがあるなあ。。。)

昼飯の時間を惜しんで、近所のラーメン屋で簡単に食事を済ませたが、その間ずっともKungsleden話しをし、午後も資料をめくっては話しを続け、気がつくと日が暮れていた。それでも、大久保さんはアルバムの最後の1ページまで丁寧に見せてくださった。

小説を読まれているので、僕がKungsledenを歩き始めて初めて「あ、そうだったのか」と理解した映画に埋め込まれた歴史、つまり鉄鉱石を運ぶ鉄道、第二次大戦で無傷だったはずのスウェーデンが持つ心の痛みなどについてもご存知だった。

また、話はオリジナルにはなかった、日本で後付けされた主題器楽曲「太陽のかけら」(実はMicheal Holm作曲の「Desert Island」)に、そのまた後付けの日本語歌詞を乗せて布施明ほか何人かの歌手が競作していたとの話を伺い、楽譜も見せていただいた。歌詞の出処を確認するためにJASRACまで問い合わせもされている。すごいなあ。。。

アーレスヤウレの小屋では大久保さんの訪問が途切れたので心配していたと伝えたら、「今年はちょっと浮気して、映画にもなった小説『旅の重さ』の舞台を求めて四国へ行ったけど、また来年からはKungsledenへ通いますよ!」とのこと。大久保さんのKungsledenへの愛情は変わらない。けど、ん?四国?実は僕もそのうち歩き遍路で四国巡礼に出たいと思っているんだけど、その「旅の重さ」って映画も気になるなあ、、、。「劒岳・点の記」も薦められた。。。。昔登った北アルプスの山にも行きたいなあ、、、大久保さんとの話は「太陽のかけら」だけにとどまらなくなて、時間がいくらあっても足りない。夕方6時。外が真っ暗で、7時間くらいぶっ続けで話をしていることになる。そろそろおいとましなくっちゃ、、、

おみやげにと家で採れた柿をたくさんいただいた。僕は何の手みやげも持っていかなかったから、資料の復元、複製などでコンピューターの画像処理などが必要ならいつでもお手伝いさせていただきます、と約束してお別れした。

往路で友人に東京までのライドをさせてあげたり、復路でまた東京に寄り別の友人と会って夜中まで与太話に付き合ってもらたりもしたが、本来は大久保さんに会うことだけが目的だった。そのために行き帰り1200kmを一人で運転しても苦にならなかった。

僕は元々夜型の人間で、昼夜ひっくり返った生活をしているが、ヨーロッパから飛行機で帰ってきて、時差ボケで常人と同じ生活パターンになるかと思いきや、なんか微妙にずれていて、妙な時間に突如眠くなったりしていた。大久保さんに会うために徹夜ドライブを二晩続けた後は、元通り正常に戻って「フツーに昼夜が逆転」している。

非日常から日常の生活へ、、、ああ、やっと旅が終わったのだなあ、、、

kungsledenbookcover
映画の原作となった同名の小説。著者は映画脚本の共同執筆もしている。英語版を探したが見つからない。
2016-11-06-16-50-25
Kungsledenのテウサヤウレの湖畔で出会い、シンギ小屋まで一緒だったサーミのシェルスティンさんと大久保さんは「必然的に」出会っていた。
2016-11-06-16-51-17
大久保さんとシェルスティンさんはいつ頃出会ったのだろう?聞きそびれた。ワンちゃんたちは少し若く見える。。僕は シェルスティンさんといっぱい話をしたが、連絡先の交換とかはしなかった。なんとなくまた会える、元気でいればね、みたいなことを話したっけ。。。でも、まさか茨城で再会とは、、、(笑)
2016-11-07-17-42-51
そこら中に柿がなっている。だれも取らないのでカラスの餌だそうな。。。もったいない。 このあたりはミカン栽培の北限でもあるらしい。。。でもみかん畑は観なかったなあ、筑波山の斜面にでもあるのか?

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追記:オオカミ少年のように、何度も何度も「旅の終わり」と言っては、その続きを書いてきた。今回のこれもまた、「一つの」終わりなのかもしれない。

TextとPhotoで綴った日記は、Day30のアビスコ到着(Kungsleden北端)で結了しているが、その後の物見遊山的な旅の記録も付録で書いたし、日記ではなく、僕と映画との関わりとその顛末を書いたこの「映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)」という駄文も「その1、2、3」までなっちゃった。

どれも、後先考えずにダラダラしたためたので、内容の重複も多いし、なにより満足に推敲もしていないから長くて読みづらい。そのうえ、特に日記部分はネット環境の悪さとタブレットの性能の悪さが災いして順序どおりにアップロードできていない。それゆえ、時系列に話を追うのが難しい。

いままで考えたことがなかったが、内容を整理し、一つのまとまった読み物になるように手を入れてみようかとも思うようになっている今日このごろ、、、

そんな絵空事より、とりあえず日記その他のブログ記事のタイトルを時系列順に並べてリンクを張ったページを次回アップするつもり。(なので、まだまだ、ちっともこの話は終わらない)

 


「終わらない人 宮崎駿」

NHKスペシャルがおもしろかった。

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586742/

ある場面で、ドワンゴ会長の川上量生がAIで人間の身体を動かすCGアニメを宮﨑駿に見せにやってきて、得意気に「人間に想像できない気持ち悪い動きができる」と言っていた。それに対して宮崎はハイタッチするにも非常な苦労をする障害を持つ友人の話をして「極めて不愉快」、「生命に対する侮辱」と切り捨てていた。

番組の中で宮崎は短編アニメに初めてCGを導入し、自分の土俵じゃない、自分の道具じゃないコンピューターと、それを操る若いCGクリエイター(技術は一流かも知れないが、「生き物」を見たことないんじゃないかと思われる)との葛藤の中で、制作が思い通りに行かないまま悶々としている姿が映し出されていた。そこへ、かなり唐突にこのシーンが割り込んでくる。

ジブリに迎え入れた、いわば内輪のCGクリエイターたちですらも、宮崎が望む「命と心を持つものの動き」を理解できず、ありきたりな動作を主人公の毛虫に与えてしまい、「こんなもの出すくらいならやめたほうがいい」とまで言われている。

そこへドワンゴのチームが件のサンプルCGを持って来て、「ゾンビゲームに応用できる」なんてドヤ顔で言っちゃった。宮崎の反応は厳しく川上らはほぼ凍りついていた。「あくまで実験で、、、」という言い訳もシドロモドロ。「どこへたどり着きたい?」と訊かれて「人間とおなじように絵を描く機械」っていう答えも、テレビ見てるこっちまで、ヲイヲイお前らいったい誰に話してんだ?って言いそうになっちゃうほどお間抜けでワロタ。(その辺りはこちらまとめに詳しい。動画あり)

が、ふと思ったのは、確かに劇的な対比でドキュメント番組的には大変効果的で面白いのだけど、はて、この結果は始めから見えてただろうに、誰がこのプレゼンを仕込んだのだろうか、、、。NHKなのか同席していたジブリの鈴木敏夫なのか、判らないけど、、、穿った目で見たらかなりアコギな話の持っていきかただとも思う。

だとするとドワンゴも災難だったね。まあ、無理矢理に引きずり出されたんじゃなく、自分からノコノコ出ていったんだろうけど、、、。それに、状況の先読みもできない、一喝されて即対応もできないんじゃ、おバカの誹りは免れないし。ただ、あの醜態を晒しながらよくオンエアをOKしたな、、、それだけは褒めよう。

(追記:今調べてみたら、ドワンゴの川上はスタジオ・ジブリにも在籍していると初めて知った。徳間書店つながりらしいが、、、やっぱ、かなり仕込みかたがクサイ。。。NHK得意のヤラセドキュメントか?とまで思っちゃうな。。。)

再放送もあるようなので、、、
11月16日(水) 午前0時10分(50分)

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586742/


日本の技術力

ネットで博多の陥没埋め戻しが早いのは日本の技術力がすごいからだと騒いでるバカが大勢いて呆れる。(セメントみたいな土を大量に流し込むだけだろ?)

うっかり街の真ん中に大穴あける(それも同じ街の地下鉄工事で何度もやらかしてる)ほどお間抜けな技術の稚拙さを置いといてさ、、、

原発が爆発して、放射能ダダ漏れで、それでもアンダーコントロールと胸張ってるバカと同レベルじゃね?

普通におかしいことが普通に変だと思わない人たち多くね?

変なのが大統領になるよその国を笑ってる場合じゃない。

そんなに誇れる国かね、今のこの国。